15.悪い奥様になりたくない
「あの、先ほどは大変申し訳ございませんでした」
訓練を終え、汗を流すための入浴中に手伝いのメイドたちがおずおずと頭を下げる。
「いいのよ。それで、何を聞きたいの?」
続きを話すならここだろうと思っていたから、微笑みながら促す。
二人とも、先ほど居合わせたメイドだ。示し合わせて今日の入浴当番に立候補したに違いない。
「私で答えられることならいいのだけど」
「いえ、難しいことではございません」
「ただ奥様はお寂しくないのか、というようなことが私共は気になっておりまして……」
「寂しい?」
意図の分からない質問に首を傾げる。
「はい、旦那様はお忙しい方なので。常に不在がちですし、リアム様のことがあって滞在時間は増えましたけど、だいたいは執務室ですよね」
「そうね。宰相職って本当に大変そう」
ハインツとの会話を漏れ聞いただけでも、内容は多岐に渡っているようだと分かる。
本当にそれは宰相に回ってくるべき話かしら?
他に適任の部署があるのでは?
そう疑問に思うことが多々ある。
それでも彼は全てにテキパキと回答し、必要があればその場所へ赴くことも少なくない。
「そう! そうなんですよ! 旦那様は本当に素晴らしい方で……!」
力の入った同意に、アレクシスへの本気の敬意を感じる。
だからこそ彼女たちは懸命に働くのだろう。
お金で雇われているという理由以上に、敬愛する旦那様が少しでも快適に過ごせるようにと。
「アレクシス様が素晴らしい方だと理解しているわ。でも、寂しいというのはよく分からない。だって国のために身を削って働いているのだもの。妻の相手なんて、している場合ではないでしょう」
むしろ放っておいてもらえてありがたいくらいだ。
それに今はリアムがいる。
彼の著しい成長を間近で見られるのは、最近知ったばかりのどんな娯楽よりもずっと楽しい。
「素晴らしいです! やはり旦那様の奥様はそういう方でないと!」
「ええ本当に。前は本当に大変そうでしたから……」
「前?」
引っかかって復唱すると、二人はハッとした顔で慌てて口を閉じた。
その仕草がどこか芝居掛かって見えるのは、気のせいではなさそうだ。
「……本当に話したいのはここからね?」
分かっているのよ、と意地悪く笑いながら言うと、彼女たちはバツの悪そうな顔で苦笑し合った。
「実はですね、私たち、本当に奥様が来てくださってよかったと思っているんです」
「それは嬉しいけど……リアムを助けられたのはたまたまそういうギフトがあったからで」
「いえ、それももちろん素晴らしいことなのですけど」
「それだけではないんです。前の奥様はその、なんというか、とてもマイペースな方だったので……」
注意深く言葉を選んでいるというのが分かる、歯切れの悪い言い方だ。
相手が王族で、しかも浮気の末に駆け落ちしたとなれば、その配慮も分からなくはない。
「セレスティア様、よね? 第一王女だった」
「はい。美しい方でした。とても。王様に深く愛されて育ったそうで……」
「上辺はお優しいんですけど、とにかく自分が一番でないと気が済まない方でした」
せっかく濁した言葉を、もう一人がきっぱりと補完する。
「旦那様がお忙しい方だと分かっているくせに、もっと自分に構えだの仕事なんて辞めろだの、とにかくものすごくワガママで! 痛っ」
歯に衣着せぬ言い方に、もう一人がペンと頭を叩いた。
「アレクシス様とは、あまり上手くいっていなかったのね?」
他の男性と失踪してしまったというから、まぁそうなのだろうけど。
「上手くいかないどころの騒ぎじゃありません! 相性最悪でした!」
私の髪の手入れを丁寧にしてくれながら、憤慨したように言う。
感情と作業の手は別で動くらしいと妙な感心をしてしまう。
「あの方は旦那様が王宮へ呼び出されるたび大騒ぎで、そんなのほっといてお茶をしましょうだとかお買い物に付き合ってだとか……とにかく自分自分自分で」
当時の光景を思い出したのか、うんざりした顔になる。
「旦那様はお優しい方なのでなんとかなだめようとなさるんですけど、なにせ毎回ですからね……」
「旦那様も最初、忙しいからしばらく結婚は考えられないとお断りしたんですよ? それでもいい、あなたの妻になれるなら、なんて健気に言うものだから、王様の命令もあって仕方なく受け入れたんです」
意外だ。大陸一の美女からの求婚を一度断っていたなんて。
「なのにこれですよ。そのうち、ハインツさんが気を引いているうちに屋敷を脱出するのが恒例になっていました」
こっそり王宮に向かうアレクシスを想像して、少し笑いそうになるのをこらえる。
「でも本当に最悪なのはここからでして」
深刻な顔でメイドが言う。
「旦那様がいない事に気づくと、セレスティア様は私たちに当たり散らすのです」
「まぁ……どんなふうに?」
「花瓶を叩き割ったり、ゴミ箱をひっくり返したり。ベッドに水をぶち撒けられたときは呆然としてしまいました」
「ひどいわねそれは」
「それで綺麗な笑顔で言うんです。『汚いから今すぐ片付けて』って」
なんだろう。なんだかすごく身に覚えがある。
もちろんそれをされた方として、だけど。
「憂さ晴らしに使いもしないアクセサリーを大量に買い込んだり、使い捨てにしても余るくらいのドレスを作らせたり」
ああなるほど。それもあってアレクシスは最初に釘を刺したのか。
妙に納得しながら、無言で続きを促す。
「とにかくやりたい放題で……止めようとした者には暴力もありました」
二人のセレスティアへの悪口が止まらない。よほど溜め込んでいたのだろう。
「しかもメイドにだけ! 男性の前では絶対にやらないんです」
「男性使用人たちはセレスティア様を神聖視していましたから。チヤホヤされるのが快感なのでしょう。女性の前と態度が全然違うんです」
その様子は簡単に想像できた。まるで私に対するフィオナのようだったから。
「でも彼らだって馬鹿じゃない。鼻の下を伸ばしてたけど、“そういうお誘い”には誰も応じなかった。当然です。みんな旦那様を尊敬して心から忠誠を誓っていましたから」
「そっ、そういうお誘い!?」
荒い口調で吐き出される言葉にぎょっとしてしまう。
そういうお誘い、というのは、つまりそういうアレだろう。
世間知らずなりに、ふんわりとした知識はある。
それを不特定多数に仕掛けていたということ?
「ええ。旦那様への当て付けでしょうね。信じられないですよ! 何が大陸一の美姫ですか!」
「いかにも清廉潔白ですみたいな顔した王女様がそんなことするなんて、私たちも思いもしませんでした」
ヒートアップしてきたのか、ストッパー役だったメイドも嫌悪感を滲ませて同意する。
「唯一そのお誘いに乗った大馬鹿者が、よりにもよって旦那様が一番信頼していた従者だなんて……むぐっ!」
青い顔になったメイドが、泡まみれの手でもう一人の口を塞ぐ。自分の失言に気づいたのか、口を塞がれた方も青ざめる。
「大丈夫、その顛末はもうアレクシス様に聞いているわ」
安心させるように言うと、彼女たちはホッと脱力した。
「……旦那様は、セレスティア様より、その従者に裏切られたことのほうがショックだったようです」
「リアム様が母親を失ったことにも、とても心を痛めておりました。すべて自分のせいだと、ご自分を責めてらっしゃいました」
「そう……」
気分が沈む。
最初私を警戒していたようだったのも、このことが原因なのだろうか。
まだ物心もついていないような幼子を残し、当て付けで他の男性と駆け落ちするなんて。
アレクシスの心痛はどれほどのものだろう。
「だから私たち、新しい奥様がそういう方でなくて本当に嬉しいんです」
「ええ。リアム様とも本当に仲良しで。置き去りにされて以来、ずっと荒れていましたから」
「それに奥様は私たちに理不尽なことなさいません。旦那様の足を引っ張るようなこともなさらず、旦那様もセレスティア様といらした時よりずっと穏やかです」
これは褒められているのだろうか?
それとも、ああはならないでくださいねという、愚痴に見せかけた牽制だろうか。
だとしたらなかなか強かなメイドたちだ。
「ありがとう。これからも『いい奥様』でいられるよう頑張るわ」
どちらにせよ、ギフトの威力を見せた後でも彼女たちが好意的である理由が理解できた。
要は前妻よりはマシ、ということなのだろう。
セレスティアに感謝するのは違う気もするが、彼女のおかげで歓迎してもらえているらしいのはありがたい。
かと言って、メイドたちの言葉を全面的に信じて彼女を悪者と思い込むのも危険だ。
何せ私は彼女に会ったことすらない。
アレクシスも、事実は教えてくれたけれど彼女を必要以上に悪く言わなかった。
外野からは相性最悪に見えても、アレクシスとセレスティアは愛し合っていたのかもしれない。
ひとまず今はメイドたちの言う「悪い奥様」にならないことを心がけておこう。
フィオナばかり信用する両親の例もある。
一方の意見だけ聞いて信じることの残酷さだけは、身に染みて知っているから。




