坐禅が、手放してしまう
強烈な快感に加え、パージュンの体温と、想いののった言葉。
そして、なにより、道安がパージュンに対して抱く、憐れみから僅かに転じた親しみ。
このままでは、それが凄まじい愛欲に変わってしまうのは明らかだった。
道安はなんとか身をよじって抱擁から逃れようとする。
パージュンは悲痛な表情で道安をより強く抱きしめる。
「逃げないで。私のこと、考えなくていいから。受け止めて、手放してもいいから。坐禅みたいに、逃げないで、私を受け止めて!」
欲に身を焼かれそうになった道安は、パージュンの言葉ではっとした。
仏法は。苦しみを解体しない。仏法が解体するのは、苦しみを感じる、自分自身――
なんとか手放そうともがいて、実質、欲を押さえつける形になっていた道安は、急に全ての抵抗をやめた。
パージュンは、やっと素直になった道安に歓喜の感情を爆発させかけ、その道安の目がなにも見ていないことに気が付いてしまった。
「道安……?」
「……分かりました。私は、あなたの感情から逃げません。いま、ここにある私の肉体も、あなたから逃げないでしょう」
離すまいと道安を抱きしめ続けるパージュンの腕がゆるむ。道安は一切抵抗しない。
「しかし、私の心は手放し続けます。あなたの想いも、私ごと、全て手放し続けます」
パージュンはその純粋さで、本能的に理解してしまった。
道安の身体は、今ここにある。話しかければ応じてくれる、人間としての道安も残っている。
でも、パージュンの欲しかった「道安」は、彼自身が手放してしまったことを。
----
パージュンは道安を離した後、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。
道安が、手の届かないところに行ってしまった。
道安は目の前にいるのに、その事実をつきつけられたことに、パージュンは耐えられなかった。
慰めの言葉をかけることはできない。
しかし道安ができることなど、この世界に来てから、ずっとこれだけだった。
道安は、泣きじゃくる彼女の隣で再び坐禅を組み始める。
泣きじゃくるパージュンも、そのせつないくらいに純粋な苦しみも、全て自分ごと、手放し始めた。
パージュンはひとしきり泣いたあと、自己を解体し始めてしまった道安をぼんやりと見つめていた。
どうすれば彼は戻ってくるのだろうか。どうすれば、彼の行ってしまったどこかに、自分もたどり着けるのだろうか。
パージュンはぼんやりとした頭で考えつく。
いつになるのかは分からないが、隣で坐っていれば、彼と同じどこかにたどり着けるのではないか?
同じ場所にさえいれば、いつか彼は振り向いてくれるのではないか?
「……」
無言で隣に坐り始めるパージュン。
パージュンの坐禅は、道安が「完璧」と直観したものではなくなっていた。
明らかに、「道安の隣にたどり着きたい」という目的が、坐禅に組み込まれていた。
調身。それでも坐禅の型を正し、まっすぐの姿勢にする。
調息。深呼吸をし、呼吸のリズムを揃え、身心が坐禅に入る準備をする。
調心。心を整える。いっさいのはからいを捨てる。目的を、手放す――
「……」
坐禅をしながら、パージュンはまた静かに涙を流していた。
「道安の隣にたどり着きたい」
その目的を坐禅の型が流してしまう。霧散させてしまう。手放してしまう。
道安の隣にたどり着くための坐禅なのに、その坐禅が、パージュンの目的を手放してしまう。
近づくほど、道安が遠ざかってしまうことを、確信してしまった。
一炷坐り切ったとき、パージュンの心にはどうしようもないほどの「諦め」が横たわっていた。




