異世界だろうが、僧侶の仕事は変わらない
この山に軍の四分の一を引き連れてこもり早一年。偉そうに山へ登ると宣言しつたものの、この世界の右も左も分からなかった私は軍一番の田舎というより山から来た男に導かれ、その山の中に開山することにした。
女神から承った「仕事」とは、つまるところ迷える人を導くことだと受け取った。
この世界は二派に分かれ戦っているとのことだったが、国が乱れていようとなかろうと、迷える人は迷える人だ。僧侶の仕事は変わらないだろうと。私は自称女神の仕事を了承した。
私が異世界に転生したこと、本当に私が死んだことについては疑っている。女神とやらも、私が死んだときにコスプレしたそこらの女性かもしれない。「喝ァツ!!」程度でひるんでいたし。
女神の話が終わったあと、目を覚まし、自称王の話を聞き、自分の足で歩いてみれば、私一人を騙すにしては規模の大きすぎる違いに、ここが元居た世界とは違うことは理解した。
しかし、所詮世界など、私の認識が生み出した錯覚。突然だから戸惑ったのは確かだが、この異世界転生とやらは私の見方が変わっただけのことかもしれない。
もしかしたら、修行の結果、私は元の世界という錯覚から別の錯覚に飛んで行ってしまったのかもしれない。
しかし、新しい錯覚の中では、仏法も修行も確かに思い出せる。考えることができる。歩ける。他者が居る。話が通じる。特に変わっていないと言えば変わっていないではないか。
他者が居て、話ができるのであれば、僧侶の仕事は変わらない。今まで通りである。自称女神や自称王が何を企んでいようが、やるべきことが変わらないのだから、気にしないことにした。
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王はまず王女とやらの教育を頼んできたが、王女は風呂に入りながら出迎えてきたので、「喝ァツ!!」と叫んで私は逃げた。どう考えても学び、つまり修行をする場面ではない。
あのような「非常識」な輩には、「非常識」を纏う理由がある。「常識」の中で育ったにもかかわらず、わざわざ「非常識」を持ち出す人間はそうせざるを得ない理由がたいていある。
禅問答では言葉にできる理屈、つまり論理的思考といったものから解き放つ必要から、たびたび「非常識」に見える答えが出てくるが、「論理的思考」の上に築かれているはずの山門外で「非常識」を持ち出す、それはすなわち「常識」ではどうしようもない何かを壊そうとあえいでいることにほかならない。
王が王女を私に託すとは、既に論理的思考で彼女を教育することはできない、もっと言えば、親が持つ論理的思考では娘を救うことができないからだ、そう私は受け取った。
とはいえ、僧侶として魅力的な女性の裸など可及速やかに遠ざけるのは当然のこと。背後では護衛の兵が分厚い扉を閉めてしまっていたので、「喝ァツ!!」の後に私は窓から飛び出した。三階くらいならどうにかなるだろう。この西の塔そんなに高くなかったし。
明らかに軋んでいた肋骨は無視して、私は王に報告をした。彼女は風呂に入ったまま私を出迎えた。またそうされては教えることも教えられないと。
王は苦い顔をし、素直に不手際と娘の非礼を詫びた。ほんとうに王かどうかは分からないが、誠実な人であるのは明らかだった。
「話が右往左往して悪いが、君には王女ではなく、軍を導いてもらいたい。失礼ながら、君は戦いに関して素人だろう。導いて欲しいといっても、それは剣の振り方や軍の動かし方ではない。信仰も統一されていない、さまざまな国の軍が集まっただけのこの巨大な軍を、まとめるための指針が欲しいのだ」




