16.師匠は背中で語るもの
夕暮れ間近の街を、馬車を停めてある場所目指して歩く。
目抜き通りに並ぶ店はすでに閉店に向けて準備を始めていて、人通りもグッと減っていた。
「のんびりしすぎちゃったねぇ」
「そうねぇ。リアムに似合う服がたくさんありすぎて、迷ってしまったわ」
リアムの手持ちの服は、仕立てがよく生地もいいものを使っているものばかりだ。
訓練で動き回って土や汗で汚してすぐにダメにしてしまうのは忍びない。
すでに数着、いくら繕っても間に合わないほどにボロボロにしてしまい、とうとう訓練用に丈夫で動きやすい服を買うことにした。
子供服は婦人服に比べてそう種類が多いわけではない。
けれどリアムの服となると自分のものを選ぶより楽しくて、余計に時間がかかってしまった。
「だから気になったもの全部買えばいいと言っただろう」
珍しく仕事の余裕ができたと、護衛と共に随伴していたアレクシスが呆れたように言う。
「あら無駄遣いを禁じたのは旦那様ではなくて?」
嫁いだばかりのことを思い出してチクリと言えば、彼も覚えていたのだろう、気まずそうに顔を歪めた。
メイドたちの話の通りなら、彼は私がセレスティアのようになることを懸念して機先を制したのだろう。
だけど貴金属類にもドレスにも全く興味を示さないのを見て、今では「社交シーズンに向けて新しいドレスを作らなくていいのか?」と聞いてくる始末だ。
「エリシアもいろいろ着てみればよかったのに」
「私は今ある服で十分足りているわ」
リアムの気遣いに、笑って返す。
「今着ているこの服だって、動き回るために最適なのよ」
そう言いながら、横に並んで歩いていたリアムを背に庇うように前に出る。
「エリシア?」
不思議そうに言った後、私の行動の意味に気づいてリアムが険しい顔になる。
「どうした?」
「アレクシス様、周囲の警戒を」
足を止めた私たちを怪訝そうに見るアレクシスに声をかける。
彼は瞬時に状況を理解したようで、護衛の二人に「構えろ」と指示を出した。
少し離れた場所に、柄の悪い男が数人。
街に遊びにきた領民ではない。
荒んだ空気を纏う男たちは、明らかに私たちを見てニヤニヤと笑っていた。
「前回と同じだと思います?」
「さぁな。質が悪いところをみるに、同じ陣営ではないかもしれん」
あの侵入者は結局、何も情報を吐かなかったらしい。
よく躾けられた犬だったと、アレクシスが面白くなさそうに報告してくれた。
「あれなら口を割らせるのは簡単そうだ」
男たちは下卑た笑みを浮かべながら、余裕のある足取りで近づいてくる。
リアムがぎゅっと私のドレスの裾を握りしめた。
「では生け捕りにしましょうね」
リアムを安心させるようににこりと笑って言うと、アレクシスが「君が戦う気か?」と心配そうに聞いてきた。
「ええもちろん。護衛の方には、リアム様をお守りするようお願いいたします」
「馬鹿を言え。あんな大人数の中に女性一人放り込めるか」
「護衛の方が混ざると、間違って蹴り飛ばしてしまいそうなので」
むしろ邪魔なんですと正直に言うと、アレクシスは信じられないという表情になった。
「エ、エリシア、ボクもたたかう」
微かに唇を震わせながら、それでも勇敢にリアムが私を見上げて言う。
「何を言っているんだ! ダメに決まっているだろう!」
アレクシスが焦ったように止める。
「でも! ボクだってエリシアの弟子だ!」
怖くても立ち向かおうと、自分を奮い立たせているのだ。本当に、なんて優秀な弟子だろう。
だけど。
「いいえ。あなたはまだ未熟よ。実戦を見学するいい機会だわ。私の背中をよく見て学びなさい」
視線を合わせるように腰を屈めて言う。
相手は暴力慣れしているようだけど、見るからに素人だ。
戦闘能力でいえば、前回の侵入者に比べ数段劣る。
だけど複数だ。それにリアムの実戦経験はまだゼロ。
そんな状態では、少し凄まれた程度でも恐怖に足が竦んでしまうだろう。
「いいわね。これも訓練の一つよ」
「……はい! 師匠!」
師匠の言うことは絶対。
それを思い出したのだろう。まだ納得はしていないようだけど、悔しそうにリアムが頷く。
頭をそっと撫で、暴漢たちのほうへ向き直る。
距離はもうすぐそこまで近づいていた。
「では、いってまいります」
アレクシスに微笑み、ふわりと駆け出す。
予想外だったのか、男たちがわずかに目を見開く。
だが女だからだろう。身構えることもなく、ニヤニヤと笑おうとするのが見えた。
「おい、美人が走ってくるぞ!」
「逃げるなら逆だぜお嬢ちゃん!」
「はっは! 俺らの方が逞しくて魅力的ってかぁ!?」
囃し立てるように口々に言われ、思わず顔をしかめてしまう。
リアムより魅力のあるものなんて他にない。
足を止めず、勢いのまま地面を強く蹴り飛び上がる。
膝が先頭の男の眉間にめり込んだ。
「ぎゃっ!」
男が濁った声を上げて地面に転がる。
何が起こったのか分からなかったのか、一瞬の沈黙が落ちた。
「な、なんだコイツっ!」
トン、と爪先から地面に着地した時、ようやく最後尾にいた男が叫んだ。
くるりと方向を変え、隣で棒立ちになっていた男の顔目掛けて踵を振り上げる。
ひらりとスカートの裾が翻った。
戦闘訓練の基礎のような動き。
口を開かせる間もなくなぎ倒すのは簡単だ。
だけどリアムに言ったように、これはあくまで訓練の一環なのだ。
リアムの目が追える速度で、分かりやすく動く必要がある。
リアムの視界を邪魔する長い髪を払い、三人目の腹を拳で抉る。
四人目でようやく正気に戻った男たちが、怒りもあらわに何事か罵声を喚いていたが、残念ながらスラングはよく分からない。
気にせず攻撃をかわしながら五人、六人と地面に沈め、全員を丁寧に気絶させるまで、五分とかからなかった。
「ふう」
一息ついてから振り返る。
可愛い弟子は師匠のお手本をちゃんと見ていたかしら。
どんなもんだと得意になってリアムを見ると、勢いよくこちらに駆け寄ってくるところだった。
「エリー!」
白くて丸い頬が上気している。
目がキラキラと潤んでいて美しい。
初めて宝石を欲しがる女性の気持ちが少し分かってしまった。
「わ、わっ、ちょっと」
リアムの速度は緩まない。
このままではぶつかってしまうと気づいて、慌てて両腕を広げる。
フィオナのように弾き返すわけにはいかない。父のように身をかわして転ばせるのも嫌だ。
勢いよくぶつかる直前で、咄嗟に柔らかく抱き止める。
こんなに判断が遅れることは初めてだった。
「あっ、あぶないじゃない!」
「エリー! やっぱりエリーはすごい!」
ぎこちなく叱るが、リアムははしゃいだ声を上げながらぎゅっと私に抱きついてくる。
小さな身体の柔らかさと、ふわふわした髪の感触。
今まで感じたことのない感動を覚え、そっとこわれものを扱うように抱き返す。
「あっという間だった! もっとゆっくりうごいてよ! まばたきでみのがさないようにするの大変だったんだから!」
文句を言ってくるけれど、表情は笑顔だ。
「やっぱりボクに手かげんしてたでしょ? でもいい。エリーがつよくてかっこいいって、ボクじゃまだまだだって分かったから」
「あの人たちにもたくさん手加減したのよ?」
「すごーい!」
きゃっきゃと歓声を上げながら褒めてくれるリアムに照れながら、ふと視線を感じてそちらを見る。
アレクシスがどこか陶酔したような目でじっとこちらを見ていた。
「どうかしました?」
リアムを抱き上げながら、アレクシスに近づき尋ねる。
「っ、あ、いや、なんでもない」
彼は動揺したように慌てて目を逸らした。
「おい、そいつらを縛り上げろ」
「はっ、はい!」
なにかを誤魔化すように護衛たちに強めに命じる。
「ご苦労だったな、エリシア」
「え? ええ」
目を合わさないまま、とってつけたような労いの言葉を言って、自身も暴漢たちの拘束を手伝い始める。
「怖がらせちゃったかしら……」
よくよく考えてみたら、アレクシスに実戦を見られるのは初めてだ。
リアムとの訓練も、果敢に攻めてくるのを受け流すのみだった。
私が侵入者を制圧したことは信じてくれたとしても、言葉で聞くのと実際に見るのとではかなり印象が違ったのだろう。
護衛がいるというのに、率先して争い事に駆けつけるような女だ。
最近リアムを介して少しずつ仲良くなれていた気がしたけれど、フリダシに戻ってしまったかもしれない。
「ふふ、ちがうよエリー」
せっかく築かれつつある気がしていた信頼関係だったのに。
がっかりしていると、リアムがクスクスと笑い出した。
安心しきった笑顔が可愛い。
それに、リアムが愛称で呼んでくれるのがくすぐったかった。
「違うの?」
「うん。父上は照れてるんだ」
「え?」
「あのね」
そう言ってリアムが私の耳に口を近づける。
「父上ね、エリーのこと『キレイだ』って言ってた」
ヒソヒソと、小さな声でリアムが言った。
周囲には騒ぎを聞きつけた領民たちがよってきて、うるさくなってきている。
だけど私のとびきり優秀な聴力は、その小さな声をしっかりはっきりと聞き取ることができた。
不意打ちにジワリと頬が熱くなる。
「でもボクも分かるよ! エリーがたたかってるのって、ダンスみたいだから!」
興奮気味に言われて「ああなるほど戦い方のことか」と理解して懸命に自分を落ち着かせる。
回避も攻撃も、しっかりリアムの目に焼きつくよう注意して動いたから。
確かにいつもより、綺麗に見えるような動きを意識していたかもしれない。
「では、帰ったら先ほどの実戦のおさらいをしましょう」
そっとリアムを地面に降ろしながら、頭を切り替えるように言う。
「はい! 分かりました師匠!」
リアムが元気に返事をする。
視界の端で、駆け付けた役人に暴漢を引き渡しながら、アレクシスがこちらに呆れた顔を向けるのが見える。
やはり「綺麗」に他意はなかったのだ。
完全に動揺が収まるのと同時に、別の意味で浮き足立つ気持ちが湧いてくる。
だってそれは、今まで散々言われてきた「怪物」だの「恐ろしい」だのとは、比べ物にならないほど嬉しい言葉だったから。




