「色」「受」と「想」「行」「識」
道安は、初めて経験する、「理由なき快楽」を感じる。
すれ違った美人に心臓が跳ねるときの感覚。それを千倍にしたような、身体的に有無を言わせない、生物としての身体が備える快楽。
目の前のパージュンが、強烈に「欲しく」なった。このまま、少しでも心が「彼女を愛おしく思う」方に傾いたら、もう後戻りはできなかっただろう。
しかし、道安は知っていた。
身心一如。身体と心は切り離せない。
しかし、思うところからは、コントロールできる。
五蘊(色・受・想・行・識)の「想」「行」「識」は手放すことができる。
道安は依然強烈な快感を感じていた。
しかし、快感という「色」を「受」で感じても、坐禅が、快感をパージュンに対する愛とする「想」、そしてそこから生まれる愛欲としての「行」を手放し続ける。
道安は、「今、私は強烈な快感を受けている。しかし、それだけだ」と、「識」で観察し続けた。
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「……なんで、なんで効かないの!」
道安がなにか仕掛けたのではと誤認したケラクが、道安を制圧しかけたが、パージュンによる殺意のこもった叫び声で止まる。
「みんなこれで幸せになっているのに! なんで道安にだけ効かないの!」
奇跡が解けた道安は流石に数秒思考がまとまらなかった。
しかし、今身にふりかかった「奇跡」と、目の前で泣き叫ぶパージュンの発言で状況を理解する。
さすがに今回は「前世では縁がなかったのに」などと言っていられない。
僧侶として、明らかな苦しみに身を焼かれている衆生を、放っておけない。
「……あなたは魅力的だ。その奇跡だって、心を奪われかねない程強力でした。……しかし、私はあなたの想いに応えません。あなたの想いは、執着そのものです。これは、明確な苦しみになります」
「もう苦しいよ! とっくに苦しいよ! 死んじゃう前になんで幸せになっちゃいけないの!」
「幸せにみえるその想いは、必ずいずれ苦に変わるからです。手放さなくてはならない」
「みんな幸せになっているのに! なんで私だけ手に入らないの!」
「理由はありません。あなたが出会った私が、たまたま仏法に帰依する存在だった。そのことを嘆くことに意味はありません。今は、坐りましょう」
パージュンは、道安の言葉を聞いて、ぴたりと泣き止んだ。
その顔は納得と言うよりは、諦めに近い無表情。
「……分かった」
パージュンがそうつぶやき、道安が少しだけ安堵の息を吐いた瞬間。
パージュンは近くにあった小太刀を抜き、静かに道安の胸へ突き立てた。




