「それはまた素晴らしい教えだなぁ」
男は絶対に言わなそうなことを言う道安に驚いた。坐るために生きていそうなこの男が、坐っている場合ではないだと?
「勘違いさせる私の非ですが……なにも禅とは座った姿勢でなければできないものではありません。歩行しながらでも、寝ていながらでもできるものです」
道安はいつの間にか手に持っている鋤で畑の石をどかし始めた。
「私の尊敬する師はこう説かれています。食事も修行、掃除するのも修行、寝るのも修行……当然、作務、つまり畑を耕し、命を繋ぐための糧を育てるのも修行であり禅です」
「坐禅の形は確かに基本です。しかし、命を繋ぐための畑仕事だって大切な修行で、怠るべきものではありません。ましてや坐禅する前に命が繋げなくては元も子もない。半年後、変わらず修行し続けるためにも、今はこの畑を元に戻すのが先決です」
「あと先ほどの話ですが、この畑が流されたのはあなたの信心がないからではありません。ましてや、神や仏があなたを見捨てたからでもありません」
「……理由などないのです。無意味にあなたの畑は流されました。そこに理由はないのです」
男はふざけたことを言う道安にカッとなったが、カッとなったところでどうにもならないことにすぐに気づき、また気分は沈んだ。
俺の畑が流された理由がない? そんなの、あんまりじゃないか。
「これは私が信じる教えでは典型的な苦しみです。誰かにふりかかり、誰かにはふりかからない災難ですが、この差に意味はありません。どんなに功徳を積んだ聖人だって、無残な死に方をすることもあります。そもそも、功徳や修行は利や目的を求めるものではないのですが」
道安は鋤を振るいながら語り続ける。
「なにかをしたからなにかが得られるはずだ……これは苦の始まりです。理由を求めては必ず苦しみます。思い通りになることなんて少ない世で、自分に都合の良い道理なんてなかなかありません。それでも受け入れやすい理由を探して、事実をねじ曲げてまで妄想を理解したことにする……これは良くない」
「だからと言って、すべてが苦だから何もしないのもまた違う。目的を持たずに只管、日々修行する。これが私の持つ答えです」
鋤がリズムよく土を叩く音がする。まるで鋤と土で五観の偈を唱えるように。
「半年後我々は死んでいるかもしれない。でもどうなるか考えても実際は分からないです。今は無心で、私と一緒にこの作務を成し遂げましょう。そして半年後、また一緒に坐ることにしましょうね」
それから道安は食事の量は半分に、畑仕事の量は倍にと日常に励んだ。そうは言っても心もとない蓄えを何とかしようと、男とともに山へ入り、食べられる野草やキノコの知識を授け、採って食べた。
男はしばらく不安が頭から離れなかったが、道安と共にひたすら命を繋ぐための仕事に打ち込むと、不安に苛まれることも減っていった。
むしろ、どこか清々しいような気さえしてきた頃、畑は何とか元の体裁を取り戻し。道安がいつの間にこさえた塩辛いツケモノなる品が、樽一杯に用意されていた。
「やっと落ち着いて座れますね」
ずいぶん痩せこけた道安だったが、ヒョロヒョロのくせに背筋だけは半年前と変わらず見事な一直線だった。男は笑って隣に坐り始めた。
今日の料理は道安が腕によりをかけるとのことで、ショウジンリョウリなるものを食べた。
彼の料理はたまに口にしていたが、よくも野菜だけでこんなに多彩なものだと感心したものだ。今日の料理には一層感心したものだ。
いつもの五観の偈を一緒に唱えたあと、食事に口をつける前に男は道安に話しかけた。一度料理に口をつけると、彼は言葉を発しないからだ。
「そういえば畑が流されたとき、あんたは俺の信心は関係無いって言ってたな」
「言いましたね」
「そんじゃ、この五観の偈ってのは確かにありがてぇものなのかもしれないが、それでも毎食あんたが唱えるのはなんでだい? 何かの理由になるものじゃないんだろ?」
「仏性は教わるものではなく、森羅万象、あなたのなかにも既にあるものです。しかし、多くの人はそれを忘れる。修行する今この瞬間が仏であるのに、過去や未来の苦にばかり振り回されている。それを毎食前、気付かせてくれるヒントだと、私は思っています」
「それはまた素晴らしい教えだなぁ」
すぐに野菜汁にがっつく男を前に、道安ははっきりと微笑んだ。
一生懸命作務という名の修行に打ち込んだこの男は、ある意味道安よりもこの食事を頂く意味を理解しているかもしれない。
ただ、修行とは比べるものではない。
「食べ終わったら坐りましょうか」




