第80録 緩んだ空気の裏で
エリスは、魔導人形の前で呼吸を整えていた。
ベルゼブブは腕を組んで、エリスから最も近い柱に寄りかかっている。
彼女の後方では、魔法使い達が期待に満ちた目で事の顛末を見守っている。
グラドは呆れ顔で彼等を制止するように佇んでいた。
エリスはふと振り返ると、グラドに尋ねる。
「あの、すみません。これはどのぐらいまで耐えられますか?」
「…………俺が8割ぐらいの魔力出しても5回は耐えれる」
「そうですか……」
「間違っても壊すなよ。制作に時間かかるんだからよ」
ぶっきらぼうに言い放ったグラドに、魔法使い達が抗議する。
「グラド様!テオドールですよ!?ここは本気を出してもらうべきでは!?」
「もし壊れても、私達が頑張って作りますから!どうかっ!」
「人形どころか訓練場に張ってあるバリアが破られるかもしれねぇぞ。
それでもいいのか?」
「……それは困ります……」
勢いをなくした魔法使い達を見て、グラドは鼻を鳴らした。
エリスは魔導人形に向き直ると、もう一度呼吸を整える。
それから、どこまでの魔力で魔法を放つか考えた。
この訓練場と城全体にはバリアが張られている。
自分が本気を出したら、それすら壊すかもしれない。
しかし、彼等の期待を無視するわけにはいかない。
エリスはチラリと後方の魔法使い達を見る。
自分が1回だけと提案したとはいえ、彼等の期待を裏切りたくなかった。
すると、ベルゼブブが音もなくエリスの隣に来て、耳打ちする。
「お前の好きなようにやりゃいいんじゃねぇの?
もし人形やバリア壊れても、コイツ等がどうにかしてくれるだろ」
「ちょっと待て!使い魔!お前何言いやがった!」
「別に何言おうとオレ様の勝手だろ。
テメェらはコイツの魔法の威力を期待してるんだろ?
なら、それなりに責任取ってくれるんだよな?」
ベルゼブブの言葉に場の空気が張り詰め、グラド達は思わず息を呑んだ。
エリスは1歩踏み出すと、魔導人形に手のひらを向ける。
ここまで来た以上、手は抜けない。
魔法の威力を高める最も手っ取り早い方法は、怒りや憎悪等の負の感情を抱くことだった。
エリスは今回、それを利用するつもりでいた。
必死に頭を回転させていたエリスはふと、思い出した。
マーレ港で貴族に絡まれたことを。
あの時は急なことで戸惑いしかなかったが、今振り返ると、理不尽な要求と終始見下した態度。
エリスはフツフツと怒りが湧き上がってきた。
その瞬間、エリスの全身からバチバチとオレンジ色の電気が弾ける。
あまりの圧に、魔法使い達はともかく、グラドですら顔が引きつっていった。
「お、おい、テオドール……。魔導人形どころか、訓練場壊すなよ……」
「大丈夫です……たぶん」
「たぶんじゃ困るんだよ!!」
グラドの怒声を無視して、エリスは大きく息を吸い込むと魔法を放った。
「《雷撃》!!」
轟音が響き、一筋の雷が魔導人形に直撃した。
雷光で場が白く染まり、振動で建物全体が大きく揺れる。
魔導人形は白い煙を上げて真っ黒に焦げていた。
すかさずベルゼブブがエリスの隣に立って尋ねる。
「お前、正気だよな?」
「大丈夫。どうして焦っているの?」
「気のせいだ。オレ様は焦ってねぇ」
短く吐き捨てると、ベルゼブブは柱の側に戻った。
今放った魔法のせいで、エリスの人格が切り替わっていないか不安だったのだ。
しばらくの静寂の後、誰からともなく拍手が沸き起こり、歓声が上がる。
「素晴らしいです!」
「感動しましたっ!」
「い、生きててよかった……」
魔法使い達が次々に感想を述べる。感極まって涙を流している者もいた。
その間にグラドは魔導人形に近づくと、深いため息を吐いた。
「完全に壊れてはねぇが、修理一直線だな……。
テオドール、お前何割の魔力出した?」
「そうですね……だいたい半分ぐらいです。怒りが乗ってますけど」
「は!?」
「へ!?」
ベルゼブブ以外の全員が驚いた顔のまま動きを止めた。
グラドが8割の魔力で5回は耐えれる魔導人形を、
エリスはたった1回。
しかも半分の魔力で修理に追い込んだ。
「そ、そんな……」
「我々など、足元にも及ばない……」
「全力で10回放って修理かどうかなのに……」
皆、改めてテオドール家の魔力の高さに驚かされた。
エリスはおずおずとグラドに声をかける。
「では、約束通り帰りますね」
「あ、ああ……。無理言って悪かったな……」
まだ気圧されているのか、グラドの声は刺々しさがなく少し震えていた。
すると、ベルゼブブがニヤニヤしながら彼に声をかける。
「なんだ、テメェにも申し訳ないとかいう気持ちがあるんだな。
てっきり怒鳴るしか脳が無いのかと思ったぜ」
「俺をバカにするんじゃねぇ!こう見えても常識はある方だ!
使い魔が偉そうに口出すな!」
「フン、やっぱりガキだな」
「なんだと!?もう1回言ってみろ!!」
「やなこった。ちゃんと話聞いとけよ、ガキ」
口論を始めたグラド達を見て、魔法使い達は遠巻きにボソボソと話す。
「あの黒い人、グラド様に引けを取ってない……」
「むしろ煽ってるよ……」
「テオドールさんもすごかったけど、あの人もなかなかだな……」
2人の口論を間近で聞いていたエリスは、肩をすくめて呟く。
「やっぱりあなた達似て――」
「似てねぇよっ!!」
再び声が重なった2人を見て、エリスは小さく吹き出した。
それを見た魔法使い達にも笑いが広がる。
ようやく、場の空気が緩んだ。
その夜――空には、いつもより多くの鳥が飛び交っていた。
しかしその鳴き声はどこか落ち着かない。
だが、その異変に気がついた者は誰もいなかった。
・マーレ港で貴族に絡まれた話は69話にあります。




