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第26話 精霊の騎士、マリの守護者となる

 精霊の騎士との戦いは、まだ終わっていなかった。


 俺は距離を取りながら、次の手を考える。


 剣を構えた騎士の全身から、黒い瘴気が立ち上っている。あれだけの瘴気をまといながら、動きに迷いはない。


 まるで、世界樹を守るという命令だけで動いているかのようだ。


「……なら、数で押すしかないか」


 俺は魔力を練り上げた。


「死者の軍団!」


 地面から次々と骸骨が這い出し、腐肉をまとった死者たちが立ち上がる。


 今の俺が使える中では、これが最も強力な召喚魔法だ。


 しかも、この場所を満たす瘴気の影響で、召喚したアンデッドたちの力は普段より増している。


 これなら、少しは足止めできるはずだ。


 だが――


 騎士が槍を振るった。


 たった一撃。


 前列の骸骨たちが砕け散り、続く一撃でゾンビたちも吹き飛ばされる。


 騎士は歩みを止めることなく、次々とアンデッドを蹴散らしていった。


「……嘘だろ」


 あっという間に、軍団は壊滅した。


 俺の最強魔法が、こうも簡単に。


 いや、相手が強すぎるのか。


 そう思いたいが、目の前の光景は現実だった。


「ご主人、まだ終わっておらぬぞ!」


 アスカの声が飛ぶ。


 分かっている。分かっているけど……。


 俺は思わず、ミサトの方を見た。


 ――なんで、あの魔法演出が無かったんだ?


 以前、頼んでおいたはずだ。


 死の軍団と唱えると同時に派手なエフェクトが発生するはずだった。


 だが、ミサトは涼しい顔で戦況を眺めている。


 ……忘れているな。


 完全に忘れている。


 俺は心の中で静かに決めた。


(ミサトには血の報酬は無しだ)


 もちろん、口には出さない。


 今はそれどころではないのだから。


 騎士が再び動いた。


 その進路に、マリが立ちはだかる。


 マリは低く唸り、騎士を見据えた。


 騎士もまた、マリへと向き直る。


 その瞬間だった。


 二つの影が、同時に動きを止めた。



     ***



「……マリ?」


 マリは騎士を見つめたまま、ゆっくりと身を低くした。


 そして、まるで何かに従うように、その場に伏せる。


 額に埋め込まれた緑の石が、淡い光を放ち始めた。


 光は次第に強くなり、やがて周囲を照らすほどに輝く。


 騎士の動きも止まっていた。


 槍を構えたまま、微動だにしない。


 そして――


『イヴァン、おやめなさい』


 穏やかな女性の声が響いた。


 声は、マリの額にある緑の石から聞こえてくる。


 騎士の身体がわずかに揺れた。


『もうよいのです。イヴァン』


 騎士はゆっくりと槍を下ろし、マリの前に膝をついた。


『私は、精霊王が最後に残した思念の残滓。精霊王はもういません。長い年月の中で、私の思念もまた弱まり、消えゆく寸前です』


 その声には、悲しみよりも、深い慈しみがあった。


『私たちの母なる世界樹には、もう命がありません。あなたは最後まで、母なる樹《き》を守ってくれました』


 緑の光が、騎士を包み始める。


『長い年月の忠義を精霊族も、そして妖精族も忘れません』


 声が、わずかに沈む。


『母なる世界樹をこのような姿にしたのは、正(・)義(・)な(・)る(・)邪(・)悪(・)の(・)存(・)在(・)。残念ながら、私たちはもう何もすることができません』


 その言葉の意味を、俺はまだ理解できなかった。


 正義なる邪悪――。


 相反する言葉のようにも聞こえる。だが、精霊王の思念が告げたその名には、深い悔恨が込められていた。


『もうよいのです。あなたを縛るものは、何もありません』


 騎士の身体から、黒い瘴気が立ち上った。


『私の最後の力で、あなたを解放いたしましょう。これからは、あなたの思うがままに……』


 光が一段と強くなった。


 騎士の全身を覆っていた瘴気が、音もなく消えていく。


 そして、静寂が訪れた。


 騎士は膝をついたまま、しばらく動かなかった。


 やがて、ゆっくりと顔を上げる。


 その目に、先ほどまでの濁った光はない。


「……私は……」


 騎士は周囲を見回した。


 枯れ果てた世界樹。


 命を失った大地。


 かつて守るべきだったものは、もうそこにはなかった。


「世界樹が……」


 その声は、長い眠りから覚めた者のようにかすれていた。


「精霊王様……」


 返事はない。


 緑の石の光も、先ほどより弱くなっていた。


 精霊王の思念は、最後の力を使い果たしたのだろう。


 騎士は、しばらくその場に膝をついていた。


 守るべき世界樹は枯れ、仕えるべき精霊王もいない。


 自分は、これから何をすればよいのか。


 何をすべきなのか。


 長い年月を、ただ守るために生きてきた。


 その目的を失った今、騎士には進むべき道が見えなかった。


 その視線が、ふとマリへ向けられる。


 マリの額には、緑の石がある。


 かつて世界樹の力を宿していた石。


 そして今、自分の目の前にいる獣が持つ石。


 騎士は、ゆっくりと立ち上がった。


「……そなたは、その石を持つ者か」


 マリは静かに騎士を見つめている。


「私は、もう守るべき場所を失った。だが、守ることそのものを捨てたわけではない」


 騎士は、自分の胸に手を当てた。


「もし許されるのならば、これからはそなたの守護者として生きたい。その石と共にあり、そなたを守る者となりたいのだ」


 そして、マリの目を見つめる。


「だが、これは私の願いだ。そなたが望まぬのならば、無理に従わせるつもりはない」


 騎士は静かに頭を下げた。


「私を石の中に迎え、守護者とすることを受け入れてくれるだろうか」


 マリは、すぐには答えなかった。


 俺たちも、誰も口を挟まない。


 やがて騎士は、最後に自らの名を告げた。


「私はイヴァン。かつて世界樹を守護した、精霊の騎士だ」


 その名を聞き、俺は改めて騎士の姿を見た。


 世界樹を守るためだけに戦い続けた存在。


 その長い役目を終えた今、彼は自分の意思で、新たな道を選ぼうとしている。


 その選択を受け入れるかどうかは、マリに委ねられていた。



     ***



 マリは、すぐには答えなかった。


 騎士の言葉を理解しているのか、それとも、ただその意思を感じ取っているのか。


 しばらく騎士を見つめていたマリは、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、一歩、また一歩と騎士へ近づいていく。


「マリ……?」


 俺が呼びかけても、マリは振り返らなかった。


 騎士の目の前まで進むと、マリは静かに頭を下げた。


 額の緑の石が、再び淡い光を放つ。


 その光を見た騎士は、驚いたように目を見開いた。


「……受け入れてくれるというのか?」


 マリは顔を上げ、騎士を見つめる。


 そして、迷いのない動きで一度だけ頷いた。


「……ありがとう」


 騎士は深く頭を下げた。


 それは、長い年月を経て初めて、自らの意思で選んだ新たな主への礼だった。


挿絵(By みてみん)


 マリの額の緑の石が、温かな光に包まれる。


 騎士の身体がゆっくりと光へ溶け込んでいく。


 その姿が完全に消える直前、騎士の声が聞こえた。


「これより私は、そなたの守護者となろう」


 光が収まり、そこにはいつものマリがいた。


 ただ、額の緑の石だけが、以前よりも強く輝いている。


「……マリ。今の、受け入れたんだよな?」


 マリは俺を振り返ると、いつものように尻尾を揺らした。


 どうやら、答えは決まっているらしい。


 こうして、精霊の騎士は新たな守護者として、マリと共に生きる道を選んだ。

10月10日  一挙5話公開 18:00に5話同時公開

10月11日~ 毎日3話公開 毎日18:00から30分毎に1話づつ

10月16日~ 毎日2話公開 毎日18:00から30分毎に1話づつ

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