10.侵入者の危機
昨夜から思っていたが、ずいぶんと品のない男だ。
父が時折こそこそと屋敷に招き入れ、密談を交わしていた男たちの振る舞いに似ている。
彼らは貴族ではないらしいから、この男もそうなのかもしれない。
もう一度黙らせようと足を上げた瞬間、アレクシスが慌てたように「待て!」と制止の声を上げた。
素直に足を下ろすと、アレクシスは侵入者の顔の前に屈み込み、顎を掴んで顔を自分の方へ向かせた。
「誰の手のものだ。言え」
冷たい声だ。
初めて顔を合わせた時よりもずっと鋭い。
これが彼を残虐宰相たらしめるものの片鱗か。
「クッ、テメェがアレクシス・クロイツか……!」
男もすぐに彼が何者か気づいたのだろう。
憤怒に満ちていた顔色をサッと変え、絶望的な表情になる。
「ほう、俺を知っているとは。ならば謀ろうとしても無駄だと分かっているな?」
男は万事休すとばかりにぎゅっと目を閉じ、唇を固く引き結んだ。
一切何も喋らないという意思表示だろうか。
「……ッグ、ゴホッ!」
そう首を傾げた瞬間、男が額に脂汗を滲ませ、突如苦しみ出した。
よく見ると、口元から赤色の混じった泡が吹き出している。
「大変、この方、血を吐きましたわ!」
「っ! 毒か!」
驚く私に、アレクシスがすぐに現状を把握する。
どうやら尋問されるくらいならと死を選んだらしい。
王族殺しと呼ばれる宰相だ。
貴族ですらない自分が、手心を加えてもらえる訳がないという判断だろうか。
「あらあら」
でもそれでは困る。
自殺を選んだということは、アレクシスが尋ねた通り、彼の後ろに誰か指示役がいるということだ。
ここで死なれては、その黒幕を捕らえることができず、リアムが再び狙われてしまう。
「あらあらあら」
困った。
これでは本当の意味でリアムを救出したことにはならない。
せっかくのアピールポイントと実績が無駄になってしまう。
急いで床に屈み込み、息も絶え絶えの侵入者の襟首を掴んで持ち上げる。
「お、おい……?」
一体何を、と言いたげなアレクシスの前を横切って、ベッド横に置かれたままの洗顔用の水桶まで侵入者を引きずって歩く。
「よいしょ」
そのまま躊躇なく水の中に侵入者の頭を沈める。
「ガボッ! ガボボボボッ……」
毒で意識が朦朧としていたところに大量の水が入って驚いたのだろう。
ジタバタと暴れているが、私がしっかり頭を固定しているので逃げられない。
うん、よかった。まだ元気そう。
「エ、エリシア……?」
徐々に手足の動きが弱まってきたところで、アレクシスが心配そうに声をかけてくる。
「少々お待ちくださいませね」
安心させるように笑いかけてから、男の頭を水から上げる。
フラフラしている男の身体の背後に回り、腹に手を回してぎゅっと絞るように抱きしめた。
「おごえぇぇぇっ!」
男は大量に飲み込んだ水をびしゃびしゃと床に吐き出した。
「いいわ、もう一度」
全部出し終えたのを確認して、再び男の頭を水桶に押し込む。
「も、もうそのくらいで……」
「ダメですわ。あと二回は繰り返さないと。はい次は吐き出させますわよ。せーの!」
昔、こっそり入った父の書斎で読んだことがある。
悪いものを食べてしまったり飲んでしまったりした場合、大量の水を飲んで胃の中の洗浄をするのが良いと。
毒にも効果はあるか分からないけれど、やらないよりはきっとマシだ。
メイドには、後で「汚してしまってごめんなさい」としっかり謝っておこう。
「ぐえぇぇっ」
男はもう抵抗もなくなすがままだ。
おかげでずいぶんとやりやすくなった。
「……俺も手伝おう」
せっせと胃洗浄に取り組む私を見て、止めても無駄だと悟ったのか、葛藤の末アレクシスが協力を申し出る。
もしかしたらこれが最初で最後の夫婦の共同作業かもしれない。
そう考えると、なんだか少しおかしかった。
「これはまぁ、なんてことでしょう……」
顔色が真っ白になった侵入者を見て、ようやくアレクシスに追いついてきたハインツが絶句する。
ハインツの横にはリアムもいて、こわごわとこちらを覗き込んでいた。
男はぐったり力なく横たわっているが、なんとか一命を取りとめたと思う。
「ああハインツ、すまないがこいつをもう一度あの部屋へ放り込んでくれ。今度は手足を縛っておけよ。それから他に毒が仕込まれていないかも……おいでリアム、もう大丈夫だ」
妙にくたびれた様子で淡々と指示を出すアレクシスが、癒しを求めるようにリアムをぎゅっと抱きしめる。
「父上、ごぶじですか……?」
リアムが私に対するのとは全然違う、殊勝な態度でアレクシスに問う。
「ああ、エリシアは無事だ。心配ない」
いやいや、聞いたのはあなたのことでしょう。
そう思ったけれど、リアムは反論するでもなく、ホッとした顔で「よかった」と呟いた。
「私?」
不思議に思って思わず問うと、リアムはチラリと私を見たあと、目が合った瞬間にサッと逸らした。
なにかしら。
挙動不審だわ。
「……どうやら俺の知らない情報がまだあるらしい。聞かせてくれるか?」
「ええ、もちろん」
ようやく落ち着きを取り戻した室内で、アレクシスがそう切り出す。
彼は来客用のソファにリアムと座り、その正面に私も腰を下ろす。
ハインツは侵入者をロープでグルグル巻きにしてどこかへ引きずって行った。
「まず、私のギフト開示からいたしますね」
忌避されるのを覚悟で話し始める。
どちらにせよ護衛として雇ってもらうためには明かさねばならない。
それにここを誤魔化すと、リアムの部屋に向かった理由も侵入者を阻んだ方法も、すべて嘘をつかなければならなくなる。
「――という感じで、筋力だけでなく聴力も視力も、身体能力全般が異常に強化されるギフトのおかげで事なきを得ました」
ギフトがなければ一連の凶行に気づくこともなかったし、目の前で繰り広げられていたとしても悲鳴を上げ気絶していたことだろう。
だから、特別に誇ることではない。
「なるほど……」
淡々と説明する私を、アレクシスが真剣な顔で聞いている。
嘘をつくなとか、大袈裟な物言いをしやがってとか、こちらの言葉を遮られないのが新鮮だ。
「以上が昨夜の顛末です。ハインツたちが駆けつけたのはそのすぐ後でしたわ」
私が語り終えたあと、アレクシスは長いため息をついて、前のめりになっていた身体を深くソファの背に沈めた。
「驚いたな……腕力のみ、脚力のみ、というのは聞いたことがあるが、そんな強力なギフトがあるとは」
感嘆とも驚嘆ともつかない口調でアレクシスが言う。
「君が男なら、騎士団の連中は喉から手が出るほど欲しがっただろう」
「貴族令嬢としては大ハズレですわね」
惜しむように言われて、冷笑交じりに返してしまう。
両親から言われ続けてきた言葉だ。
貴族の娘がこんな化け物じみたギフトなど。
嘆かわしい。
大ハズレもいいところだ。
これではなんの役にも立たない。
嫁ぎ先には絶対に隠し通せよ。
いやそもそもこんな怪物を外になど出せん。
嫁ぎ先で殺人など、考えただけでもゾッとする。
何度も浴びせかけられて、すっかり覚えてしまった。
「すまない、そういうつもりで言ったわけでは」
焦ったようにアレクシスが訂正する。
「おかげでリアムは窮地を免れた。心から礼を言いたい」
ありがとう、とアレクシスが深々と頭を下げる。
ひっつくように隣にいたリアムも、慌てて頭を下げて小さく「ありがとっ」と言った。
「しかしそのような細腕でそれなりに訓練された人間を退けるとは……にわかには信じがたいな」
険しい顔で言うけれど、私の言葉を疑っているわけではなさそうだ。
単純に、自分の常識外のことを呑み込むのに時間がかかっているだけらしい。
「それでしたら幼い頃、兄の剣術指南役のおかげです。面白がって戦い方を教えてくださったので」
思い返してみれば、アレクシスは初対面から基本的に私の言葉を根拠もなく否定することはなかった。
反面、早く会いたいから大急ぎで来たという嘘だけは即座に見抜いていた。
そんなに私は分かりやすいのだろうか?
それとも、もしかしたら彼のギフトが関係しているのだろうか。
「なるほど……ギフト頼りだけでなく、技術も磨いたと?」
「ええ、貴族令嬢としてはその申し出を辞退すべきだったかもしれません」
「まあ、普通の令嬢であればそうかもしれんがな……」
渋い顔でアレクシスが眉間にシワを寄せる。
私の行動の何もかもが彼の中の「貴族令嬢」の常識外のことなのだろう。
「ほっ、本当です父上! エリシアはあっという間にあいつをやっつけてしまったんです!」
唐突に、それまで大人しくしていたリアムが勢いよく立ち上がって大きな声で言った。
どうやら私を擁護してくれているらしいと、一拍遅れて気づく。
「ウソじゃない! こわくてうごけなかったボクを助けてくれたんだ!」
「分かっている。俺がおまえの言葉を疑ったことがあったか?」
噛みつく勢いのリアムを、アレクシスが苦笑でなだめる。
「見た目と全然違うから驚いただけだ。俺の言葉が悪かったな」
「すっごくかっこよかったんだよ! 父上にも見せてあげたいくらい!」
リアムがキラキラした目で昨夜のことを熱っぽく語る。
私の動きがいかにすごかったか、侵入者に怯まず堂々と対峙したか。
懸命に身振りを交えてアレクシスに説明するリアムに照れて、誤魔化すようにお茶を飲む。
「はは、すっかりリアムのヒーローだな」
興奮気味のリアムにやや気圧されながら、アレクシスが笑う。
どうやらギフトも怖がられていないし、昨夜のことも信じてもらえたらしい。
リアムの好感度も上がったように見える。
この感じだと、もしかして追い出されずに済みそうなのでは?
なら、わざわざ護衛として雇い直してもらえるよう交渉しなくても、妻のままでいられるかも。
だとしたらさっきの離婚の申し出は余計だったかも。どうにかうやむやにできないかしら。
「ところで、さっき君が言っていた離縁とは一体何の話だ?」
ダメだったわ。




