20.一人舞台
私しか見えていなかったのか、アレクシスの出現にフィオナは一瞬ムッとした顔になった。
私との間に割って入られたのが面白くなかったのだろう。
けれどアレクシスの顔を見た途端、その表情はほどけた。
「あっ、あら?」
サッと髪を整え、モジモジと両手の指を絡めて上目遣いにはにかむのを見て、思わず眉をひそめる。
これは好みの男性を前にした時の、よく見る行動だ。
「私に何かご用かしら?」
ワントーン上がった甘い声音で、フィオナ私の存在など忘れたかのようにアレクシスに問いかけた。
やけにまばたきが多いのも、それが自分を最も可愛らしく見せると経験で知っているからだ。
「君こそ、俺の妻に何の用だ」
けれど氷のように冷たい声で問い返され、フィオナの表情が強張る。
それから眉が怪訝そうにひそめられた。
「妻……? ああ、ではあなたが……!」
私とアレクシスを交互に見比べて、フィオナは勝手に何かを納得したような顔になった。
それから少し作戦を練るような間があったあと、ごく自然に目に涙を浮かべた。
相変わらず器用だ。
「お可哀想に。こんな凶暴なお姉様と結婚させられて、心から同情しますわ。お姉様が私をいじめ抜いたせいとはいえ、責任を感じてしまいます」
白々しいにもほどがある。
妹の口から流れ出る作り話に、私は思わず天を仰ぎたくなった。
アレクシスの容姿が予想外に好みだったから、自分を良く見せて同情を引くことにしたらしい。
「本当は私があなたと結婚するはずだったのに……こんなことなら初めから私があなたの元に嫁ぐべきでした。でも大切なお父様たちのもとにお姉様を残していくことはできなかったんです!」
フィオナとの縁談だなんて初耳だ。
たぶん今組み立てた嘘だろう。
健気な自分を演じるためなら、即興で脚本を書き換えるのなんてお手の物だ。
私にわざわざ教えてくれたくらいだから彼の悪評も知っているはずなのに。
その悪評を上回るほどに好みだったのか、あるいは自分が悪評を捏造する側の人間だから、実物を見て噂が嘘だと見抜いたのか。
どちらにせよ、私から奪おうとしているのが見え見えで、それがどうしようもなく不快だった。
「なんのことか分からんな」
氷点下の声のまま、アレクシスの表情に嘲りが見え始める。
幸いなことに、フィオナの策略はちっとも響いていないらしい。
その頑なな態度にこっそりホッとする。
「まぁ! もしかしてまだ本性を隠していらっしゃるの!? 信じられない」
それでもめげずにフィオナは大仰に驚いてみせて、私に軽蔑の眼差しを向けてくる。
自分がそうだからといって、私まで猫を被っていると決めつけないでほしい。
「ご存じないのなら教えてさしあげますわ。お姉様は生家で破壊の限りを尽くし、皆を怯えさせておりました。それを逆恨みして、両親に愛される私に嫉妬し大怪我を負わせて追い出されたのです」
その役者ぶりに、呆れを通り越して感心してしまう。
故意にフィオナを傷つけたことなど一度もない。怪我をしたのは、すべてフィオナの自業自得だ。
それに大抵の破壊行為は私に悪感情を向けさせるためにフィオナが仕組んだ冤罪だ。
もちろん無罪を主張しても、誰も信じてくれなかったけれど。
どれだけ事実を並べたところで、妹に勝てたためしはない。
可憐な容姿と涙さえあれば、両親はいつだってフィオナの言葉を信じたのだから。
おかげで潔白を証明するための努力が馬鹿らしくなり、うっかりテーブルを壊してしまうこともあったのだけど。
「お姉様は力と恐怖でねじ伏せるのが得意なのです。ようやくその恐怖から解放されて安堵していましたが、今度はあなたがその餌食に」
「今すぐその薄汚い口を閉じろ」
ふいに、アレクシスがぴしゃりと言い放った。
普段の彼らしからぬ強い口調に、フィオナがびくりと肩を跳ね上げる。
意外に思って、そっと夫の顔を覗き込んだ。
こめかみにはうっすらと脂汗が滲んでいる。
怒っているというより、具合が悪そうだ。
「旦那様、ここを出ましょう。例の方との面会は後日に」
心配になってアレクシスの腕を引く。
「大丈夫だ。あまりの不協和音に吐き気がしただけで」
アレクシスが安心させるように微笑む。その顔色は青褪めていて、とても大丈夫そうには見えない。
「不協和音?」
なんの話だろう。楽団の奏でる音は少しのミスもなく続いているのに。
それが不快に思えるほど体調が悪いということだろうか。
「心配しなくていい。ほら、もう汗も引いた」
そう言って私の手にそっと自分の手を重ねる。
さっきまで妹に向けていた鋭い視線とは違う、いつもの優しい目だ。
「……なぁんだ。王族殺しと怪物で、気が合っちゃった感じ?」
アレクシスに聞こえないよう、私にだけ届く小声でフィオナが嫌らしく嗤う。
その瞬間、腹の奥で炎が燃え上がるのを感じた。
どうしてだろう。
妹の嫌味なんて、飽きるほど浴びてきたのに。その稚拙な語彙に、呆れてさえいたのに。
ああ、そうか。
私に向けられた言葉ではなく、アレクシスへの侮辱だったから。
いつものように聞き流すことができなかったのだ。
「その様子だと、まだのようね」
私が黙り込んだのを別の意味に取ったのか、フィオナがつまらなそうに肩を竦めた。
「まだ?」
「騙されないでください侯爵様! 姉が何を吹き込んだか想像できますけれど、全部嘘ですから!」
なんの話、と訝しむより早く、フィオナはくるりとアレクシスに向き直り、今度は哀れみを誘うような顔を作った。
「お姉様はいつもそうなんです! 被害者ぶって、すべてを私のせいにして……!」
「……まずい、吐きそうだ」
青白い顔で泣き言を漏らすアレクシスが、あまりに気の毒で。
前に出ようとしてくれたその気持ちだけありがたく受け取って、私はすっと自分から一歩踏み出した。
「口を閉じろと言われたのが、聞こえなかったのかしら?」
にっこり笑って告げると、フィオナがムッとした顔になる。
「伯爵家の人間が、侯爵家の……しかもこの国の宰相であるアレクシス様に逆らう気?」
私は、笑みを浮かべたまま。
誰にも向けたことのない本気の殺意を少しだけ滲ませた。
「ひっ……」
さすがのフィオナも、顔を引き攣らせて後ずさる。
「ふ、フンッ。婚家の爵位で気が大きくなって、自分まで偉くなったつもり?」
怯んだ自分が悔しかったのだろう。すぐに強がって気丈に言い返してくる。
「いいえ。侯爵家の威など借りずとも」
右手を伸ばし、素早くフィオナの金属製の髪飾りを奪う。
「あなたごとき、一捻りだということを、忘れたの?」
ぎゅっと握り込み、紙細工のようにクシャクシャになった髪飾りを見せつける。
それだけで、フィオナの顔から血の気が引いた。
悔しさと怯えの入り混じった目で、フィオナが私を睨みつける。
――けれど、次の瞬間。
その顔が、不自然なほどにぱっと明るく輝いた。
私を陥れる算段を思いついた時の無邪気な表情に、嫌な予感がした。




