21.守りたいのは自分ではなく
いっそ本当に力ずくで黙らせてしまおうか。
その思考に流れかけて、寸前で思いとどまる。
いつの間にか周囲の注目がすっかり私たちに集まっていることに気づいたのだ。
だからこそフィオナの表情が輝いたのだということにも。
「まぁ! ダンスを披露してくださるんですか!?」
案の定、フィオナは周りに聞かせる気満々の大声で、ロクでもないことを喚き始めた。
「お姉様はダンスの名手でいらしたから、久しぶりに拝見できて嬉しいわ!」
私がダンスなど習わせてもらえなかったことをフィオナはよく知っている。
大勢の前で恥をかかせたいのは明らかだ。
そして自分は笑いものになった姉の元に駆け付けて注目を集め、泣きながら慰める。
私にとってはお姉様のダンスが一番です、なんて言いながら。
そんなダメな姉でも心から慕っている健気な妹を演じて、株を上げるつもりなのだ。
「いつも言ってらしたものね。ダンスが得意なの、って」
周囲がざわめき、期待の色を帯びていく。それを感じ取って、フィオナが醜悪な笑みを深めた。
相変わらず性根が腐っている。
少し前までの私なら、こんな安い挑発には乗らなかった。
だけど今は違う。面倒ごとを避けて引き下がれば、アレクシスにまで恥をかかせてしまうことになる。
だから、受け流すのはやめた。
大丈夫。やり方なら知っている。
目の前の性悪に、嫌というほどやられてきたから。
「あら困ったわね。私なんて、下手の横好き程度の腕前ですのに」
妹はいつも大袈裟なんです、なんて困った顔で周囲に苦笑を向ける。
「でも、妹の期待に応えるのが姉というものですものね」
姉妹の確執を知らない見物人たちが、温かい笑い声を漏らした。
フィオナが面白くなさそうに唇を歪めるのが愉快だった。
いいでしょう。あなたが私を利用する気なら、私もあなたを利用させてもらうわ。
「旦那様。お相手願えます?」
くるりと振り返り、夫を見上げる。
アレクシスは、まだ少し顔色が悪いまま、申し訳なさそうに眉を下げた。
「さっきも言ったが、君の妹の鼻を明かせるほど達者ではないぞ」
こっそり耳打ちしてくるアレクシスに、余裕の笑みを返す。
「ご心配なく。私がリードしてみせますわ」
「……男女が逆だろう」
胸を張って言い切ると、アレクシスがぽかんとしたあとで呆れたように呟く。
「うふ、いっそ私が男性パートを踊りましょうか?」
「ふっ、まったく……頼もしいことこの上ないな」
ぼやきながらも、愉快そうに笑い出す。
先ほどまでの青白い顔はどこへやら。その笑顔には少年らしい無邪気さがあって、そんな場合ではないというのにリアムとの血のつながりを感じさせて嬉しくなる。
周囲がざわめくのが聞こえた。
どうやらアレクシスの笑顔に驚いているらしい。
早くも私の狙いが効果を表し始めているのを感じて、私はフィオナに向き直り優美に微笑んでみせた。
「後悔させてあげるわ」
声に出さず、口の動きだけで宣言する。
フィオナの顔が憤怒に染まる瞬間を見届けてから、アレクシスと手を取り合いダンスフロアの中央へと進み出た。
ちょうど、次の曲が始まる。
「よりによってこの曲か」
アレクシスが顔をしかめる。
さっき見ていた中で、難易度が高いとアレクシスが評した曲だ。
つまりリアムが一番好きだと言っていた曲が、このタイミングで流れてくれるなんて。
まるでリアムが応援してくれているかのようだ。
「最高ですわね!」
自然と声が弾む。
アレクシスは目を瞬いた後で、眩しそうに目を細めて笑った。
「君がいれば無敵だな」
「ええ、なんていったって最強ですから」
最初の一歩を踏み出した瞬間から、思い描いた通りに身体が動いた。
さっき見て覚えた通り。いいえ、それ以上に。
手の位置も、足の角度も、見つめ合う視線も。誰よりも正確に、誰よりも美しく踊ることができた。
ステップも、ターンも、次にどうすればいいのか手に取るように分かる。
宣言通りアレクシスをさりげなくリードしながら、他の参加者がまごつく高難度のステップを次々とこなしていった。
最初は戸惑っていたアレクシスも、私に身を委ねると決めたのか次第に動きがなめらかになっていく。
そして曲が最高潮に達した、その瞬間。
私はアレクシスの両肩に手を置き、ふわりと宙へ飛び上がった。
アレクシスは私の腰に軽く手を添えているだけ。
抱き上げているのではない。私自身の脚力だ。
それでも傍目には、どのカップルよりも高く、美しいリフトが成功したように見えたことだろう。
ドレスの裾を花のように翻して宙に静止したかのような光景に、会場中から、どっと歓声が上がった。
ふわりと、音がしないよう優雅に着地する。
「……羽のように軽いな」
小さく苦笑するアレクシスに、私はいたずらっぽく囁き返した。
「次は旦那様を抱き上げてさしあげましょうか?」
「ぷはっ」
アレクシスが堪えきれずに噴き出す。
「それはいい。ぜひリアムに見せてやりたいものだ」
そう言って笑ったアレクシスの顔は、これまで見たどんな表情とも違っていた。
取り澄ましたところも、気遣わしげなところもない。本当に楽しくてたまらないという、屈託のない笑顔だ。
初めて見るその顔に、不思議と私の心は浮き立った。
気づけばフィオナのことなんて頭からすっかり抜け落ちていて。
私はただ、この人と踊ることが楽しくて仕方なくなっていた。
やがて曲が終わり、名残惜しさを覚えながらそっと手を離す。
その途端、割れんばかりの歓声と、惜しみない賛辞が私たちに降り注いだ。
「素晴らしい!」
「あんなダンス、初めて見たわ!」
口々に褒め称える声の渦に、ただ立ち尽くしてしまう。
これほど大勢の人に称賛されるなんて、生まれて初めてのことだった。
「ほら。歓声に応えないと」
どう振る舞えばいいのか咄嗟に判断できずその場で固まっていると、アレクシスがそっと私の肩を抱いた。
その手のぬくもりに背を押されて、私はようやく我に返り、観衆に向けてにっこりと微笑んだ。
会場の全方向へ、教わったばかりのカーテシーを丁寧に返していく。
その途中で見つけてしまった。
人垣の隅で、憎しみに燃える目でこちらを睨みつけているフィオナの姿を。
ああ、そういえば、あなたがいたのだったわね。
思い出して、わざとらしいくらいに勝ち誇った笑顔を向けてやる。
フィオナは憤怒の形相で悔しがると、まるで人々の中心にいる姉の姿など見たくないとでもいうように、ぷいと顔を背けそのまま逃げるように人だかりから離れて、あっという間に見えなくなってしまった。
「どうやら妹君は、大層お喜びのようだ」
「ええ。姉として誇らしいですわ」
周囲の人たちに怪しまれないよう軽口を言い、笑い合う。
それからは、興味津々で集まってくる貴族たちの相手に追われた。
好意的に迎えられること自体も、もちろん嬉しい。
けれどそれ以上に。
「いやまさかあの方があんなに情熱的に踊られるなんて」
「侯爵様にはどうやら誤解があったようだ」
「ええ、奥様とも息がぴったりで。強い絆を感じたわ。うらやましい」
アレクシスへ向けられていた刺々しい視線が少しずつ和らいでいくのを肌で感じて。
私の行動が、夫の評価を取り戻す一助になったらしいことが、何より嬉しかった。




