25.束の間の平穏
夜会以降、平穏な日々が続いている。
ありがたいことに、私に再会したディートリヒが裏で上手く動いてくれているらしい。
クロイツ家には自分でも敵わないほど強力な護衛がいる。
第二騎士団にスカウトしたが断られた。
宰相殿に忠誠を誓っていて、下手に家族に手を出せばボロ布のようにされてしまう、と。
おかげで襲撃はぱたりと止んで、屋敷内のピリピリとした警戒ムードもすっかり緩み始めていた。
けれどリアムと私の師弟関係は相変わらずで、リアムは飽きることなく戦闘訓練に真面目に取り組んでいる。
ルーチン化した基礎訓練のおかげで剣を持つ姿は堂に入り、素手での格闘訓練もだいぶ板についてきた。
「ねぇエリー、完全にキケンがなくなってもボクの師匠でいてくれる?」
「ええもちろん。あなたが望むならいつまででも」
果敢に攻めながらお喋りする余裕まで身に着けたリアムの、拳を受けながら私は笑顔で頷く。
よく動きよく食べよく寝るからだろう。
リアムの身体にはバランスよく筋肉がついて、この半年で少し大きくなったように感じる。
「でもどうかしら、リアムは本当に成長が速いから、私なんてすぐに必要なくなってしまうかも」
「そんなことない、よっ!」
飛び上がって回し蹴りをしながら、リアムが心外そうに反論する。
私はそれを片手でいなして、「上手!」と褒めつつその足首を掴んでリアムを放り投げた。
「ちぇっ、ダメだったか」
不意を突いた気でいたリアムが、受け身を取って地面に着地してから悔しそうに不貞腐れる。
「今のはなかなか惜しかったわ。敵の死角で踏み切ると成功率は上がるわよ」
「はーい」
がっかりしたのを隠しもせず、けれど素直に頷いてブツブツと今の反省点をおさらいしている。
リアムは格闘センスがあるだけでなく、知識の吸収にも貪欲だ。
このままいけば、本当に第二騎士団に最年少で配属されるかもしれない。
「お二人とも、そろそろご休憩されてはいかがですかな」
屋敷から出てきた老執事のハインツが、再び向かい合って構えようとした私たちをやんわりと止める。
「ハインツ、旦那様に見張りを頼まれたわね?」
「はて、どうでしたかな」
笑いながら責めるような口調で言うと、ハインツは否定も肯定もせず、茶目っ気たっぷりに片眉を上げて笑った。
「もう父上ったら! お城にいるあいだは全力でやれるっておもったのに!」
口では憤慨しているくせに、表情は嬉しそうだ。
離れていても、いつだってリアムを気にかけてくれているのが嬉しいのだろう。
ここのところ、陛下の容態に変化があったらしくアレクシスはまた不在がちだ。
それを寂しく思うくらいには、彼のいる生活が当たり前になっていた。
「先ほど使いの者が来まして、旦那様は本日の夕食には帰れるそうですよ」
「ホントに!?」
ハインツの報告に、リアムの顔がパッと輝く。
「きいたエリー!? 父上がかえってくるって!」
「ええ聞こえていましたとも。私の耳はリアムの五百倍聞き取れるんだから」
「五百倍も!?」
すごい! と素直に尊敬のまなざしを向けるリアムに罪悪感が刺激され、すぐにネタばらしをする。
「ごめんなさい、せいぜい五倍くらいかも」
「それでもすごいよ! さすがエリー!」
屈託なく笑うリアムをぎゅっと抱きしめて、思わず「かわいい!」と叫ぶ。
「かっこいいの方がうれしいんだけど」
不服そうに言うけれど、リアムは緩い腕の拘束から逃げようとはしなかった。
「では午後の予定を早めてこれから出かけましょうか」
「うん! じゃあすぐきがえてくるね! 行こうハインツ!」
嬉しそうに返事をして、リアムがハインツの手を取り駆け出す。
「おやおや、お待ちくだされ坊ちゃま!」
老体に鞭打つように慌ててついていくハインツに少し同情しつつ、嬉しそうなリアムに微笑ましくなる。
「ねぇルーナ、悪いのだけど、準備を手伝ってくれる?」
「もちろんですわ奥様」
休憩のお茶を淹れるために待機してくれていた侍女が、嫌な顔ひとつせず返事をして片付けを始める。
私は率先して大荷物を担ぎ上げ、リアムに負けないよう急いで外出の準備を整えた。
忙しいアレクシスに、なにか贈り物をしたいと提案したのはリアムだ。
そういえばいつも与えられるばかりで、私から何か贈ったことがないと気づいたのはその時だった。
もちろんお金の出どころはアレクシスの懐からなのだけど、それでも彼のために何か選ぶのは楽しそうだと思って、リアムと一緒に街で贈り物をしようと約束していたのだ。
「父上、よろこんでくれるかな」
「絶対大丈夫よ。感激しすぎて泣いちゃうかも」
「えー? ホントにぃ?」
買ったばかりのプレゼントの包みを抱えて、リアムが嬉しそうにくすくすと笑う。
「……エリー」
その愛らしい表情が、すっと消えて前方に視線が固定される。
さりげなく進路を変更しようとしていたけれど、リアムもすでに気が付いていたらしい。
本当に、成長が速くて嬉しいやら困るやら、だ。
「お楽しみ中悪いんだがなぁ。オレたちの相手もしてくれや」
「……はぁー」
せっかく幸福に満たされていたのに、無遠慮に立ち入る存在が現れてついため息とともに半眼になってしまう。
人数はたったの三人。
舐められたものだ。質も今までで一番悪い。
「ごめんなさいリアム、ちょっと持っていてくれる?」
さっさと片付けてしまおうと、アレクシスのために選んだプレゼントをリアムに渡そうとする。
けれど彼はふるふると首を振った。
「リアム?」
「エリー、おねがいがあるんだ」
意志の強い目で見上げてくる。
それだけで何を言われるのか予想がついて、私は視線を合わせるようにリアムの前に屈んだ。
「なにかしら。言ってごらんなさい」
「おいおいオレらのことは無視かぁ?」
冷やかすような声が割り込んでくる無粋な声にちらりと視線を向け、すぐにリアムに戻す。
「ボクにもたたかわせて」
真剣で切実な目だ。虚栄心や功名心ではない。
自分の実力を見誤って驕り高ぶっているわけでもない。
状況を冷静に判断して発言している。
ああこの子はいつの間にこんなに頼もしい顔をするようになったのだろう。
「ええ、いいわ」
「ホント!?」
断られると思ったのだろう。
意外そうに見開かれた目がキラキラと輝いている。
この子の努力を私は誰よりも知っている。
来る日も来る日も文句ひとつ言わずに剣を振り続けてきたリアムは、もうそこらの大人になど負けない。
それに何より。
この子の「やりたい」という気持ちを、頭ごなしに押さえつけたくはなかった。
「ただし、私の言うことをよく聞くこと。いい?」
こくこくと、リアムが何度も頷く。
きゅっと表情を引き締めたリアムの顔にはもう、柔らかい雰囲気はなかった。
「あなたはあの左の男に集中して」
男たちに向き直り、左側の一番ひ弱そうな男を指差す。
「おいおい、お前あの美人に気に入られたんじゃねぇかぁ?」
こちらの会話は聞こえていないようで、中央の男が冷やかすように左の男に言う。
「マジかよへへっ、いまからひぃひぃ言わせてやるぜぇ」
なぜ下衆で低俗な男というのは皆言うことが同じなのだろう。
うんざりしてため息をつく。
リアムに聞こえていないことだけが救いだ。
「あとの二人は私が。大丈夫、落ち着いて。あなたはもうちゃんと戦えるから」
「わかった」
緊張を滲ませながらも素直に頷くリアムに、にこりと笑いかけて立ち上がる。
「では始めましょうか」
言い終わるのと同時に走り出す。
リアムも遅れずついてきているのを確認して、突然のことにまったく対処できず慌てる男たちに哀れみを覚える。
私の弟子は、あなたたち程度では手に負えないの。
誇らしい気持ちを胸に、ようやく戦闘態勢に入った中央の男の顔面目掛けてハイキックをお見舞いしてやった。




