第61話 坐る姿勢の意味
「これはとんだ宗教だ。貴殿の法では痛みを解決できないではないか。戦場で必要なのは宗教者ではない。戦士であり、魔術師であり、医者だ」
お前のような気休めしか言えない宗教者ではない。ケラクの本心が漏れ出る。
しかし、道安は素直にうなずいた。
「その通りだと思います。魔法なんて私には全く分かりませんが、痛みが魔法で回避できるなら法に縋るより先に解決すればよろしいでしょう。力でも科学でも、なんでも使って。でも、どんなに手を尽くしても解決できないことがあるのは、あなたも分かっているはずだ」
どんなに強い戦士がいても。
どんなに優れた魔術師がいても。
そして、どんなに凄腕の医者がいても。
それでも、戦場で数えきれない同胞と人間が、斃れてきた。
「……」
「仏教はごまかさないんです。その上で苦しみを増やさないためにはどうすればよいかをずっと説いている。だから坐りましょう」
お決まりのフレーズが出てきた。彼が何を言いたかったのか、導入部分は分かった気がするが、そこからなぜ坐ることに繋がるのか、ケラクにはさっぱり分からない。
「……そこからなぜ坐る話になるのかわからんのだが」
真摯に話をしていた道安が、ここで本当に小さく溜息をついた。なにか、言いにくいことがあるのだろうか。
「……本当は身体で覚えてほしいのですが、説明しましょう」
道安はまた壁に向かって坐り始めた。坐禅の体制をとると、そのままケラクに説明を始める。
「坐るこの姿勢ですが、足はすぐに解けず、手は決まった形で結ばれている。これは無抵抗と言える。いわば逃げ場がない。つまり、今頭が痒くなっても、掻けないんです」
ケラクは頭に羽虫がとまっている状況を想像した。3秒もたたずに想像の羽虫を叩き潰す。
「足が痛くなってもそう。逃げられない。でも姿勢を保つことを強制されるわけじゃないですか。そこで、しょうがないから、心のなかで抵抗する。どうか早く痒みよ消えてくれ、時間よ経ってくれと」
長い会議で、いつもの椅子ではなく、かたい石の上に正座で縛りつけられている状況を想像した。足をほぐしたい。
「しかし、そうではなく、受け入れる。痛みを、受け入れて、むしろ時間がたったらどうなるか、観察する。こうすると皮肉なことに、気がついたときには、痛みが去っていることがある」
「そんなばかな」
直観に反する。しかし、道安は続ける。
「と、説く老師もいます。しかし、なにがどう影響を与えるのか、本当に人それぞれ。実は勧めている私だって、あなたに坐禅が必要かは分からない」
「……」
「しかし坐るのです。『あなたに効かなかった』ことをあなたが学べるかもしれない。だから坐るのです」




