凡夫としてこれ以上ない功徳
三者三様が静止した空間。静かな山の音が、急に大音量になったかのような錯覚を覚える。
「……」
「……」
道安と親平は、双方ともにクマに会ったときの対処法を知っていた。
道安は修行時代に一緒に山に入った先輩から。
親平は兄の同門僧侶であるカッチャンがクマに3回会ったというホラ話から。
二人に示し合わせる余裕はなかったが、同じ対処法として、熊から目を逸らさず、ゆっっっくりと後退りをしながら距離を取る。
大声を出したり、背中を見せて走ったりするのは絶対にダメだと、二人とも知っていた。
「……」
「……」
クマは、こちらを見つめたまま、動かない。と思ったが。
ノシリ……ノシリ……
走り寄ってはこないものの、クマはこちらが後ずさるよりは早いスピードでこちらに近づいてきた。
道安は、鼻の頭に溜まった汗が痒くなる。坐禅のときは無視できるが、今は異常に気になってしまう。そんな場合ではないのに。
クマが急に全力ダッシュで向かってきたのは、道安がたまらず鼻を擦ろうとしたときだった。
「……!」
この時ばかりは、道安は坐禅ではなく、最近護衛騎士とこなしていた型稽古の構えをとってしまった。
そんな構えを取っても結果が変わるわけではないのに、という感想が、体に遅れること約1秒。走馬灯のように浮んだ。
ザンッ!!!!
そんな道安とクマを結んだ線上の地面が、急に抉れる。 親平の剣による衝撃波だった。
「……」
「……」
相手は人間ではない。親平は殺意を隠すことはしなかったが、言葉も発しなかった。
硬直するクマの横あたり、地面がもう一回抉れる。
クマの判断は早く、人間とは比べ物にならないスピードで逃げていった。
「……」
「……」
「……」
「……大丈夫すか」
「…………えぇ、大丈夫です」
道安は槍代わりの杖を構えたまま、見たことのないほど目を見開いて、クマの去っていった方を凝視していた。
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道安さんはしばらくそのままの体勢でいたが、たっぷり3分経ってやっと姿勢を解いた。
同じ動かない道安さんでも、坐禅をしているときは存在感が無いのに、このときはありありとそこに居る気配があった。
「……助かりました。常套句としてではなく、文字通りシンペーさんは命の恩人ですね」
「これで少しでも師に報いたなら一介の凡夫としてこれ以上ない功徳です……って違うか」
軽く冗談を飛ばすと、道安さんの表情もいつもの微笑みに戻る。
「ツッコミたい表現がいくつかある気がしますが……今は、純粋な感謝を」
坐禅に入る前に深く合唱するときと変わらない角度で、道安さんが合唱する。
「それと……クマの命をいたずらに奪わないでくれて……ありがとうございます」
「……やっぱ、道安さんにはお見通しですか」
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二人並んで、王城の方向に歩き出す。
少しの間無言だった二人だが、親平は先ほどのことについて、思い切って話すことにした。
以前の自分だったら、きっとためらいなくクマを殺していたことを。




