30.違和感
ロクに寝つけぬまま朝を迎えて、ひどい気分でのろのろと身を起こす。
ノックの音に返事をすると、「おはようございます、奥様」とメイドが入ってきた。
いつもの侍女ではない。
戸惑う私に気づいて、彼女は慌てて口を開いた。
「ルーナはもともとセレスティア様付きの侍女でしたので、一時的にセレスティア様のお世話を……ご不便をおかけして申し訳ありません」
「ああ、そうなのね。わざわざありがとう」
ぺこりと頭を下げられて、ぎこちなく笑顔を作る。
考えてみれば、セレスティアに侍女がつくのは当たり前だ。
亡くなったことにされていたと言っても第一王女であることは変わらないのだし、前の女主人なのだ。
その上本人に非があったわけではないと判明したなら、ルーナも元の主人につきたいと思うだろう。
それに放っておかれたわけではない。
代理として別の侍女をつけてもらえているのだから、文句なんてあるわけもない。
だけど。
リアムとアレクシスだけでなく、ルーナまでも。
横取りされたような気持ちになって、すぐに思い直す。
もともと、この屋敷にあるものはすべてセレスティアのものだったのだ。
私が何か言う権利などありはしない。
「あの……お気に召しませんでしたでしょうか」
黙り込んだ私の顔色を見て、侍女が申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「まさか。むしろ他にもお仕事があるのにごめんなさいね」
必要以上に落ち込まないよう気持ちを切り替えて、微笑みを返す。
支度を手伝ってもらい、食堂へ向かった。
中に入ると、いつもの席に無表情のアレクシスとじっとおとなしくうつむいているリアムが着席していた。
リアムの隣には上機嫌にお喋りしているセレスティアが座っている。
そこは私の席だったのに。
言いたい気持ちをグッとこらえて、アレクシスの隣に用意された席に無言で座った。
彼らから見ても、リアムの母親はセレスティアなのだ。
そう思い知らされているようで気持ちが沈む。
「……お待たせいたしましたわ」
そう突きつけられたようで、ぎこちなく笑顔を作る。
それを合図に朝食が始まった。
「久しぶりにまともな食事ができて嬉しいわ!」
気まずい顔の私たちとは裏腹に、セレスティアは一口ごとに大喜びした。
数年の軟禁生活を経た後でも上品な手つきを見て、テーブルマナーは身に沁みついているようだとどうでもいいことを思う。
「それにアレクとリアムとまた一緒に食事ができるなんて。なんて幸せなのかしら」
苦手なものが多いのだろう、偏りを見せ始めた皿をなんとなく眺めながら、偏食を咎める人がいなかったのだろう彼女のこれまでを想像する。
「あの人との暮らしは本当に最低で……犬の餌のように粗末な食事ばかりでとても惨めだった……」
大きな青い瞳に、また涙が盛り上がる。
「お洋服も最低限。髪飾りすら買えず、デザートなんて夢のまた夢……」
ぽろりと、陶器の肌を真珠が伝う。
それを恥じるように、白魚の指先がサッと拭った。
ふと、鼻をすする音が聞こえて反射的に周囲を見回す。
給仕のメイドが一人、セレスティアの言葉に涙ぐんでいるのが見えた。
思わず眉間にシワが寄る。
だって彼女は私に前妻の理不尽を訴えてきたうちの一人だ。
セレスティアが戻ってきたと聞いた時だって、苦虫を嚙み潰したような顔をしていたはずなのに。
もしかしたらセレスティアの言葉には、何か人の心を溶かすようなおかしな力があるのではないか。
「ごめんなさいね、せっかくのお食事中に。さぁみんな、もっと楽しいお話をしましょう」
そう言って健気に微笑むセレスティアに、強烈な違和感を覚える。
なぜだろう? なにかがおかしい。
お気に入りを取られたのが悔しくて、セレスティアに難癖をつけたくなっているだけかもしれない。
だけど。
ちらりとアレクシスの顔色を伺う。
やはり健康的な色だ。
セレスティアの出現に戸惑ったのか、多少の寝不足を感じるクマが見えるが、食事のペースも落ちていない。
だからセレスティアが嘘をついているわけではないはず。
なのになにがこんなに納得できないのだろう。
食事の手を止めずに考える。
そうだ、昨夜のセレスティアの服。
確かに第一王女が着るものとしてはとても質素だったけれど、素材は上質でデザインも洗練されていた。
流行はまだ分からないけれど、アレクシスから良いものをたくさん与えられてきた私の目はかなり肥えてきている。
ここに来るまでに親から与えられていたものとは比べるまでもない。
近くで見ずとも、ギフトで強化されたこの目に、その差は歴然としていた。
それにあの豊かな銀髪。なめらかな頬。整えられた爪。
どれも美しく保つには、手間とお金がかかるはずなのに。
監禁状態で何も与えられないひどい生活だったというのは、本当なのだろうか。
「エリシア」
囁く声に、耳が反応する。
「食事の後で話がある」
誰にも聞き取れない小さな声。
アレクシスはなんの感情も読み取れない無表情で黙々と食事を進めながら、たしかにそう言った。
聞かれたくないのはセレスティアかリアムか。
すぐに察して、私は了承の代わりにテーブルの下でアレクシスの靴先に自分の靴をそっとぶつけた。
「ねぇリアム。あとでお母様とお買い物に行きましょう? わたくしに似合うドレスを選んでちょうだい」
「えと、でも……」
リアムも、最近のおしゃべりが嘘のように静かだ。
けれどその視線は、ずっとセレスティアを気にして揺れていた。
「このあと、くんれんがあるから」
「訓練? お勉強のこと?」
「ううん、剣とか、ナイフとかのくんれん」
セレスティアに褒められたかったのだろう。
控えめながらその言葉と表情には誇らしさがあって、そんな場合ではないというのに少し微笑ましい気持ちになる。
「信じられない! そんなことをさせているの!?」
けれどセレスティアは顔を青くして悲鳴のように叫んだ。
「なにを考えているのよアレク! こんな小さな子供にそんな危ないことを!」
「部外者が我が家の教育方針に口を出さないでくれるか」
「部外者だなんてひどい! わたくしはリアムの母親なのよ⁉」
目の前で始まった口論に、リアムが泣きそうな顔になる。
「で、でも母様、ボク、ちゃんとできるんだ、それにあぶないことはエリーが守って」
「あなたがやらせているのね!?」
自分が引き金になってしまったと悔いているのだろう、懸命にセレスティアを宥めようとしたリアムの言葉を遮って、セレスティアが私を睨みつける。
「リアムはまだ赤ちゃんなのに! そんな野蛮なことさせるなんて最低よ!」
「ちがっ、母様エリーは、ボクがかってにっ」
「いいのよリアム」
私を庇うためにリアムが自分を悪者にしようとしている。
その気配を感じて、安心させるように笑顔で止める。
「そうですセレスティア様。アレクシス様ではなく、私の判断でリアム様を鍛えています」
「なんて人なの!? リアムはペットじゃないのよ! 芸を仕込みたいなら犬でやって!」
「決してそんなふうに思ったことは」
嘲りを含んだセレスティアの言葉に、グッと拳を握り締める。
芸などではない。リアムが自分の身を守るために必要なことだ。
内通者がいても、私がいなくなっても、理不尽に命を奪われないように。
「子供は大人が大切に守るべきよ。ご自分で産んだことがないから分からないのでしょうね。可哀そうな人」
「セレスティア! 言葉が過ぎるぞ!」
アレクシスが鋭い声で叱責する。
「な、なによ、本当のことじゃないっ、どうせあなたたち愛し合ったことなんてないのでしょう!?」
叱られたのが悔しかったのか、セレスティアが目を潤ませながら反論する。
その言葉がぐさりと胸を刺した。
たしかにその通りだ。私はアレクシスの形だけの妻だし、リアムの母親にさえなれない。
そんなこと、とっくに分かっていたし気にしたことなどなかったはずなのに。
「ね、ねぇもういいよ。母様、ボク、母様といっしょにお買いものに行くから」
今にも泣きそうな顔でリアムがセレスティアの袖を引く。
「まぁリアム! やっぱりお母様と一緒が一番よね!」
途端に機嫌を直したセレスティアが、リアムの肩を抱き寄せる。
「ダメだリアム。街に行くにはエリシアを同行させる約束だろう」
「でも……」
「じゃあもういい! お部屋でお話ししましょうリアム! それならいいのでしょう!?」
むくれて唇を尖らせるセレスティアに、アレクシスがため息をつく。
「……仕方ないな」
否定の言葉がないことに、私は心の中で落胆していた。




