第37話 『月の墓標』危うし
グスタフ伯爵の討伐から一夜が明けた。
城内は、昨夜の狂乱が嘘のように静かだった。
いや、静かに慌ただしかった。
「ご、ご主人、この部屋の埃、半端ないですじゃ! 朝から雑巾がけで腰がバキバキになりますじゃ!」
バキバキって……。
「アスカお婆ちゃん、私たちがしっかりお掃除して、みんなを迎え入れる準備をしなきゃダメだよ! ほら、マリちゃんも手伝って!」
――ガウッ。
一階の広大なホールでは、アスカとメイド服に着替えたマヤ、そしてなぜか尻尾にハタキを括り付けられたマリが、残った獣人の労働者たちと共に大掃除に励んでいた。
どうやらアスカとマヤは、早速「獣人たちのリーダー」としての内務を徹底的な環境美化から始めたらしい。
正面玄関には、警備として精霊騎士イヴァンが長槍を持って一人佇んでいた。
なぜか元気がない。
「ん? イヴァンは一人なのか?」
「主はマヤ殿に誘われ、掃除に――」
「戦闘以外は常に一緒じゃなくてもいいだろ。元気出せ」
――魔物を主としている精霊騎士も少し変わってる。
***
「シン、ちょっと。……これ、桁が合わない」
ダイニングテーブルでは、グスタフの残した膨大な資産目録と首っ引きになったレイが、もの凄く険しい顔で俺を睨みつけていた。
なぜ俺を睨む――。
「あのデブ。隠し金庫が三つもあった。それと、土地の権利書や美術品の評価額が、この帳簿の記載と全然違う。……一ギルでも誤魔化されてたらイラッとする。あと、シンが獣人たちの給与二倍って言ったから、私は徹底的に無駄を削る。……経費削減」
お怒りのレイは、過去最高にセリフが長かった。
***
ククク、と二階のギャラリーから優雅な高笑いが降ってくる。
見上げると、長い赤い髪を揺らしたミサトが椅子に座って優雅に紅茶を楽しんでいた。
「シンよ、随分と世知辛い城主じゃのう。もっと何事にも余裕を持て。そう急がずとも妾が城の修繕や内装を超豪華にしてくれるわ」
「いや、急げよ」
いつでもどこでもマイペース。
ま、不思議な安心感はなぜかある。
そんな会話を皆としながら、俺は城内を見て回っていた。
***
中庭の修繕状況を見ていると、結界の内側を巡回警備していたスケルトン将軍が走って俺の元へ来た。
「ん? どうしたんだ?」
将軍は突然、その場でバッとしゃがみ込む。
「うわっ、――びっくりした……」
将軍は骨の人差し指で地面をなぞる。
「け・っ・か・い・の・そ・と・に・ギ・ル・ド・の・ひ・と・が・き・て・い・る」
「おい! そういう大事なことはもっと早く…………書け?」
だめだ。――こいつら声帯ねえわ。
俺はダッシュで将軍が指さす方向へ向かった。
***
結界のすぐ外側には、馬に乗ったサンジオンのギルマス、ガルド・ヴァルガンがいた。
そして、副ギルマスのセドリク・アルヴァン。
その後ろには、Aランクパーティー『ラクロス』のジェラックをはじめ、数多くの冒険者たちが殺気立った様子で控えている。
「月の墓標、代表シンだな」
馬上のガルドは、冷徹なギルマスとしての顔で俺を見下ろした。
その声は、拡声の魔道具を通じて重々しく響く。
「グスタフ伯爵が不当にお前のメイドを攫い、城の地下に獣人たちを監禁していた事実については、ギルドもすべて把握した。……お前たちの立場も、そこにあった『正義』も、理解はできる」
しかし、とセドリクが言葉を引き継ぎ、生真面目な声で話す。
「だが、一国の領主を殺害し、城を武力で占拠したという大罪を、ギルドのルールで曲げることはできない。……本日をもって、パーティー『月の墓標』は、冒険者ギルドから永久追放処分とする。Bランクへの昇格、およびすべての冒険者資格は一斉に剥奪だ。……これは、ギルドとしての公式な決定である」
結界の向こうで、ジェラックたちが「当然だ!」「反逆者め!」と勝ち誇ったように騒ぎ立てる。
――永久追放。
覚悟はしていたが、はっきりと突きつけられると、やはり胸の奥がチリついた。
だが、ガルドは騒ぎ立てるジェラックたちを片手で制すると、馬を一歩、結界の直前まで進ませた。
結界のすぐ向こう側。
ガルドは俺と視線を合わせると、周囲には絶対に聞こえないほどのごく小さな声で、不敵にニヤリと笑った。
「――ってのが、表向きの建前だ、少年」
「……え?」
「お前らがグスタフを討ってくれたおかげで、サンジオンの街の奴らはみんな、内心で万歳三唱して喜んでる。ギルドとしても、あの野郎の無理難題にはヘドが出そうだったからな。……追放されたお前は、もうギルドのルールにも、国への配慮にも縛られる必要はねえ。好きにやれ」
ガルドは口元を歪め、親指で俺を指した。
「ギルドとしてはお前たちを敵とみなすが、俺『個人』としては別だ。城内の内政で物資や情報が足りなくなったら、セドリクを介してこっそり裏から繋いでやる。公式には絶対に記録に残らん『裏の鎖』だ」
セドリクも、眼鏡の奥の生真面目な目をわずかに和ませ、小さく頷いた。
「あ、ありがとうございます……」
思わず、前世の素のトーンでお礼を言ってしまった。
理解してくれる大人がいる。
裏で繋がってくれる味方がいる。
その事実が、この先の見えない孤立無援の状況において、どれほど心強いことか。言葉では言い表せなかった。
だが、セドリクは踵を返そうとする間際、最後に一番重い言葉を突きつけてきた。
「シン君、これが『個人』としての、最初の情報提供だ。……王都が動いた。
一国の領主が殺された以上、国はこれをお前たちの国家反逆に相当する罪と断定した。
すでに『月の墓標討伐軍』が結成され、この城へ向けて進軍を開始している。
その数、グスタフ領の領兵の比ではない。本格的な王国の正規軍だ」
「……国の、討伐軍」
「そうだ。猶予はそう多くない。生き残りたければ、相応の準備をするんだね」
それだけを言い残し、ガルドとセドリクは、騒ぎ立てる冒険者たちを引き連れて、街の方向へと去っていった。
朝の光を受けて赤く輝く結界の向こう、遠ざかっていく馬の背を見送りながら、俺は深い、深いため息をついた。
「追放処分に、国からの正規軍の進軍……。インフラの修復や大掃除どころか、本格的な『籠城戦』の準備をしなきゃいけないのかよ……」
俺は右手の甲に刻まれた『王の紋章』を見つめ、情けない表情で天を仰いだ。
目立ちたくない。
誰からも注目されず、普通に、平凡に、モブとして生きたかった。
なのに、どうして俺は、一国の正規軍を相手に、城に立てこもって戦争をするような、超特大のメインキャラクターになっているんだ……!
「どうして……どうして俺は、こんなにも目立って……!!」
シンの絶望に満ちた嘆きが静まり返った城の中庭に、虚しく響き渡るのだった。
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