第27話 世界樹の樹心に埋められた黒い石
マリの額にある緑の石が、淡い光を放っていた。
その光の中に、イヴァンの姿はもうない。
精霊王の最後の思念を宿した石に、今は新たな守護者が宿っている。
「マリ……大丈夫か?」
俺が声をかけると、マリはゆっくりとこちらを振り向いた。
大きな灰色の身体。白い腹。そして額に輝く緑の石。
いつもと変わらない姿に見える。
だが、そこに宿るものは、もう以前と同じではない。
マリは俺を見つめると、尻尾を揺らした。
「そうか。なら、よかった」
言葉を交わすことはできなくても、その仕草で十分に伝わってくる。
俺は、マリの額の石へ視線を移した。
イヴァンは、もういない。
いや、いなくなったわけではない。
マリの守護者として、あの石の中にいる。
精霊王の最後の思念も、世界樹も、そしてあの騎士も――。
目の前に広がる光景を見て、俺は改めて思った。
母なる世界樹には、もう命がない。
「……さて」
俺はブラッド・オーヴァードを使い、マリの額にある緑の石を定着させた。
マリと石の間で魔力が行き来しやすくなれば、石に宿るイヴァンの力も、より確かにマリへ伝わるはずだ。
これまでは、レイがマリの額に石を埋め込んだだけだった。
だが今は、イヴァンが宿る石だ。
きちんと定着させておいたほうがいい。
石の周りには、俺の右手にあるものと同じ紋章が、マリの地肌に刻まれた。
毛をかき分けなければ、ほとんど見えそうにない。
これで、石とマリの間の魔力の伝達効率も格段に上がるはずだ。
***
俺たちは、世界樹の幹を見上げていた。
葉は一枚も残っていない。
巨大な幹は空に向かって伸びているものの、そこから生命の気配は感じられなかった。
「ミサト。世界樹の中に、何かあるんだよな?」
「うむ。何かあるようだのう」
「何があるのか分かるのか?」
「まだ分からぬ。じゃが、世界樹の中に何かがあるようじゃ」
「それって、どういうものなんだ?」
「今は分からぬ。樹心を探して、何か異常がないか見てみようかの」
「――樹心?」
「うむ。まぁ、簡単に言えば樹木の心臓部のようなものじゃ」
「普通の木には無いのだが、こういった精霊や妖精が宿った場合、心臓のようなものができるのじゃ」
「あと、怨念や信仰心なんかでも、木に意思が宿れば樹心と呼ばれておるようじゃの」
「へぇ……木にも心臓みたいなものがあるんだな」
「普通の木には無いと言うておるじゃろう」
「いや、だから世界樹にはあるんだろ?」
「そうじゃ。まずは魔法で調べてみるとするかのう」
ミサトが世界樹の幹へ手をかざす。
その指先に魔力が集まり、淡い光が浮かび上がった。
ミサトは幹の上から、ゆっくりと手を下ろしていく。
そして、幹の終わりと根との境目あたりで手を止めた。
「む。これは……石か? ちょっと待て……うむ。樹心には黒い石が入っているようじゃ」
「黒い石……。もしかして、森に漂っている瘴気の原因?」
「……なるほど。黒い石から瘴気が溢れておるな。ふむ、これが原因じゃな」
「やっぱり、その石が原因だったのか」
「うむ。じゃが、誰が、いつ、何のために埋め込んだのかは分からぬ」
「木の内部に物を埋め込む魔法はいくつか存在するが、まさか世界樹に施すとはのう」
俺は、世界樹の幹を見上げた。
「まずは、その石を取り出す方法を考えないとな」
「そうじゃな。慎重に行わねばの」
ミサトの言葉に頷き、俺たちは黒い石がある場所を確認することにした。
***
世界樹の幹を見上げながら、俺はミサトに尋ねた。
「それで、どうやって取り出すんだ?」
「まずは、石の位置を正確に把握せねばならぬな」
「さっき調べたんじゃないのか?」
「大まかな位置は分かった。じゃが、取り出すとなれば話は別じゃ」
「世界樹の内部を傷つけぬよう、慎重に行う必要がある」
「なるほど……」
ミサトは再び世界樹の幹へ手をかざした。
先ほどと同じように、指先に魔力が集まっていく。
「少し離れておれ。妾がやる」
「ああ。頼むよ」
俺たちはミサトから距離を取った。
ミサトは目を閉じ、世界樹の内部へ意識を集中させる。
しばらくすると、幹に浮かんでいた淡い光がゆっくりと強くなっていった。
「……見つけた。ここじゃな」
ミサトの手が、幹の一か所で止まる。
次の瞬間、世界樹の周囲に漂っていた瘴気が、わずかに揺らいだ。
「おお……!」
俺は思わず声を上げた。
ミサトの魔法が、世界樹の内部にある黒い石へと作用している。
やがて、幹の表面に小さな亀裂のような光が走った。
「もう少しじゃ……」
ミサトの声に力がこもる。
そして――。
世界樹の内部から、黒い石がゆっくりと姿を現した。
その瞬間、周囲に漂っていた瘴気が大きく揺れた。
「取り出せたのか?」
「うむ。これでよい」
ミサトの手の中には、黒い石があった。
「見せて」
ミサトは黒い石を俺に手渡した。
「これもか……」
「なんじゃ?」
「いや、マリの石もレイの石も、サイズも形も同じなんだよな。色が違うだけだ」
「ほう。興味深いのう」
レイが、自分の石とマリの石、そして黒い石を見比べる。
「ほんと……色が違うだけ」
何か意味があるんだろうが、今の時点では全く見当がつかない。
そのとき、周囲の瘴気に変化があることに気づいた。
「ん? 瘴気が……少し、弱くなっている?」
「うむ。世界樹の中にあった瘴気の供給源を取り除いたのじゃ。森に漂う瘴気も、これから少しずつ薄れていくじゃろう」
俺は、手の中にある黒い石を見つめた。
「でも、その石からはまだ瘴気が出ているんだよな?」
「そうじゃ。石そのものが瘴気を放つことに変わりはない。じゃが、世界樹の中にあった時とは違い、もう世界樹へ瘴気を送り込むことはない」
俺は、改めて世界樹を見上げた。
葉を失い、生命の気配も感じられない巨大な樹。
黒い石を取り出したことで、何かが変わるのだろうか。
だが、今はまだ分からない。
俺は手の中にある黒い石を見つめた。
***
「その石、妾にくれぬか?」
ミサトが、俺の手にある黒い石を見つめていた。
「欲しいのか?」
「うむ」
「どうして?」
「其方は、赤い石に宿る妾の本体の魔力を使っておるじゃろう?」
「ああ。魔法を使うときに、ミサトの魔力を借りている」
「その魔力を補充するためじゃ。この黒い石を妾の分体に埋め込めば、魔力を補うことができる」
「分体に埋め込む……?」
「そうじゃ。其方が妾の本体の魔力を使う以上、いずれは補充が必要になる。ならば、そのための力を確保しておくに越したことはあるまい」
なるほど。
俺がミサトの魔力を使っている以上、その分を補う必要があるということか。
「わかった。ミサトが必要だというなら、渡すよ」
「よいのか?」
「そもそも、俺が持っていても使い道がないからな。それで魔力を補充できるなら、ミサトに持っていてもらったほうがいい」
俺は、黒い石をミサトへ差し出した。
「……感謝するぞ、シン」
ミサトは黒い石を受け取った。
そのやり取りを、アスカは黙って見ていた。
シンはまだ魔法を使い始めたばかりだ。
膨大な魔力を持つミサトの魔力を、補充が必要になるほど消費しているとは思えない。
アスカは、ミサトの説明にわずかな違和感を覚えた。
だが、何も言わなかった。
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