禅問答・失格 僧侶・失格
「女神に仏性はあるか?」
女神と王女、そして王のことを思い出しながら、私は目の前の雲水に対して問うた。
「あるんじゃないですか? 多分」
チリリン。次。
「女神は絶対の存在です。森羅万象に仏性があるといえ、超越の存在に仏性は関係ないでしょう」
チリリン。次。
「美しければ、ある。醜ければ、ない」
「何を持って美醜とする」
「女神におけるそれは、即ち信者の数、祈りの質でしょうな」
チリリン。次。
「わからないです。多分師にも分からないでしょう」
「いや、分かるかもしれないぞ」
「では、教えて頂けますか」
チリリン。次。
「私に女心は分かりません。尼僧に聞くがよろしいでしょう」
「ではそのモノを切り取ってやろう」
「切り取っても子供は産めません。私には無理です」
チリリン。次。
「無」
(おっ)「無とはなんぞや」
「有の反対です」
チリリン。
今のところ、この最初の公案に透過(とうか、合格の意)したものは居ないが、別に良い。重要なのは透過までの早さ、透過した数ではない。全ての公案は、結局一つに行きつく。五年でも十年でも、全身全霊で挑めばよろしい。
私を信じてついてきてくれた四百人は、ほとんどが脱落せず山に残っている。元々軍でならしている連中だからか、睡眠も食事も足りないだろうに慣れない禅問答にに挑んでくれている。ありがたいことだ。
世界が変わっても、僧侶の仕事は変わらないと舞い上がっていた私は、仏法により一応の統一を経た軍が「模擬戦」を行う段になって、初めて自身の致命的な誤りに気が付いた。
実際に軍を動かすのは軍師であり、指揮官であり、兵士一人一人だ。私がやるべきことはほとんどなく、ただ仏法を応用した指揮官が出した指示を、仏法のもと心を一つにした兵士が実行した。軍師が言うには、全く意味が分からないのに予想以上の結果が出たとのことだった。
それをぼんやり眺めていた私は。自軍の向こうに架空の敵軍を見た。それを、自軍の矢や魔法の雨が襲い。彼らを殺す。
これは、仏教が望むものではない。絶対に。
軍師や、指揮官、兵士たちと沢山話をし、坐り、禅問答がなぜ必要なのか説き、ややこの世界流に訳した公案を用い、彼らと触れあってきた。
オショーサンオショーサンと呼ぶ彼らには一人一人悩みがあるようだったから、在家向けとはいえ私の持つ仏法を用いて全力で向き合ってきた。
「オショーサンと坐ってから、なぜか盤面がよく見えるようになったようだ。半信半疑だったが、考えない時間も必要なのだな」
「逆らえない命を受け、慕ってくれる部下の尻を叩くのが辛かった。でも、同じものを信じる仲間になってからは、彼らも私のことを信じてくれていると。そう思うようになった」
「ありがとう、オショーサン。なぜだかは分からないけど、心がかるくなったよ」




