28.突然の嵐
その日は、ここ最近では珍しくアレクシスが屋敷にいる休日だった。
久しぶりに三人で街に出かけ、帰ってから最近身体がなまっているからというアレクシスも一緒にトレーニングをした。
すぐにへばって見学に回ったアレクシスをリアムがからかっていた。
アレクシスが真面目に父の威厳について考え始めたのがおかしくて、三人でたくさん笑った。
それがいつのまにかじゃれ合いみたいになって、日が暮れるまで遊んでいた。
そうして夕食を終え、充実した一日の締めくくりに談話室で三人でお茶を飲みながら、リアムの新たな訓練メニューについて、ああでもないこうでもないと話し合っていた時のことだ。
「でもエリー、ボクもっとたくさんできるよ?」
「頑張りすぎもよくないと教えたでしょう? 一度身体を痛めたら、かばうような動きがクセになっちゃうのよ」
「もっと早くつよくなりたいんだ」
「だがリアム、いつまた襲撃があるか分からないだろう? 体力は温存しておくべきだ」
アレクシスのフォローに、リアムが「たしかに……」と一応の納得を見せる。
落としどころを見つけて、今後の訓練方針が固まったところで、にわかに玄関のほうが騒がしくなった。
複数の足音。使用人たちの狼狽したような声。
「なにかトラブルか?」
玄関のほうに注意を向けた私に、気づいたアレクシスが聞いてくる。
「誰かお客様がいらしたみたい」
「見てこよう」
アレクシスが腰を上げるより早く、談話室の扉がノックもなしに開け放たれた。
「ああ、やっぱりここにいた!」
飛び込んできたのは一人の女性だった。
姿を見た瞬間、ずしりと胃に重いなにかがのしかかるような感覚があった。
光を纏うような豊かな銀の髪。大きな青い瞳。陶器のような滑らかな肌、バラ色の頬。
年の頃は私より幾つか上だろうか。
息を切らせて頬を上気させたその顔は、宗教画から抜け出してきた天使のように清らかで美しかった。
彼女の後ろで、止めようとしたらしいハインツが真っ青な顔で立ち尽くしている。
「申し訳ございません旦那様。お止めしたのですが……」
「もう。ハインツったら、わざわざ応接室に呼び出す必要はないと言ったでしょう? お客様じゃないのだから」
たしなめるように言う女性に、珍しくハインツは困惑している。
客人ではないということはアレクシスの親族だろうか。
なんて考えるほど鈍くはない。
隣に座るリアムに視線を向ける。
彼は女性の姿を食い入るように見つめ、言葉を失っていた。
次いでアレクシスを見ると、強張った表情で固まっていた。
その顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かった。
「……なぜ、あなたがここに」
掠れた声に、女性が悲しげに微笑む。
「ごめんなさい、驚かせてしまって……でもどうしてもあなたに会いたくて」
長い睫毛に縁どられた瞳が潤む。
それを恥じらうようにまぶたを伏せた瞬間、視線がこちらへ向いた。
「――リアム!」
花が綻ぶような笑みで名前を呼ばれて、リアムの肩がびくりと跳ねた。
「ああリアム! ようやく会えた!」
女性が駆け寄ってくる。
リアムを抱き上げて逃げ出したい気持ちをグッとこらえて、拳を握り締める。
彼女はリアムの前に膝をついた。
リアムは身体を固くしたまま動かない。
呆然としたまま、抱きしめられるのを大人しく受け入れた。
「ああ、リアム、わたくしのリアム! ずっと会いたかった……もうこんなに大きくなったのね」
うっとりした声で、愛しそうにリアムの頭を撫でる。
「……え……?」
リアムは戸惑い、助けを求めて縋るような目を私に向けてきた。
だけどどうしてあげたらいいか分からない。
だって彼女はリアムの。
「どうしたのリアム。わたくしよ。分かるでしょう? あなたのお母様よ」
「かあ、さま……」
「セレスティア、一度離れなさい。リアムが混乱している」
衝撃から立ち直ったのか、アレクシスが冷静な声でたしなめる。
「嫌よ! もう離れたくない! ひどいわアレク!」
女性――セレスティアは、リアムを抱きしめたままぽろぽろと涙をこぼした。
「ごめんなさいね、ずっとひとりにして。寂しかったでしょう。もう大丈夫よ。お母様が帰ってきたから」
私は、その光景を、ただ黙って見ていることしかできなかった。
「……アレクシス様」
そっと、正面に座る夫を見る。
アレクシスは見たこともないような複雑な表情をして、低く、私にだけ聞こえる声で言った。
「……前の、妻だ」
ああ、やはり。
心臓が、嫌な音を立てた。




