王、坐る
「とりあえず、君には『教育』の任務を任せたい」
最初は微動だにしない道安に絶望を覚えていた王だったが、やっと立ち上がった道安に言葉が通じることに安堵した。王国の簡単な説明をしつつ、今回、道安を召喚した理由を説明する。
今この国は魔王軍と戦っているが、おそらく前回召喚した勇者が魔王軍を打倒できるだろう。
しかし、勇者は素直だが、率直に言えば女性にだらしないので、同じ文化圏出身で人格者であろう君に、彼を導いてほしい。
彼も三カ月後くらいにはいったん戻ってくるから、それまでは様々な人間に君の英知を授けてほしい、と。
道安は黙って聞いていたが、王の説明が終わるとゆっくりと口を開いた。
「……状況は分かりましたが、まずはあなたも欲望に振り回されているように見受けられます。まずは坐りましょう。」
そう言ったかと思うと、彼はまた座って半眼になり動かなくなってしまった。王の胃がまたにわかに痛み出す。
「いや、そうは言ってもこの後も執務が」
「たいていのことはあなたがやらなくても誰かがやります。しかし修業はあなたにしかできません。修行であれば、いかに高僧であっても今海苔を干すべきです。つまり、今坐らずしていつ坐るのでしょうか。坐りましょう」
王は考えるのをやめた。もう何もかも投げ出したくなったところにこれだ。今日予定があるのは確かだが、実は会っても会わなくてもどうでもいい。そんな相手との交渉もとい世間話でしかないのだ。ここは「勇者のお告げに従い、本日の予定はすべてキャンセルさせもらう」とでも言って、少しでも胃を休めるのもアリではないか?
王とは実質座り仕事なので、ぶっちゃけ座るより横になりたい気もするが、勇者の発言をダシにする以上、王は素直に座ることにした。宰相に今日の予定をキャンセルするように指示した後、護衛(と天井裏と柱の裏に潜ませた影のもの)以外は部屋から出て行ってもらい、王と道安の二人はやや距離を空けて坐り始めた。
動かないかと思った道安はすぐに立ち上がり、王の首に触れようとする。護衛(と影の者)はすぐに反応して道安を止めようとした。
道安とて流石に護衛の空気を呼んだのか、「では口頭で説明します。そこのあなた、代わりに王の姿勢を正してください。」と言うと、護衛の手を借りて王の姿勢を正し始めた。
普通、初心者は猫背になりがちな坐相だが、王はやや反り気味。道安は、長年人に威容を見せなくてはならなかった王の半生と苦労を、王の坐相から感じ取った。
坐骨から背骨、その上に頭の乗った一直線が完成したとき、道安は満足そうに頷いた。「少し調整が要りましたが、もともとあなたがまっすぐな人であることは分かりました。」王は意外な言葉に驚いたが、皮肉ではなさそうな道安の言葉に、少しだけ気分が良くなった。
「では結跏趺坐で坐りましょう。ダメなら半跏趺坐でもいいですが。」良くなった気分は脚の痛みでどこかにいってしまった。
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あれから一週間が経った。「王自ら新勇者を見極める」という名目で執務をさぼっているのだが、道安はほとんどの時間を坐っているだけだった。
王は、「私も怠けている最中だが、こいつも大分怠け者なのでは」と疑っていたのだが、いつ道安の顔を眺めていても、目を閉じていることはなく、常に半眼であることに気が付いた。ずっと何を見ているのかと思ったが、道安は常に壁を前にして座っているため、目が開いていても壁しか見えていないはずである。
「……ホージョーサンはずっと何をしているのだ」
なんと呼べばいいのか聞いたら「色々呼ばれますが、私個人としては方丈さんがしっくりきますね」と答えた道安のことを、王はホージョーサンと呼ぶことにした。
「……坐禅を組んでいます」
今日は返事が返ってきた。坐るのを止めるタイミングが分かってきたので、話しかけてみたらちょうど良いタイミングだったらしい。
「坐禅とは何だ? ずっと動いていないだけではないか?」
「目的はありません。ただ自分を見つめ、手放すのです」
「は?」
「人間は常に様々な目的にふりまわされます。昨日はこうだったから、今日はこうしよう。あの人はこう言ったから、私はこうしよう。あれを手に入れたいから、代わりにこれを差し出そう……。これは人間が生き抜くための大切な能力です。しかし、忘れなければならない。」
「……は?」
「だから坐るのです。目的は持ってはいけません。私のこの言葉で分かった気になってはいけません。とりあえず、あなたも坐りましょう」




