第25話 精霊の騎士
このままでは――ヤバい。
目の前で、巨大な斧が振り下ろされた。
「散れ!」
ジェラックの声が響く。
ドォンッ!!
地面が砕け、土煙が舞い上がった。
俺たちは一斉に飛び退く。
ミノタウロス。
三メートルを超える巨体に、牛の頭。
全身を覆う筋肉。
そして、その手に握られた巨大な戦斧には、黒い瘴気がまとわりついている。
「――闇よ、穿て!」
俺が放った魔法が、ミノタウロスの肩を撃ち抜く。
同時に――
ヒュンッ!
レイの矢が飛ぶ。
矢がミノタウロスの胸へ突き刺さった。
ジェラックが一気に距離を詰める。
「――はぁっ!」
ザシュッ!
剣がミノタウロスの脇腹を斬り裂いた。
確かな手応え。
だが――
傷口から黒い瘴気が噴き出した。
そして、ゆっくりと傷が塞がっていく。
「……斬っても治るのかよ」
思わず呟く。
倒せないわけじゃない。
傷は確実に与えられている。
ただ――瘴気が傷口へ集まり、少しずつ傷を塞いでいる。
長引けば、こちらが不利になる。
「チッ!」
ジェラックが舌打ちした。
その隙を狙って、ミノタウロスが斧を横薙ぎに振るう。
「散れ!」
再びジェラックの声。
俺たちは左右へ飛び退いた。
その瞬間――
アスカが駆けた。
ミノタウロスの懐へ潜り込む。
「ですじゃ!」
――ザシュッ!
短剣が脚を斬り裂いた。
ミノタウロスが体勢を崩す。
そこへマリが飛び込んだ。
鋭い爪が、その脚をさらに引き裂く。
ミノタウロスが振り払おうと腕を振る。
だが、マリは素早く身を翻した。
そして――
ガブッ!
その腕へ牙を突き立てる。
「グォォォッ!」
ミノタウロスが吠え、マリを振り落とした。
「妾も少しくらい手伝うとするかの」
ミサトが手を上げる。
「――ファイヤボール」
轟音とともに炎が炸裂する。
続けて――
「――ライトニング」
雷撃がミノタウロスを貫いた。
Aランク冒険者たちが攻撃を重ねる。
だが、やはり傷は瘴気によって少しずつ塞がっていく。
戦況を見極めていたセドリクが、こちらへ振り返った。
「シン!」
「ん?」
「ここは私たちが抑える! 君たちは深部へ向かってくれ!」
セドリクは谷の奥を指差した。
「今回の目的は、嘆きの渓谷の深部を調査することだ。ボスがいたなら、それも頼む!」
「分かった」
俺たちはミノタウロスから離れ、谷の奥へ向かう。
背後では、まだ激しい戦闘が続いている。
――ドォン!
――ガキィン!
戦斧と剣がぶつかる音。
俺は一度だけ振り返った。
「……頼んだぞ」
そして、前を向く。
***
谷の奥へ進む。
途中で何体もの魔物が襲ってきた。
だが――
俺たちにとっては、ただの狩りと同じだった。
レイの矢が飛ぶ。
魔物が倒れる。
アスカが懐へ潜り込み、短剣を振る。
マリは魔物へ飛びかかり、爪で引き裂く。
逃げようとした魔物には、牙が食らいつく。
俺が魔法を放ち、ミサトが追撃する。
出てくる魔物を狩りながら、俺たちは谷のさらに奥へと進んでいった。
そして――
進むほどに、瘴気が濃くなっていく。
「……瘴気、濃くなってないか?」
瘴気が肌にまとわりつくように濃くなっていく。
視界まで黒く霞んでいる。
普通なら、息苦しくなるような濃度だ。
なのに――
「……なんだ?」
俺は自分の身体を見下ろした。
妙に軽い。
疲れているはずなのに、身体が軽く感じる。
それだけじゃない。
魔力の流れが、いつもより自然だった。
まるで身体の中へ、周囲の瘴気がゆっくり染み込んでくるような感覚。
「シン」
レイが隣で呟く。
「うん?」
「……気持ちいい」
「やっぱり?」
俺も同じだった。
この濃い瘴気の中にいるほど、身体が楽になっていく。
俺たちアンデッドにとって、瘴気は毒ではない。
むしろ――
力そのものだった。
濃い瘴気に包まれていると、身体の奥まで満たされていくような感覚がある。
魔力も、身体の動きも、いつもより滑らかだった。
「わしも問題ないですじゃ」
アスカも気持ちよさそうに身体を伸ばす。
マリは何も言わない。
ただ――
尻尾が、ゆっくりと揺れていた。
「ふふ……」
ミサトが微笑む。
「妾には、この場所はなかなか心地よいのう」
さらに一歩、奥へ。
瘴気が濃くなる。
それなのに、不快感はない。
むしろ――もっと深くまで進みたくなる。
「濃ければ濃いほど、心地よいのう」
ミサトの言葉に、俺も頷いた。
「この場所……俺たちには相性がいいみたいだ」
「ここに別荘でも建てて、時々癒しに来たいな」
「あ、それ賛成」
レイが即答した。
「わしも賛成ですじゃ」
アスカまで乗ってくる。
「ふふ……別荘か。悪くないのう」
ミサトも楽しそうだ。
俺たちはそんな軽口を叩きながら、さらに奥へ進んだ。
そして――
ふと気づいた。
魔物が、すっかりいなくなっている。
「……静かだな」
さっきまで聞こえていた魔物の気配も、今はない。
風の音すら聞こえない。
「静かですじゃ……」
アスカが呟く。
俺たちは足を止めた。
***
その先には――何も見えなかった。
石灰色の霧のような瘴気が、視界のすべてを覆っている。
数メートル先すら見えない。
「……なんだ、これ」
俺たちは慎重に歩を進める。
一歩。
また一歩。
すると――
霧の向こうに、巨大な影が浮かび上がった。
進むにつれて、その輪郭が少しずつはっきりしていく。
幹。
枝。
そして、遥か頭上へ伸びていく巨大な樹冠。
俺は思わず足を止めた。
それは――天まで届こうかと思えるほどの巨木だった。
「……デカい」
見上げても、頂上が見えない。
瘴気に覆われた谷の奥で、その巨木だけが静かに立っている。
「これは世界樹かの。いや、元世界樹と言った方がいいかのう」
ミサトが見上げながら呟く。
「世界樹……妖精や精霊の拠り所」
だが――
その周囲には、ほとんど生命の気配がなかった。
草もない。
花もない。
そして――
世界樹には、葉が一枚も残っていなかった。
巨大な枝だけが、瘴気に覆われた空へ伸びている。
その先にあるのは、枯れた枝ばかりだった。
木の根元に広がる大地はひび割れ、乾ききっている。
そして、その大地には――
崩れ落ちた建物の壁。
朽ちた石畳。
壊れた柱。
かつてここで暮らしていた者たちの生活の跡が、瓦礫となって残されていた。
精霊族や妖精族たちが暮らしていた場所。
その残滓だけが、静かに横たわっている。
かつては豊かな緑に囲まれ、多くの生命が集っていたのだろう。
それが今では、濃い瘴気に覆われ、すべてが朽ち果てている。
「これは……」
レイが呟く。
俺も言葉が出なかった。
巨大な世界樹と、そこに残された暮らしの跡。
そして、そのすべてを覆い尽くす瘴気。
まるで――世界そのものから見放されたような光景だった。
「……見放された世界樹、か」
俺が呟いた瞬間。
――ズン。
地面が揺れた。
「!」
世界樹の前に、何かが立っている。
巨大な身体。
背中から伸びる左右四枚の大きなものは、遠目には蝶の羽のようにも見えた。
だが、よく見ると――
それは巨大な葉だった。
兜や鎧も、金属ではない。
太い木の蔓を編み上げたような装備が、全身を覆っている。
手には長い槍。
そして腰には一本の剣。
その姿はまるで――
世界樹そのものから生まれた騎士。
「――世界樹を……守る……」
低い声が響く。
俺たちを見ている。
いや――睨んでいる。
「誰だ……?」
俺が一歩下がる。
騎士が槍を構えた。
「世界樹を……守る……」
同じ言葉を繰り返す。
そこに理性があるようには見えない。
ただ一つ。
世界樹を守る。
その意思だけが残っているようだった。
「シン」
レイが弓を構える。
「分かってる」
俺も魔力を集める。
アスカが短剣を握る。
マリが低く唸る。
ミサトの赤い髪が、瘴気を含んだ風に揺れた。
そして――
騎士が長槍を振り上げる。
「――世界樹を守る」
次の瞬間。
凄まじい速度で、こちらへ突っ込んできた。
「来るぞ!」
俺たちは迎え撃つ。
その姿を見て、俺は理解した。
こいつは――
精霊の騎士。
10月10日 一挙5話公開 18:00に5話同時公開
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