プロローグ
禅僧道安により坐禅と仏法が浸透した村でのこと。
老若男女を問わず、村民一同が暁天坐禅に励む姿を目にし、警策(肩を叩く木の棒)を持った道安は満足げな表情を浮かべていた。
二代目勇者の教育と言う名の教化も一旦は落ち着き、ぶっちゃけ暇していた道安は魔王軍を退けた後の村へ支援に出かけていた。
本人は飾りだと思っている三代目勇者の肩書は伏せ、心細いであろう村の人々へ「坐禅」を教えるために、村へやってきたのだ。
暗かった村の雰囲気も今や明るく、人々の顔には力強さと安らぎが宿っている。坐禅を終えた村民は早速各々の作務へと向かった。畑仕事の動きが妙に整ってる。やはり共に坐ると自然と呼吸も合うのだろうか。
道安には特別なチートスキルなどなにもない。異世界転生に巻き込まれたことに今更疑いもないが、道安ができることは転生前と変わらない。ただ坐ることだけだ。
尊敬する老子達のようなありがたみはないとはいえ。この村のように坐禅を通し、人々を救うまでいかずとも、役に立てるのは嬉しいことだ。
次はもろもろの報告のため一旦、顔色が悪い王のいる王城へ帰ることになるだろう。
しかし、あの王女、最近私に対する目つきが……その、良くない煩悩を感じるんだよなぁ……。
うなだれつつも、村民に気づかれないように帰り支度をする道安。そんな道安の背後に一人、王女と同じ目をした村娘。彼女は意を決すると、上ずった声をかけてきた。
「……あの、道安様、今ちょっとよろしいでしょうか」
「……ああ、なんでしょうか?」
私はまたかと思いながらその娘を見た。出家後はともかく、前世ではあんなにモテなかったのに。雑念を前に、道安は慌てて首を振る。
「あ、あの! ……私、道安様のことをお慕いしております! どうか、私をつれていってください!」
どこへいこうと坐っているだけの私の、なにがそんなにいいのだろう。
転生したとしても、私は仏門に入った身。気持ちには応えられない。
道安は彼女を傷つけないように、しかし毅然とした態度で答えた。
「その親しみは私の魅力から来るのではなく、私を通して仏法を理解しつつあることから来ていると思います」
「私を好いてくれる気持ちは嬉しいのです。しかし、その気持ちも、私自身も、あなたも無常。その燃え上がるような素晴らしい感情は間違いなくいずれ苦しみとなります。」
「依法不依人という言葉があります。隣人を愛する気持ちは大切ですが、真に依るべきは愛する人ではなく法、つまり仏の教えです」
「理解するのは難しでしょう。私なりの考えを言わせて頂きましたが、言葉で理解するのには限界があります。意に反する説教なんてなおさらです」
「結局、私が応えられるのは『その感情は手放して、一緒に坐りましょう』ということだけです。なぜ素晴らしいことであるはずの、私に対する恋慕を流して坐らなくてはならないのか。言葉でも説明できるかもしれません。しかし、只管坐ることでいずれ気が付かれるのがよいでしょう」
村娘は納得していないようだったが、想いを寄せる相手だからか、渋々と隣に坐った。
始めは明らかに不承不承といった坐想だったが、しばらくの後、いつもの安らかな半眼の顔つきになったのを見て道安はホッした。
まだ話しの分かる段階で助かった。煩悩の中でも、男女の恋に関するものは釈尊も本当に手を焼いたものだと聞いていたからだ。
二人は見つめあうこともなく、同じ壁に向かって安らかに坐り、そのまま解散した。
しかし僧堂と違い野外だからか、不覚にも道安は坐禅中にも関わらず村娘の呼吸が乱れていることに気が付かなかった。
その夜、道安は煩悩にまみれた顔の村娘に襲われた。
控えめに言って美女である村娘の実力行使に道安の本能は揺れたが、坐禅で鍛えた欲を受け流す心と股関節の柔らかさで速やかに布団を抜け出すと、全力で村から逃げた。修業時代の振鈴もかくやというくらいの全力疾走だった。
「……危なかった。彼女の肌の温もりも、私の動揺も、確かにこの瞬間に現成した真実。否定すれば執着になり、溺れれば道を見失う。今はただ、この乱れた呼吸を整え、次の一歩に正しく足を運ぶだけだ。」
少なくとも坐禅は教えることができた。彼女と、その周囲の人も、時間はかかるかもしれないがただ坐る縁は結ばれた。
道安は走りながら、村娘の柔肌の記憶を振り払うように、そう願うのだった。
これは、某仏教宗派のチート無し僧侶が、異世界でやがて全員と静かに坐るだけの話。
あと、道安が誰かと結ばれることはない。だが、縁は確かに結ばれていく。




