31.相性最悪の妻
朝食を終えると、セレスティアは待ちきれない様子でリアムの手を引いて食堂を出て行った。
リアムが不安げにこちらを振り返る。
安心させるように頷いてみせると、少しだけ表情を緩めて母親に視線を戻した。
「行こうか」
二人の姿が廊下の先へ消えるのを待って、アレクシスが席を立つ。
私は頷いて、彼のあとについて執務室へ向かった。
執務室のソファに向かい合って座るなり、アレクシスが頭を下げた。
「すまなかった」
「アレクシス様が謝ることではございません」
「いや、君に嫌な思いをさせた。少し混乱して態度を決めかねていた。不安にさせてすまない」
深々と下げられた頭に、慌てて首を振る。
「リアムのことはハインツに見させている。彼女と二人きりにはさせないから、ひとまず安心してほしい」
「……ありがとうございます」
それを聞いて、強張っていた肩から少し力が抜けた。
「リアムの前で明確な拒絶を示すことが正しいのか判断がつかず……」
あれでも一応リアムの母親だからな、と不服そうにこぼす。
「リアムが傷つかないことが最優先でかまいません」
むしろセレスティアを拒絶するという選択肢があったのかと驚いているくらいだ。
「面倒なことに巻き込んで申し訳ない。ただ、セレスティアの言う通り、宰相としての立場上これ以上宮廷を乱すわけにはいかない。住むところが見つかるまで、彼女をここに滞在させてもいいだろうか」
「この屋敷の主人はあなたですから」
無理やり押し付けられた政略結婚の妻に決定権などあるはずもないと、苦笑して答える。
正直なところ、昨夜の時点でそうなるのではという予想はできていた。
セレスティアのような高貴で繊細な女性が野宿などできるはずもないし、かといって街の宿に一人泊まらせるのも危険だ。
「君もこの屋敷の女主人だろう」
当たり前のように言われて、じわりと嬉しくなる。
けれどどちらにせよ、セレスティアをこの屋敷にとどまらせるのが最善なのだろうと思う。
「従者の方がセレスティア様に執着して、連れ戻しに来たら大変ですものね」
最悪の状況を考えて答えると、アレクシスがまた難しい顔になった。
「違うんですの?」
「分からない……が、大方金が尽きて貧乏暮らしに耐えられなくなったというところだろう」
アレクシスは長い息を吐いて、額を押さえた。
その言葉に混乱する。
「セレスティア様の説明に嘘があった、と?」
とてもそうは思えない。
だって彼女の話を聞いても、アレクシスは眉ひとつ動かさなかったのだ。
それにアレクシスのギフトほどではないが、私の目は微細な表情筋の動きや発汗を見つけられる。
注意深く見ていれば、ある程度の嘘や違和感に気づくことができるのだ。
その目をもってしても、セレスティアが嘘をついたり演技をしているようには見えなかった。
私の疑問を感じたのか、アレクシスが苦笑する。
「俺のギフトも万能ではなくてな」
そもそも真実を見抜けない点からして万能ではないか、と自嘲して、言葉を探すように視線をさまよわせた。
「……昨日の話に、たしかに雑音はなかった。だがあれは昔から自分に都合のいいように事実を捻じ曲げてしまう癖がある。いや、性質と言った方がいいか」
「嘘が嘘でなくなる、ということですか?」
「ああ。自分でもそれが真実だと信じ込んでしまうんだ。その作り話に合せて事実が歪んでいく」
「それでアレクシス様のギフトが……」
「本人の中では嘘はないから、俺のギフトでは測れない。相性が最悪なんだ」
苦渋に満ちた顔で言われて、朝食の席で覚えた違和感を思い出す。
「……実は、私も気になっていたことがあるのです」
セレスティアの上質な服。手入れの行き届いた髪や整えられた爪のこと。
「監禁されて何も与えられなかったというわりに、セレスティア様は衰弱していませんでした」
実際に何度も監禁に近いことをされていた私からすれば、何もかもが不自然だ。
冷静になった今、はっきりと分かる。
「俺も同じ考えだ」
アレクシスが頷く。
「今までのことを思えば、事実はおそらくこうだ。駆け落ちは本当で、この屋敷から持ち出した貴金属や金を使い果たし、庶民ごっこに飽きて戻ってきた」
確信のあるきっぱりとした口調だった。むしろ嫌悪さえ滲んでいる。
「憤慨した同僚たちによって従者の悪評はあちこちに広められたらしい。紹介状もないし、ロクな働き口はなかったはずだ。転々としていたのはそのせいだろうな。あれには自分が働くという発想すらないだろうし、チヤホヤされない状況も許せなかったはずだ。それでも数年耐えたのは、さすがに自分のやらかしたことの重さを分かっていたからだろう。死んだことになっている以上、王宮には戻りたくても戻れない。だが陛下が倒れられたという情報を聞きつけて、今ならいけると踏んだ。そんなところだろうな」
一部の貴族しか知らないはずの情報なんだがな、と凶悪な顔になる夫に同情しつつ、私はセレスティアがどんな人間かというのが徐々に分かり始めていた。
「では昨日のお話は……」
「事実を認めれば屋敷に戻れないことは明白だ。だからリアムを味方につけることにしたのだろう。そのために自分を犠牲にしたという美談を作り上げた」
「それをご自身でも信じ込んでしまった、と」
「さぞ気持ちよかっただろうな。陶酔しがいのある美しい物語だ。ふざけやがって」
皮肉気に唇を歪め、アレクシスの声が一段低くなる。
「あれは産んだら役目を果たしたとばかりにリアムに見向きもしなくなった。リアムが遠慮がちに甘えても、邪魔だあっちへ行け、汚い、うるさいと鬱陶しげに追い払った。気が向いた時だけ着せ替え人形のように構って、飽きたら放り出す。ペットのように扱っていたのは、セレスティアの方だ」
朝食の席での言葉を思い出して、膝の上の手を握り締める。
自分がそうだったからこそ、あんな言葉が出てきたのか。
母親の情を求めたリアムが、ないがしろにされて悲しんでいるのを想像して胸が痛む。
「君は違う。リアムを一人の男としてちゃんと認めて育ててくれている。だからあれの言うことは気にするな」
まっすぐに目を見て言われて、鼻の奥がツンとした。
産んだことがないから分からないのだと、胸に刺さったままだったトゲがすっと抜けていく。
「リアムは幼い。母を恋しがる気持ちは分かる。離れている期間が長かった分、多少の美化もある。気まぐれに可愛がられた記憶ばかりが残っているのだろう」
アレクシスが重いため息をついた。
その幻想を、わざわざリアムの目の前で叩き壊すような人ではない。
だからこそ表立って私の味方をするわけにもいかず、板挟みになって苦しんでいる。
それなのにセレスティアの言葉が過ぎた時は反論してくれた。
それだけでもう十分だ。
「ですが、あまりにもタイミングがよすぎますわね。悪すぎる、と言うべきでしょうか」
「やはりそう思うか。陛下の件も、内通者の件もある。尻尾を掴むためあえて泳がせようと考えているが、それには君の協力が必要だ」
アレクシスが申し訳なさそうに言う。
けれど私にとって、それはもはや頼まれるようなことではなくなっていた。
「リアムを守ることでしたら、命を懸けられますわ」
得意になって笑いながら言う。
「君は本当に頼もしいな」
つられたように、アレクシスから深刻な表情が消えて笑顔になる。
「だがそれだけではなく……油断させるため、セレスティアに味方するような場面もあるだろう。庇ってやれないこともきっと」
「構いません。事情は分かりましたから」
「尻尾を出せばすぐに追い出す。心配しなくていい」
力強く言われて、私は曖昧な笑みを返した。
アレクシスは全面的に私の味方でいてくれる。
それが分かって胸が温かくなるのに。
リアムに母親が必要なら、出て行くのは自分の方かもしれない。
その考えだけがどうしても消えてくれなかった。




