18.師匠の弟子の弟子
「ねえ、本当におかしくないかしら?」
姿見に映る見慣れない自分の姿に、妙な気持ちになる。
緩く結い上げられた髪に、襟元の大きく開いた藍色のドレス。
裾は歩くたびにさらりと揺れて、足首が覗く。
こんなに身体の線が出る服を着たのは初めてだ。
実家では、私の存在ごと隠すような分厚くて地味なものばかりだったから。
おかげでどんなものが流行っているのかも知らず、サイズだけ侍女に採寸してもらって、デザインから素材まですべてアレクシスに任せてしまった。
だからドレスは素晴らしいと思うが、自分に似合っているかはよく分からない。
「ええもちろんです! 完璧なプロポーションですもの、最先端のデザインがよくお似合いですわ!」
支度を手伝ってくれた侍女が、頬を紅潮させて嬉しそうに言う。
「そういうものかしら……これだと走りにくそうだけど」
「夜会で走る方はいらっしゃいません」
真顔で心配する私に、侍女が噴き出した。
そうよね、と一応納得しておく。
けれど万が一にもリアムに何かあれば、私はこのドレスのまま王宮中を駆け回るつもりだ。
その時に裾が邪魔にならないか、こっそり捌き方を確認しておく。
「奥様、本当にお綺麗です。旦那様もきっと驚かれますよ」
「驚かせてどうするの。パーティーはあくまで口実で、騎士様に怪しまれないことが重要なのよ」
ふと、その騎士の名前も役職も聞いていないことを思い出す。
まあいい、会えば分かることだ。
「とにかくありがとう。あなたのおかげで人前に出ても恥ずかしくない格好になれたわ」
心からお礼を言うと、侍女はますます顔を赤くして「もったいないお言葉です」と頭を下げた。
最後にもう一度鏡を確かめる。
鏡の中の私は別人のようだけれど、中身はいつもの私だ。
怪物と呼ばれて育った娘が、こうして夜会に出かける日がくるなんて。
人生とは分からないものねとしみじみ思いながら、私は部屋を出た。
階段の上から玄関ホールを見下ろすと、すでに支度を終えたアレクシスとリアムが待っていた。
アレクシスは普段の落ち着いた装いとは違う、黒を基調とした正装だ。
襟元や袖口にだけ銀の刺繍が控えめに入っていて、よく見ればずいぶんと手の込んだものだと分かる。
元から整った顔立ちだが、こうして隙なく装うと、なるほど第一王女が一目惚れしたという話にも頷けてしまう。
リアムも、子供用ながらきちんとした服を着せられて、めかし込んでいた。
ここのところ訓練着ばかりだったから、改まった格好を見るとちゃんと貴族の子という感じだ。
彼はパーティーには参加できないものの、屋敷に残していくのは心配で、王宮の一室で例の騎士の部下たちが護衛してくれることになっている。
「申し訳ございません、お待たせしてしまいました?」
階段を下りながら声をかけると、アレクシスがこちらを見上げて――そのまま固まった。
「旦那様?」
「……いや」
ぴたりと言葉を止めたまま、アレクシスは何かをこらえるように口元を引き結んでいる。
やはり時間をかけすぎてしまったかしら。
そうだとしたら申し訳ない。
侍女があんなに生き生きとしていたから、つい嬉しくなって止めずに任せてしまった。
「ごめんなさい、急ぎますね」
慌てて階段の手すりを乗り越える。
「うわっ! おいなにを!」
慌てふためくアレクシスを無視して飛び降り、難なく着地する。
「きゃっ」
「おっと、すまない!」
しかし目測を誤ったのか、トンとアレクシスの身体にぶつかってしまった。
「え?」
すぐに離れようとする私の身体を、アレクシスがよろけたと判断したのか腰に手が回る。
「……受け止めようとして失敗した」
余計なことをしたな、と気まずそうに詫びるアレクシスに、おかしくなって笑い出す。
「ふふっ、ありがとうございます」
少し速くなった鼓動を抑えるように、そっとアレクシスの身体を押しやる。
「こんな素敵なドレスを着るのは初めてです。いつもと勝手が違うので、支えてくださって助かりましたわ」
「ああ、うん、いや……」
「旦那様にお任せして正解でした。私には流行とか分かりませんので」
「そうか、その……よく、似合っている」
ぼそりと、絞り出すように言って、彼は視線を逸らした。その耳が、うっすらと赤い。
どうやら褒めてくれているらしい。
「まあ。ありがとうございます」
社交辞令だとしても、なんだか照れて私も思わず目を伏せてしまう。
「エリー! すっごくキレイだ!」
そんなぎこちない空気を漂わせた私たちの間に、リアムの元気な声が飛び込んできた。
「いつもは騎士さまみたいにかっこいいけど、今日は女神さまみたい!」
大仰な誉め言葉に、思わず笑みがこぼれる。
朴訥な言葉が精一杯の父親とは対照的だ。
「ふふ、ありがとうリアム。あなたも今日はとっても素敵よ」
小さな紳士のなめらかな頬に指先で触れると、くすぐったそうに目を細める。
なんて素直で可愛らしい子だろう。
「……女性の扱いはリアムが上だな」
「ではボクが父上を弟子にしてあげますね!」
ぼやくアレクシスにリアムがすかさず返して、私はこらえきれずに笑ってしまった。
三人で馬車に乗り込み、王都へ向かう。
一時間ほどの距離だ。アレクシスがしょっちゅう呼び出される理由がよく分かる。
王宮に着くと、私たちはまず会場ではなく控えの一室へ通された。
リアムを預ける護衛の騎士たちと顔合わせをするためだ。
私と引き合わせる条件に、アレクシスが提示したらしい。リアムの安全を確保してほしいと。
部屋にはすでに、屈強な男たちが数人待機していた。
「彼らが今夜、リアム様の護衛を務める者たちだ」
アレクシスの紹介に、騎士たちが一斉に礼をする。
私はさりげなく、彼らの立ち姿や身のこなしに目を走らせた。
無駄のない体捌き。重心の低い、安定した足腰。視線の配り方ひとつとっても、常に部屋全体を捉えている。
屋敷に侵入した暗殺者程度なら、十人揃えても負けることはないだろう。
これなら任せても大丈夫そうだ。
「ここにいるのは全員、俺が信頼できると保証する者たちだ」
アレクシスも重ねてそう言ってくれて、私はようやく肩の力を抜いた。
夫が信頼すると言うのなら、間違いはない。
「リアム様のことは、我々が命に代えてもお守りいたします」
「命は大事になさってね。でも、ありがとう。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる騎士たちに、私も丁寧に礼を返す。
さて、あとはリアムを預けるだけ、なのだけれど。
「……エリー、ボクも一緒にパーティーに出たかったな」
ドレスの裾を小さな手がきゅっと握る。
見下ろせば、リアムが寂しそうに私を見上げていた。
さっきまで外の景色にはしゃいでいたのに、いざ離れる段になって急に心細くなったのだろう。
「ボクがいたら、エリーのこと守れるのに」
頼もしい弟子の言葉に、胸がきゅっと締めつけられる。
本当なら、こんな可愛い子を置いていくのは私だって嫌だ。
膝を折って目線を合わせ、そっとリアムを抱きしめる。
「私も、リアムと離れるのは寂しいわ」
口にしてから、自分の言葉に驚いた。
リアムを安心させるためのただのリップサービスのつもりだった。けれど胸の奥から出てきたそれは、紛れもない本心だったのだ。
ほんの数ヶ月前まで、私は一人きりで生きていくことを当たり前だと思っていた。
誰かと離れるのが寂しいなんて、感じたこともなかったのに。
いつの間に私はこんなに変わってしまったのだろう。
「だからね、早く戻ってくるわ。それまでいい子で待っていてくれる?」
「うん……」
名残惜しさをこらえて身体を離すと、リアムはぐっと唇を引き結んで頷いた。
泣くのを我慢しているのが分かって、その健気さにまた胸が痛む。
頭を撫でてから立ち上がり、騎士たちにリアムを託す。
「そうだ、騎士様たちに稽古をつけてもらうのはどう?」
「……! うん! そうする!」
私の提案に、リアムの顔がパッと輝く。
「なるほど、そうきたか……」
「いいですか? 父上」
苦笑するアレクシスに、リアムが不安そうに尋ねる。
「ああ、もちろんだとも」
彼は安心させるように頷いて、リアムの頭をくしゃくしゃ撫でた。
「ええ? 我々が、ですか……?」
戸惑う騎士たちに、アレクシスが肩を震わせて笑っている。
「すまないが、付き合ってやってくれるか?」
「ええ、それは構いませんが……お怪我をさせてしまうかもしれませんよ?」
「あまりうちの息子を舐めない方がいい」
困惑する騎士の肩にポンと手を置いて、アレクシスがにやりと笑う。
「なにせ最強の師匠がついているからな」
自慢するように言って、「ではあとは頼んだ」と騎士の肩から手を離して私に差し出す。
私はアレクシスにエスコートされ、会場へと向かった。
扉の向こうから、華やかな楽の音が漏れ聞こえてくる。
いよいよ、生まれて初めての夜会だ。




