37.リミッター解除
「あなたたち、なにをしているの……?」
声が震える。
いや、震えているのは身体か。
「エリー、だめ、にげて……」
青ざめた顔で、地面に身体を押し付けられたままリアムが掠れた声で言う。
こちらに気づいた男が、リアムの首筋にナイフの切っ先を当てたまま私を見て眉をひそめた。
「おい、なんでこの女がここにいる」
男が冷徹な声を発すると、周囲にいた男たちが面白がるような顔で「もしかしてあいつらやられたのか?」とか「女に負けるなど一生の笑いものだ」とか、まるで他人事のように嗤う。
「まぁいい。こいつを殺ったら次は女だ」
気づいた時にはリアムにナイフを向けた男の横っ面に、飛び蹴りを叩き込んでいた。
吹き飛んだ男が、木の幹に叩きつけられて止まる。
突然の出来事に、唖然とした男たちを無視して屈み込む。
「遅くなってごめんなさい、怖かったわね」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたリアムを優しく抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。
「エリー、エリー……」
震える手でしがみつき、何度も私の名前を呼ぶ。
どれだけ怖かっただろう。どれだけ悲しかっただろう。
こんな最低な場所から、今すぐ遠くへ引き離してあげたいけれど。
「そのまま掴まってて」
リアムを抱えたまま、一番高い木を一息に駆け上る。
「あッ、おい貴様っ」
一早く正気に戻ったらしい男の鋭い声が遠ざかる。
他の男たちも「降りてこい!」と騒ぎ始めた。
「終わるまでここにいて」
リアムを太い幹に座らせて、優しく微笑む。
返事を待たずに飛び降りる。
殺気を滲ませた男が数人。
庭に現れた連中とよく似た雰囲気だ。
だけどそんなことはどうでもいい。
問題なのは。
少し離れた木のそばにいるセレスティアの存在だ。
怯えて動けなくなっているのではない。
うんざりしたような、面倒なことが起きたとでもいうような余裕のある表情だ。
ああ、そういうこと。
この騒動を仕組んだのはこの女なのだ。
直感した瞬間、頭の奥でぶつりと何かが切れる音がした。
誰かが陣形を展開しろと叫んだ。
かまわず一番近くの一人へ踏み込む。
こちらの動きに気づいて構え直すより速く、剣を弾き飛ばし鳩尾に掌底を叩き込む。
返す足で次の男の懐へ。
全身の血がふつふつと煮え滾るように熱いのに、不思議なくらい頭の芯は冷えていた。
身体がやけに軽い。小指の先まで力が漲っているようだ。
私、こんなに動けたかしら。
戦いながら、どこか他人事のように自分を分析している。
きっと今までは、無意識のうちに力を抑え込む枷のようなものを嵌めていたのだろう。
それが怒りで壊れてしまった。
相手の動きがゆっくりと見える。
次にどこへ剣が来るのか、見るより先に分かった。
まるで私がそう動くように誘導しているかのような気さえしてくる。
今なら何でもできる気がして、それがたまらなく気持ちよかった。
この男たちは庭の連中よりもさらに強い。
拳を合わせれば分かる、実力者ぞろいだ。
それが分かるのに、少しも脅威に感じない。
取るに足らないとすら思ってしまう。
木の陰に逃げ込んだ男ごと木を薙ぎ倒す。
悲鳴。逃げ惑う足音。
それらすべてをねじ伏せ地面に沈めていく。
模擬剣はもう必要なかった。
私には何よりも強い手と足があるから。
最後の一人が倒れた時、あたりはまるで竜巻が通り過ぎたあとのようになっていた。
リアムのいる木だけを残して周囲の木々はなぎ倒され、男たちが折り重なって伸びている。
声を発するものはもういない。
静かになった雑木林の中で、ただ一人意識のある人間に視線を向ける。
セレスティアは腰を抜かしてへたり込んでいた。
私はゆっくりと歩み寄り、その胸倉を掴んで無理やり立ち上がらせる。
「大丈夫。誰も殺してはおりません。安心してくださいね」
にっこりと微笑みかけると、ガクガクと震えるセレスティアの顔がホッと緩みかけた。
「でもあなたは殺すわ」
「ひぃっ」
真顔に戻ると、セレスティアが無様な悲鳴を上げた。
拳を振り上げる。迷いはなかった。
「ダメ!」
背後に愛しい声が聞こえて、顔面を潰そうとしていた手が止まる。
「エリー、おねがい、まって……!」
自力で木から降りてきたのだろう。
ヨタヨタと近づいてきたリアムが、セレスティアを掴み上げている私の手にそっと触れる。
母親の窮地にいてもたってもいられなかったのだろうか。
自分を殺そうとした人間でも、母親というだけでそんなにも。
その母親を目の前で殺そうとした私なんて、もう師匠とすら思いたくないに違いない。
振り上げた手が、ゆるゆると力なく下がっていく。
さっきまであんなに冴えわたっていた思考がぐちゃぐちゃだ。
「ころしちゃダメだ。ころしたらエリーがつかまっちゃう」
リアムは泣きながら、私に抱きついていた。
「リアム……!」
止めたのは、私のためだったのか。
今リアムを泣かせているのは、この女ではなく私の方だ。
そう気づいたら急に頭が冷えた。
私はセレスティアをポイと放り捨ててリアムを抱き上げた。
「エリー、ボクをおいてかないで、おねがい」
「ごめんなさい、もうしないわ。あなたを置いていなくなったりしないから」
心から謝りながら、何度もリアムの頭を撫でる。
「あなたはこっちが危険って気づいていたのよね?」
確かめるように聞くと、リアムが泣きながら頷いた。
「母様に、そっちはこわいから行きたくないって、なんどもいったのに……だいじょうぶ、すぐにこわくなくなるからって……」
しゃくり上げながら話すリアムの細い腕には、力づくで連れ込まれた証拠のように、爪の食い込んだ痕がうっすらと血を滲ませていた。
それ以上は、言葉にならなかった。
再び頭に血が上りかけるのを懸命に堪える。
セレスティアは腰が抜けたのか、ひいひいと情けない声を上げながら地面を這いずるように逃げていく。
殺意は消えていない。
だけどリアムをこれ以上泣かせたくはない。
私はリアムを強く抱きしめて、彼だけに意識を集中させた。
リアムも私の首にしがみついて、逃げようとする母親を一度も見ることなくしばらくすすり泣いていた。
遠くから、馬蹄の音が近づいてくるのが聞こえていた。




