第33話 グスタフ討伐戦――直前譚
「さて、俺も始めるか」
血肉の茶会の一席に座った俺は、右手に埋まった赤い石を撫でる。
「蟲たちを呼ぶ」
「シン、あれ嫌い」
「蟲。懐かしいですじゃ」
「おい、ここに蟲なんぞ呼ぶでない」
俺は洞窟時代、遊びで蟲や蝙蝠、ネズミなんかを殺しては蘇生していた。
今まで使い道がなかったので忘れていたが、小さな蟲たちは偵察にはうってつけなのだ。
俺は席を立ち、血肉の茶会のエリアから出て地面に手を当てる。
「我が右手に宿りし闇の系譜よ、地の底に蠢く昏き血族の鎖を解き放て。光なき奈落の底より、這い出でよ」
地に当てた右手から黒い魔法陣が広がり、鈍い黒い光が靄のように立ち上っていく。
「我が漆黒の偵察兵! ――万物を侵蝕せよ!」
カサカサカサ……。
ムカデなどの蟲たちが無数に湧いてくる。
パタパタパタ……。
手のひらにも入りそうな小さな蝙蝠たちも、地面から飛び立っていく。
「相変わらず、キモい――」
「よし、こいつらと視点をリンクさせる」
俺は立ち上がり、蟲や蝙蝠たちのいる範囲へ手をかざした。
「常世の理を反転せよ。数多の死、無数の眼、気配なき骸の眷属どもよ。主の命のままに、この城のすべてを網膜に刻め」
「――『深淵の目』!」
支配下の蟲や蝙蝠が暗い紫色に淡く光り、消えていく。
「さぁ、行け!」
――決まった!
エフェクトも完璧だった。
もちろん、演出は毎回ミサトに頼んでいる。
その対価は、もちろん若者の血だ。
俺はさりげなくミサトを見た。
ミサトはティーカップを持ちながら、俺に軽くウインクした。
――俺とミサトは持ちつ持たれつなのだ。
***
城全体を包み込む赤い結界が出現した直後、城内に警鐘が鳴り響いた。
「正門前に突然、数名の集団が出現しました!」
「結界が展開されています! 城全体が外部から遮断されました!」
次々と報告が飛び交い、城内は騒然となる。
兵士たちは城壁や窓から外を確認した。
そこには、赤い結界に包まれた城と、正門前に広がる異様な光景があった。
白骨と肉で作られた椅子やテーブル。
臓物で彩られた花壇。
そして、その中心で優雅に紅茶を楽しむ赤いドレスの女たち。
「な、何だあれは……」
「悪魔の儀式か……?」
「魔導士を呼べ! 結界の解析を急がせろ!」
指揮官は兵士たちの動揺を抑え、次々と命令を下す。
「外部との連絡手段を確認しろ! 結界を破る方法を探せ! 敵の正体も調べるのだ!」
だが、結界の解析には時間がかかっていた。
その間にも、城の防衛態勢は急速に整えられていく。
外門の前には、兵士たちが大急ぎでバリケードを築いていた。
中庭では騎士団が慌ただしく動き回り、次々と陣形を整えていく。
その背後には魔導士たちが並び、いつでも魔法を放てるよう配置されていた。
さらに城壁の上には弓兵が配置され、外門へ続く広場を見下ろしている。
その光景は、まるで攻城戦を迎え撃つための防衛陣地そのものだった。
だが、彼らが対峙しているのは、城壁を攻める軍勢ではない。
門前に広がる血肉の茶会と、その中心で優雅に紅茶を楽しむ俺たちだった。
城内では、結界の突破方法を探る者、迎撃態勢を整える者、敵の正体を調べる者たちが、それぞれの持ち場で慌ただしく動き続けていた。
一方、俺たちは血肉の茶会で、蟲や蝙蝠たちから届く情報を待っていた。
***
グスタフは、城の一室で寛いでいた。
手元には酒の入った杯。傍らには側近が控え、いつもと変わらぬ時間が流れている。
そこへ、慌ただしい足音が響いた。
「ご報告です!」
扉が勢いよく開き、兵士が飛び込んでくる。
「何事だ。騒々しい」
「城の外に、赤い結界が出現しました! 城全体が覆われています!」
「何だと?」
グスタフは杯を置いた。
「さらに、正門前に複数の人影が現れました。現在、相手の正体を確認しております」
「人影だと? 何者だ?」
「まだ分かっておりません。ただ、見たところ冒険者のようです」
グスタフの表情から余裕が消えていく。
「すぐに調べろ。城内の防衛は騎士団に任せる。私は相手の正体を知りたい」
「はっ!」
兵士が退出すると、グスタフは落ち着かない様子で杯を手に取った。
だが、口をつけることなく、報告を待つ。
やがて、別の兵士が駆け込んできた。
「ご報告です! 正門前の一団について、確認が取れました!」
「誰だ!」
「冒険者ギルドに所属する一団……月の墓標だと思われます!」
「なっ……!」
グスタフの顔色が変わった。
月の墓標。
ならば、ここへ来た理由は一つしかない。
「巫女姫か……! あの誘拐が知られたというのか!」
グスタフはすぐさま側近に命じた。
「冒険者ギルドへ連絡しろ! 月の墓標を止めさせろ! それと、奴らの身柄を確保するよう指示を出せ!」
「はっ!」
グスタフは当然のように命じた。
冒険者ギルドは本来、国や領主から独立した組織だ。
だが、これまでグスタフは自らの威光を使い、何度もギルドに手を回してきた。
今回も、自分の言うことを聞くはずだ。
そう思っていた。
側近が通信の魔道具を手に取る。
だが、しばらくして首を横に振った。
「駄目です! 通信が繋がりません!」
「何だと!?」
「結界の影響と思われます。外部との連絡が一切取れません!」
グスタフは言葉を失った。
月の墓標が現れた理由は分かった。
ギルドを動かして止めようにも、結界に阻まれて連絡すらできない。
「冒険者風情がいい気になりおって」
「ほんの数人で領主に向かって、何ができるというのだ」
「奴らは破滅主義者なのか? たかが獣人の小娘一匹で」
グスタフは苛立ちと焦り、怒りが入り交じった複雑な気持ちを抱え、独り言を漏らした。
「奴らは死刑だ。こんな騒ぎを起こして済むはずもない!」
「くそっ……!」
窓から城門の外を見る。
グスタフが歯噛みする一方、正門前ではおぞましい血肉の茶会が続いていた。
「狂信者どもが……」
その異様な光景を前に、グスタフはただ相手の出方をうかがうしかなかった。
***
「――見つけた!」
城内に放った蟲の視界がマヤを捉えた。
蟲達と視界を繋げる『深淵の目』は、無数の視界とリンクしているため生きた人間では脳の処理が追いつかない。
眼底の痛み、頭痛や吐き気。身体が拒絶反応を示すのだ。
だが、屍人である俺には関係ない。
魂で肉体を操る俺に、生者の脳の限界は当てはまらない。
「ご主人、マヤは無事なのですじゃ?」
心配するアスカが椅子から立ち上がる。
しかし、マヤの着せられたあの変態チックな衣装を伝えるか悩む。
伝えれば、恐らくアスカはぶちキレる。
――いや、『わしもそれ着たい』とでも言うのか?
「ああ、傷などは見当たらないようだ」
「ん。――良かった」
レイの表情が僅かに緩む。
「――ただ、少し寒そうにしている。何か羽織るものを持って行った方がいいな」
ミサトは俺の物言いに何か勘づいたらしい。
「では、これを持って行くが良い」
ミサトは血肉の椅子に座ったまま、右手を空中にさらす。
空間が歪み、その中にミサトは手を入れる。
すぐに純白のガウンを取り出した。
「え。……空間収納?」
ミサトの底知れぬ魔法に悪寒が走る。
空間収納は高位魔導士の中でも、特急と呼ばれる者たちだけが使用可能な魔法だ。
だから俺たちは家を買ったあと、空間収納が可能な魔導袋をレイドの報酬で購入していた。
家よりも高い三千万ギル。
そのくらいの価値のある魔法なのだ。
俺はアスカとマリ、イヴァンに地下牢までのルートを伝え、アスカに純白のガウンを持たせた。
「シンよ、隠蔽魔法をアスカらにかけてもよいかの?」
今日のミサトの魔法は、これも含めて全て高位魔法だ。
「ああ、頼む」
ミサトは詠唱もせず、アスカたちをひとしきり見つめる。
すると、アスカたちの輪郭が徐々に周囲の景色の中に溶け込んでいく。
「これは光学迷彩のようなものじゃ。存在自体は消えぬ。斬りつけられれば怪我もする。だから気をつけよ」
俺はミサトに危機感を覚えた。
彼女は俺たちからしたら、神に等しい能力を持つ。
――果たして俺が魂縛だけでミサトを制御できるのか。
勘のいいミサトは、すぐに俺を見る。
「シンよ、そう心配せんでもよい。妾は今、不自由な幸せを楽しんでおるからの。それがまた、心地よい。だから好き勝手はせんよ」
――不自由な幸せ。
こんな時なのに――。
――ずっとこの言葉が心に残った。
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