矢を放っているのは誰か
「私が苦しんでいると? ふむ一理あるかもしれん。貴様のような話の通じない男を日々説得する仕事だ。で、貴様の座禅とはそれを解消してくれるのか?」
「解消はできません。ただ、手放し方に気がつくのです。この坐禅の型が、あなたにそれを教えてくれるでしょう」
「ククク。解消できないのか。他の宗教よりもよっぽど正直なのは好感が持てるぞ。しかし、手放すと来たか。手放しては元も子もないではないか。大義を成すためには苦しみから逃れることは叶わぬ。例え部下を見殺しにする選択を取らざるを得ないとき、その苦しみごと抱えて義を成すことが、私のような者の責任だと思わんかね?」
「他人の苦ごと抱えるその志を私は尊く思います。きっと、部下も悪くは思わないはずだ。でも私は思います。捨てられる苦しみは、捨てるべきだ」
「……あまり聞き捨てられんな」
ケラクは例え話として話していたが、実際に部下を使い捨てにしたことなどいくらでもあった。そして、それを絵に描いたような悪役のように、ただの日常として流そうとして、失敗することが常だった。
「上官の命令に逆らえなかっただけかもしれないのに、それでも任務に散っていった者たちの意は誰が汲むのだ。私が手放してどうする。手放すべきではないだろう」
「死者だろうが生者だろうが、『あなたに苦しんで欲しい』と彼らが言っているのは、あなたの錯覚です。その苦しみは、捨てるべきです」
「錯覚なわけがあるか。目の前で、呪いの言葉をかけて死んでいった者もいるのだぞ」
「そうですか。それで、あなたはその呪いを受けて、彼に報いなければならないと思った」
「当たり前だろう」
「その呪いは、捨てるべきです。その呪いは、あなたに、必要ない」
牢ごしに手が出そうになったケラクは、咄嗟に手をひっこめた。正直腹が立つ同胞の相手など日常茶飯事だが、ここまで自身の心を踏み荒らされたのは初めてだった。
「必要ない、だと? 命を賭して礎になった者が遺した言葉が、必要ないと言うのか」
「彼には必要だったかもしれない。でも、少なくともあなたは、その言葉をやりすごすべきです。それを受け止める痛みを避けるのは難しいかもしれない。しかし、ずっとその言葉に囚われるのは執着です」
「執着ではない」
「いえ、執着です。あなたはその呪いを正当化している。あなたがまた他者の苦しみを生み出すとき、その業を背負う者だから仕方ないという資格となっているんじゃないでしょうか」
「そんなわけ……」
ある。
ケラクは相手に嘘をつくが、自分に嘘がつけないことは自覚していた。
そしてなまじ頭の回転が速いために、確かにそういった面があることにすぐ気がついた。
「これを私たちの師は矢に例えました。矢には二種類あります。第一の矢は、誰にでも刺さる、直接的な苦しみ。第二の矢は、『なぜ私がこの苦しみを受けねばならないのか、これからどうすればよいのか』という苦しみです。どちらも苦しみですが、まずは第二の矢から対処すべきです」
「……貴殿は戦場を見たことがあるか? 敵味方入り乱れる矢の雨を。あれを全て避けられると思っているならおめでたいことだ。そして、概念としての矢など、戦場の比では無いほど、我々を襲うだろう」
「その通りです。第一の矢は自分のコントロールできない存在が放ってくる。それを完全に避けることは叶わないでしょう。でもね、第二の矢を射るのは、自分なんですよ」
「私が私を苦しめていると?」
「そうです、苦しみたくないから、余計に。だから、第一の矢が刺さっても、なぜ自分がこんな目にあったのか。これらかどうしなければならないのか。そういった思いを、手放さなくてはならない。これが、第二の矢だからです」
「……矢が刺さっても、何もせず眺めていろとでもいうのか」
「今すぐ抜かなくてはならない場合もありますが、たいていの場合は眺めているべきです。痛くて切なくてどうしようもなくても」




