第31話 シン、怒髪天を突く
その日の依頼を終えた俺たちは、町の酒場で食事を取っていた。
本来、俺たちは食事を取らなくても平気だ。
それでも、ミサトがこの店に血の滴るような半生の牛ステーキがあると聞きつけ、どうしても食べたいと我儘を言い出したのだ。
まあ、たまにはこういう時間も悪くない。
そう思っていたのだが――。
店内の一角から、妙に気になる話し声が聞こえてきた。
「また領主様のところに連れていかれたらしいぞ」
「誰がだ?」
「税を納められなかった男だ。兵士に連れていかれたきり、戻ってこないそうだ」
「……そんなことが許されるのか?」
思わず口を挟んでしまった。
男の一人が、こちらを警戒するように目を向ける。
「お前さんたち、よそ者か?」
「ああ。ギルドの依頼で来ている」
「なら、余計なことには首を突っ込まない方がいい。この領地を治めているのは、グスタフ・ヴァルテン伯爵様だ」
「……その伯爵が、税を納められない者まで連行させているのか?」
「シン、声が大きい」
レイに小声で注意され、俺は慌てて口を閉じた。
男は周囲を気にするように視線を巡らせると、さらに声を潜めた。
「伯爵様は、獣人の娘を集めているという話だ。特に若い娘がお好みらしい」
「集めている?」
「城に連れていかれた娘が、戻ってきたことはない。家族が抗議しても、兵士に追い返されるだけだ」
男の表情は暗かった。
その口ぶりからして、単なる噂話ではないのだろう。
町の者たちにとっては、珍しくもない出来事なのかもしれない。
「そんなことが許されるのかよ……」
俺は思わず声を漏らした。
「ここでは、領主様に逆らう者はいない。逆らえば、どうなるか分かっているからな」
男はそれ以上話そうとせず、仲間の方へ向き直った。
俺たちは一様に、同じようなことを考えたらしい。
誰も口を開かず、酒場の喧騒だけが妙に遠く感じられた。
領主グスタフは、獣人の娘を集めている。
その言葉が、頭の中に残り続けていた。
ふと、マヤの顔が浮かぶ。
今、あいつはサンジオンの家で留守番をしている。
もちろん、ここで聞いた話がマヤに関係するとは限らない。
領主がどれほど横暴な人物であろうと、すぐに危険にさらされるわけではないはずだ。
それでも、胸の奥に嫌なものが残っていた。
「シン、マヤが心配」
レイが小さな声で話しかけてきた。
「ああ。獣人の娘を集めているなんて聞いたら、どうしてもな……」
「ん。何もなければいいけど――」
レイも同じことを考えていたのだろう。
その先の言葉は、続かなかった。
領主の悪評は、それだけではなかった。
税を納められない者は容赦なく連行され、領主に逆らった者は、理由も告げられずに処刑されることさえあるという。
この町の人々は、領主を恐れながら暮らしている。
俺たちがこれまで知っていたサンジオンの姿とは、あまりにも違っていた。
ギルドで依頼を受け、買い物をしているだけでは分からないことがある。
同じ領地の中で、こんな暮らしを強いられている人たちがいるなんて――。
「シンよ。食事も観光も辞めて、依頼を今からやり続ければ明日の朝には終わるじゃろう」
ミサトが、食べかけのステーキから目を離して俺を見た。
いつもの我儘な口調とは違う。
今の話を聞いて、ミサトなりに考えたのだろう。
「――そうだな」
「ご主人、さっさと依頼を片付けて家に帰るですじゃ」
アスカの顔は、いつになく真剣だった。
「ん。それがいい」
レイも迷いなく同意する。
結局、俺たちはマヤが可愛くて仕方ないのだ。
あいつが家で待っていると思うだけで、こんなにも落ち着かなくなる。
早く帰ろう。
今は、それだけで十分だった。
俺たちは食事を済ませると、残りの依頼を片付けるために酒場を後にした。
***
翌日の朝。
依頼を完遂した俺たちは、その土地のギルドで依頼完了の手続きを済ませた。
普段なら、報酬を受け取ったあとに町を見て回るところだが、今はそんな気分にはなれない。
手続きを終えると、俺たちはすぐさまマリの背中に乗る。
マリは俺たちを乗せると、地面を蹴り、風を切って走り出す。
目指すはサンジオン。
少しでも早く、家に帰りたい。
マリの背に揺られながら、俺は何度も前方を見た。
早く着いてくれ。
ただ、それだけを願っていた。
***
遠目に、我が家の姿が見えてきた。
――その瞬間、違和感に気づいた。
玄関の扉が開け放たれている。
そして、玄関前の床が不自然に隆起していた。
何だ、あれは。
胸の奥が、ざわりと波立つ。
嫌な予感が、頭の中をよぎった。
嘘であってくれ。
何でもないことであってくれ。
俺は心の中でそう叫びながら、マリから飛び降りるようにして家へ向かった。
アスカが俺たちよりも早く駆け出し、玄関をくぐっていく。
そして――。
「…………っつ。マヤ!」
家の中から、アスカの声が響いた。
続いて、何かが崩れ落ちるような音。
俺が玄関にたどり着いたとき、アスカは床に膝をついていた。
その姿を見た瞬間、嫌な予感が現実になったことを悟った。
ミサトは冷静に玄関の床の隆起を見つめていた。
「これはアースバインドの痕跡じゃのう」
その眉間には、深いしわが刻まれている。
家の中を見回す。
家具が倒されている様子はない。物が荒らされた形跡も見当たらない。
けれど、マヤの姿がない。
いつもなら、俺たちが帰ってくれば真っ先に出迎えてくれるはずなのに。
「誘拐――」
レイが、握り締めた手を震わせていた。
マリは家の中を歩き回り、床や家具の匂いを嗅いでいる。
マヤの匂いを探しているのだろう。
おい。
――おい。
どういうことだ。
何でマヤがいない。
何で玄関が開け放たれている。
何で、床がこんなことになっている。
頭の中で、いくつもの疑問が渦巻く。
だが、答えなど考えるまでもなかった。
マヤがいない。
それだけで、十分だった。
「――おい!」
俺は転生して初めて、心の底からブチ切れた。
***
しばらく怒りで発狂しそうになっていた俺が、ようやく落ち着きを取り戻した頃。
ミサトが、静かに俺の傍へやってきた。
「シンよ。其方が許可するなら、物の記憶を辿る高位魔法で、この状況をはっきりさせることができるのじゃが、良いかの?」
「できるのか? そんなこと」
「ああ。――できる。そうじゃの、この魔道ランプの記憶を辿ろうか」
ミサトは玄関の上に据え付けられた魔道ランプを指さした。
「ランプの記憶をここに投影するから、皆はその場を空けるのじゃ」
ミサトが指し示したのは、玄関を入ってすぐの場所に敷かれたカーペットだった。
俺たちは言われたとおり、その周囲から離れる。
ミサトは魔道ランプに両手をかざすと、何やら小さく呪文を唱え始めた。
やがて、その両手をカーペットへ向ける。
次の瞬間、カーペットの上に淡い光が広がった。
そこに映し出されたのは、今朝の出来事だった。
ローブを深く被った男が二人、玄関に現れる。
そして、マヤを連れ去っていく。
映像は、俺たちが見ている目の前で、その出来事を再現していた。
何もできない。
ただ、見ていることしかできない。
マヤが連れ去られる一部始終を、俺たちは黙って見つめていた。
そして、帰り際。
ローブの男たちが交わした会話が聞こえてきた。
『ああ。これで俺たちにも、約束の褒美がいただけそうだ』
『領主様は、あの猫耳娘にはもう飽きたと仰っていたからな』
『俺たちがあの娘を下賜されたら、好き勝手してから売り払おう』
――その瞬間、再び頭に血が上った。
拳を握り締める。
隣を見ると、皆の顔もどんどん険しくなっていた。
アスカは歯を食いしばり、レイは目を鋭く細めている。
ミサトの表情からも、いつもの余裕が消えていた。
まさに――怒髪天を突くとはこのことだった。
「潰す。……グスタフを潰す。領兵全てを敵に回しても――俺は止まらない」
「ご主人、わしもですじゃ。マヤを取り戻し、領主を成敗するですじゃ!」
「当然。――逆らう者は八つ裂き」
「シンよ。妾もフルマックスで魔法を打っていいかの?」
「いや、ミサトが本気を出すと、この領地そのものが地図から消える。やめてくれ」
――これはマジな問題だ。
ミサトが本気で魔法を放てば、俺たちまで蒸発してしまう。
「ほんにシンは狭量よのう」
またか、みたいな顔で不満を俺にぶつける。
「ミサトは万が一のジョーカー。高貴なる女王はこんな些事で出張るなどありえんだろう?」
「――ふむ。そうれもそうじゃ。いつものように静観としようぞ」
ミサトが自尊心を持ち上げられ、非常に満足げな様子。
――チョロい。
そして後ろを振り返る。
そこには、すでにマリに騎乗したイヴァンの姿があった。
長槍を手に、もう片方には剣を携えている。
どうやら、皆の準備はとっくに整っていたらしい。
今から領主と、その一派をぶっ潰す。
10月10日 一挙5話公開 18:00に5話同時公開
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