転生
自分の最期は弟子と一緒に坐禅中と密かに決めていたのに、トラックにはねられた。特に何を考える瞬間もなく、気が付けば見知らぬ場所に立っていた。
「目覚めましたか、勇者よ……あなたに神託を授けます」
目の前で見目麗しい、西洋的な女性が微笑んでいた。なにか地に足が着かないことを言っている気がするが、そんなことをしている場合ではない。
幸い壁が近くにあったので、私はそれに向かって坐り始めた。
「…………あの、何を……」
「……」
坐相を整える暇もないまま逝ってしまったかと思いきや、走馬灯だとしても動く身体と思考を手に入れた。今からでも遅くない。
「えーと、もしもーし」
「……」
死んだと思しき自分に、突然神託などと言う美人。人の話を聞かないのは無礼かもしれないが、無礼かどうかなど重要でない状況であることは確かだ。
私の短い人生で学んだこと。こんなとき、いや、どんなときもやるべきことは一つだ。
とりあえず、坐る。
「……」
「……えぇ、なにこの人……」
とりあえず、一炷(だいたい 40 分くらい)坐禅した。
頭の中で、坐禅から歩く坐禅である経行に移行する経行鐘が鳴ったため立ち上がると、自称女神は目に涙をためてこちらを睨んでいた。
私は無視して、経行を始める。経行はだいたい一呼吸に半歩、とってもゆっくりと歩く坐禅だ。歩きながら、女神の方に近づくと、女神は「ヒッ」と小さな悲鳴をあげて後退した。
頭の中で経行を解く抽解鐘が鳴ったので、二炷目の坐禅にとりかかかろうとしたら、女神に「いい加減にしてください!」と頭をはたかれた。なんと無作法な。警策は右肩に打つものだろう。
……まぁ、坐禅してみて、まったく何時もと変わらない自分の身体、心を感じてみて、どうやら超越的な状況になっていないことは分かった。
六道のいずれかに転生したとか、絶対神の審判により異教徒として地獄に落とされたとか、絶対的な「無」か。そうではなく、「生きていた」頃となんら変わらないように思う。長年親しんだ坐禅を通してそう結論した。
「なんとか言ってください、このハゲ!」
「……無礼は詫びます。しかし、怒った状態で話せる内容などたかが知れています。仏教において怒りは瞋恚と言い、貪欲・瞋恚・愚痴と並ぶ『三毒』。ぜひ遠ざけるべきです。坐禅は怒りを鎮めます。とりあえず坐りましょう」
「黙れハゲ!」
まだ坐ってもいないのに、もう一回頭をはたかれた。なんと無作法な。これから黙るつもりだったのに。
「……分かりました。坐禅より先に、座談会にしましょうか」
「坐禅会でも座談会でもありません! 神託です!」
最初は微笑んでいたのに、いまはお不動さんもかくやという表情でこぶしを振り上げている。倶利伽羅剣を持っていたらさぞ似合うことだろう。
いまさらだが、服もお不動様なみに薄い。どうしよう。仏門に入った身として、こんな女性とあまり話したくないのだが……
「……とにかく、話を聞きましょう」
私は彼女に向き合いつつも、壁を半眼でみつめながら、彼女の話を聞き始めた。懐を探るとなぜかほうじ茶が入っていたので、彼女のぶんを淹れて飲みながら話を聞くことにした。急須ってあるかな、あ、意外とあるっぽい。




