32.母親VS継母
結局その日は、一度もリアムと訓練ができなかった。
セレスティアが一日中リアムを囲い込んで離さなかったのだ。
それどころか、昼食と夕食で顔を合わせてもリアムが私に話しかけようとするたびにセレスティアが遮って、会話ひとつ交わせないまま一日が終わってしまった。
唯一の戦果といえば、セレスティアがよそ見をした時にウィンクを交わし合えたことくらいだ。
言葉はなくとも、師弟の絆はたしかにある。
そう信じられたのは収穫だった。
それにしても、あとどれくらいこんな日が続くのだろう。
想像してうんざりする。まだたった一日だ。
それなのにもうリアム不足に耐え切れず暴れそうになっている。
アレクシスの仕事を尊重する気持ちはあるのに、うんざりした気分でベッドに倒れ込む。
リアムが、セレスティアだけでなく私にまで気を遣っているという状況もつらい。
まだ八歳なのに、今の状況が自分を中心に複雑化していることを理解し、何も気にせず母親に甘えたいはずなのに私という外部因子に遠慮してそうできずにいる。
私が「気にしなくていいのよ」と言ったところで無理だろう。
あの子は心根の優しい子だから。
リアムのあどけない笑顔を思い出して、ふわりと胸が暖かくなる。
ようやくモヤモヤした気持ちが少し晴れそうになったところで、廊下から足音が聞こえた。
どの使用人とも違う、聞き慣れない足音。
すぐにセレスティアだと分かった。
足音は迷いなく近づいてきて、私の部屋の前で止まる。
すでに起き上がっていた私は、ノックをされる前に自分からドアを開けた。
「あら、ちょうどよかった。あなたにお話があるの」
用があって部屋を出るタイミングだと思ったらしい。それなのにセレスティアは悪びれもせずズカズカと部屋に入り込んできて、無遠慮にソファへ腰掛けた。
自分の用件が優先されて当然と思っているのだろう。
「意外ですわね。私の存在を覚えてらしたなんて」
思わず嫌味が出る。
食堂でも、廊下ですれ違っても、視線ひとつ寄越さなかったのだ。
まるで私が見えていないとでも言いたげに。
「だってあなた、わたくしのこと睨んでくるんだもの。おそろしくて」
ちっとも怖がっていない様子で、セレスティアは可愛らしく肩を竦める。
そのままソファでくつろぎながら続けた。
「ねぇ、この部屋を返してくださらない? わたくしの部屋なの」
まるで当然の権利のように言われて面食らってしまう。
「アレクもそれを望んでいるわ。だって何もかもわたくしが出て行った時のままだもの」
セレスティアはクスクスと嬉しそうに笑って、うっとりと目を細める。
「きっとわたくしがいなくなって、ようやく大切だということに気づいたのね。あなたも見ていたでしょう? わたくしの話を真剣に聞いてくれていたのを」
あれはセレスティアの真意を測っていただけ。
だけどこのことは彼女に知られてはいけないから。
「部屋がそのままなのは、アレクシス様が好きに変えていいとおっしゃったのを私が面倒で放置していただけです」
アレクシスの意図は隠して、この部屋の状態は私の怠惰によるものだという事実だけ伝える。
これだって本当は言う必要はないのだけど、少しムキになってしまった。
どうやら私は彼女のことが嫌いみたいだ。
「それより今は私の夫ですので、馴れ馴れしくアレクと呼ぶのはやめていただけます?」
大人げないのは承知の上で、我慢していた分、一度反論したら止まらなくなった。
アレクシスだって、ディートリヒに愛称はやめろと要求していたのだ。妻として当然の要求のはず。
自信をもって言い返すと、セレスティアはびっくりした顔で固まった。
第一王女という立場上、言い返されたことなどないのかもしれない。
「……あなた、もしかしてわたくしが誰か知らないの?」
「死んだはずの第一王女様ですよね?」
「なんだ、知っていたの」
セレスティアは気を取り直したように、勝ち誇った顔で胸を張った。
「そうよ。お父様がわたくしを守るために、そういうことにしてくださったの。わたくしを愛しているから。分かるでしょう? わたくしが望めば、すべて叶えてくださるのよ」
なんだかとっても聞き覚えのあるセリフだ。
反射的に真顔になってしまう。
フィオナに比べれば多少上品な言い方ではあるけれど。
贔屓されて生きてきた人間特有の傲慢さには辟易してしまう。
「あなたが拒否したって関係ないわ。わたくしが騎士団に頼めば、あなたを捕らえて投獄することだってできるのよ」
一体、何の罪で捕らえるというのだろう。
思いつかないけれど、たしかに彼女は罪をでっち上げて投獄させてしまうだけの権力はあるのだろう。
そしてきっと、今までもそういうことをしてきた。
実際に手は下さなかったとしても、今みたいに脅してきたに違いない。
だって言いなれた口調だったから。
「たとえ精鋭部隊が私を無実の罪で捕らえようとするとしても」
だけどそれが単純に力づくで、という脅しなら、私にはまったく効果がない。
「すべて返り討ちにしてさしあげますわ」
にこりと微笑みながら言うと、セレスティアがわずかに怯んだ。
強がりではなく、本気なのだと伝わったらしい。
まったく腹立たしいことこの上ない。
彼女みたいに権力を振りかざして威張ってきた人たちのせいで、夫は必要以上の苦労を背負い込んできたのだ。
「……ねぇ、お願いよ」
戦法を変えたのか、セレスティアは悲哀を誘うような表情になった。
「望まぬ結婚なのでしょう? どうか分かってちょうだい。あの子には本当の母親が必要なの」
今度はリアムを引き合いに出す卑怯さに、怒りがさらに増していく。
「まだ若いあなたにとっては邪魔なはず。お金ならいくらでもあげるわ。アレクも譲るから、どうかリアムだけは返して」
何を言っているのだろう、この人は。
リアムが邪魔? ありえない。アレクシスは彼女の付属品じゃないし、お金だって自分で生きていけるくらいはきっと稼げる自信がついた。
言い返したい言葉があとからあとからあふれてくる。
それに彼女の言うことは矛盾だらけだ。
だってこの屋敷に帰りたいのなら、アレクシスと復縁しなければ無理だ。
ここは彼が継いだクロイツ侯爵家のものなのだから。
お金ならいくらでもあるというのもおかしい。
身一つで逃げてきた、死んだはずの王女様のどこにそんな財力があるというのか。
それになにより、リアムだけはと言う割に、食事中も自分のかわいそうな身の上話ばかりでリアムと離れていた間のことを聞こうともしなかった。
どんな事情があったにせよ、リアムに寂しい思いをさせたのに、自分は悪くないという言い訳ばかりで、一言だってリアムに謝っていないくせに。
アレクシスの言う通りなのだとしたら、嘘に嘘を重ね続けて整合性が取れなくなってしまっているのではないか。
そして本人はその矛盾に気づけなくなってしまっている。
結局、彼女は保身しか考えていない。
それでも。
「リアムが望むなのら、考えますわ」
静かに答える。
リアムが母親を必要とするなら。
すべてのわだかまりを飲み込んで、笑顔でこの家を出ていってあげられる。
「ですがそうでないなら、私はあなたと戦うことにします」
これまでディートリヒの教えを守って控えめに生きてきたけれど、こればかりはおとなしく負けを認めることはできない。
だってリアムの人生がかかっている。
彼を不幸にしないためなら、私は怪物にだってなれる。
「わたくしの言うことが聞けないというの!? 伯爵家風情が何様のつもりよ!」
とうとう馬脚をあらわしたのか、セレスティアがわめき出す。
淑女の下の本当の顔を見ることができて、少しだけこの二日間の溜飲が下がった。
「さて、もう遅い時間ですので客室におかえりくださる?」
「嫌よ! ここはわたくしの部屋なんだから! 出ていくのはあなたよ!」
「はぁ……困ったお客様ですこと」
私はため息をついて立ち上がり、我が物顔でソファに居座るセレスティアの首根っこを掴んでひょいと持ち上げた。
「いやぁ! 何をする気よこの暴力女! 信じられない! 放しなさいよ!」
暴れるのにもかまわずそのまま廊下へ運び出し、ポイと乱暴に床に下ろした。
「なっ、な、なによ、あんたなんか……」
ぺたんとへたり込むセレスティアに、にっこりと微笑みかける。
「ではおやすみなさいませ。また明日」
ドアを閉めて、素早く鍵をかける。
しばらく何か喚く声が聞こえていたけれど、無視をしてベッドへ戻った。
目を閉じる頃にはもうセレスティアのことはどうでもよくなっていた。
ただリアムの胸中を思って、胸が痛かった。




