一神教の美しさ 仏教の美しさ
「私が見た女神は、年相応に見える少女でした。年相応に怒り、年相応にお茶に喜び、年相応に課せられた役割に苦しむ、少女でした」
仮に、仮にそうだったとして。女神として身を捧げた少女が、年相応に過ごしているとして。それは、組織の頭としてではなく、一宗教家として、きっと喜ばしいことだ。
「そういえばですが、彼女は坐禅に懐疑的でした。今でもたいして信じていないかもしれません。しかし、彼女は少しだけ、執着を手放しつつある」
「ふざけるな! 女神様はそんな俗な存在ではない! 女神が苦しむわけがない! 苦しむのなら、彼女はなにを寄る辺にすれば良いのだ!」
しかし、一宗教家としての私が、神の存在を否定した彼に激昂する。そして、縋るべき存在のいない彼女に、絶望を覚える。
「それは仏法です……と答えておきますが、あなたから見た女神は、どこまでも超越的存在なのですね。先ほども言った通り、私はそれを否定しません」
ホージョーサンは淡々と語る。説得しているようには感じない。言い訳しているわけでもない。ただ、彼は彼の信仰に誠実なだけのように感じた。
「仏法は超越的存在が必ず存在するという断定を否定します。しかし、神を信じる力強さに、私は敬意を感じています。存在は断定しませんが、信じる行為そのものは尊重します」
「……」
「唐突な話なんですが。思い出したので聞いてください。禅僧が長い話をするのは私としてもちょっと……アレなんですが。法話だと思って勘弁を」
「ある数学者が、有名な物理学者を褒めて言うんです。リンゴが木から落ちることを数式にできることに気が付いた人のことなんですけど」
「数学者の方が言うには、数学には美しさを感じる心が必要なんだそうです。複雑怪奇でとても解き明かせそうな密林の中に、究極の美しさを探しあてるのは並大抵のことではない」
「それを探し当てるためには、審美眼が必要だと。それは何によって養われるのか。それは、神だと。数学者の方は言うんです」
「数式の先に神の存在を確信する。人間に、ここまで美しい数式は見いだせない。ならばそれは誰が創った? 神というより他ない。彼は、そうして万有引力を発見したのだと」
「唯一の神を信じるという我々にはない強さ。これを我々はもたないし、素直に賞賛すべきだと。私も同意見です」
黙って聞き入ってしまう。そうとも。女神様を信じる我々は気高く強い。
「しかしです。ひいき目かもしれませんが、仏法も美しいのです。あえて言うのではあれば、その美しさは力強さというよりは、包み込むやさしさとでも言うのでしょうか」
「私もあなたも、女神でさえも、たいした違いはない。皆苦しみから解放されたい衆生です。だからこそ、仏法はどんな存在にも開かれている。信じて坐っている姿が、既に救われている。美しいんです。なにもかも内包するその法が」
「……」
「私もあなたも、女神でさえも、たいした違いはないと言いましたが、それは『自身が自身である確かな根拠はない』という気づきにたどり着きます。あなたは優しい人だ。女神の苦しみを、我がことのように苦しんでいる。でも、だからこそそれを手放さなければならない。女神は苦しんでいると考える自分を、手放さなければならない」
女神が苦しんでいると考える自分を、手放す。今まで理解の外にあったホージョーサンの言葉が、像を結び始めたように感じた。
「それの実践として我々が行うことが、坐ることです。最初と同じく、短時間でいいです」
勝手に隣にホージョーサンが坐りだす。あとは言わずとも私が坐ってくれることを、全く疑っていないような、そんな態度で。
「とりあえず、坐りましょうか」




