第19話 血を飲んだ女王が、目の前に現れた
夜明け前。
「全部で二万四千ギルか、まあまあだな」
「次は血を買う」
「ああ、でもどうやって買うかだ」
『貧乏そうなやつを見つけて声かければすぐじゃ』
――確かに。
「貧乏そうなやつを探せ。路地に誘って交渉しよう」
「ご主人、幾らで血を買うんですじゃ?」
「そうだな、一回千ギルにしようか」
「ん。適正」
「了解ですじゃ」
***
「…………」
俺たちはメイン道路を何往復もした。
「貧乏そうな人いないですじゃ」
俯き加減だったレイが顔を上げる。
「はっきり言う」
「シンが……一番貧乏くさい」
電撃を受けたような衝撃が走る。
「え? お、俺が?……」
「ローブの中は裸、ズボンも穴だらけ」
「ご主人……」
「ぶっちゃけ――変態ぽい」
へ、へん……。
俺は膝から崩れ落ちる。
言われてみれば、俺の格好は酷かった。
上は拾ったローブを羽織っているだけ。
その下には何も着ていない。
ズボンはあちこち擦り切れ、膝や太腿が露出している。
腰紐も何度か結び直したせいで、いつ切れてもおかしくない。
しかも――死んだ男の古着。
当然、一度も洗っていない。
洞窟にいた頃は気にもしなかった。
だが、こうして人の目がある場所に出てみると……。
――絶望した。
確かにレイは自前の服装、アスカは拝借した物だが、質は良い。
二人は時々、川で洗濯していたようなので比較的小奇麗だ。
それに比べて俺は、どう見てもまともな服装とは言えない。
貧乏というより――不審者だ。
「…………」
俺は路地で体育座りをしながら、レイとアスカに血の調達を任せたのだった。
***
「おし、とりあえず血をコップに入れてと……」
『はようせい。妾は待ちきれぬ。ああ、七百年の想い。今、叶わん』
――大袈裟なやつめ。
まぁ、わからんでもないが。
俺は赤い石を、血の入ったコップに落とす。
コップの血が渦を巻く。
まるで底に目に見えない小さなブラックホールでも開いたかのように、血はみるみるその姿を消していった。
『はぁぁあああ。美味しい、美味しいわぁぁああ』
『穢れなき血の一滴が、妾の五臓六腑に染み渡っていくようじゃ』
――満足なら何よりだ。
「アスカ、この血はどうやって?」
「ぼーっと徘徊していたじいさんに声かけて買いましたじゃ」
――――。
『おげぇぇえええ。ボケジジイの血とはっ! おえっ、おえっ』
『妾への不敬じゃ! ボケジジイを直ちに処刑するのじゃ!』
――別に爺さん、悪くないだろ。
『血が足りぬ、もっと買ってくるのじゃ』
「もっと買ってこいってさ」
「でもご主人、どれだけ買えば……」
「この石が血を吸えなくなるくらいだろうな」
「それと……」
俺はアスカとレイに近づき、小声で話す。
「誰の血でも構わんが、この石の前では子供か若い女性の血だということにしてくれ」
「ん」
「はいですじゃ」
***
「残った金はこれだけかよ」
手元には三千ギルだけだった。
何度もレイとアスカは血を買って、ここを往復した。
『う、げっぷ。飲んだ、飲んだわぁ』
――ちっ、血を買うところまではしばらく全く話しかけてこなかったくせに。
『下々の者がやることなど、口を出さぬ。虚無となって頭を休めておったわ』
――虚無か。俺も頭が疲れた感じのときは、そんなふうにしてる。
『そうでなければ七百年もじっとしておれぬわ』
ああ、そうかも。
――パソコンのスリープ機能みたいなもんだな。
――魔力は復活したのか?
『ああ、復活したのじゃ。ありがとうな、シンよ』
――もう魔法を使えるのか?
『いや、石の中からは大したことはできぬ。其方の魂縛が強いのじゃ』
――その辺は保険だ、我慢してくれ。
『わかっておる。だから今から洋服屋へ行くのじゃ』
――なんで洋服屋へ?
『なんでもじゃ。妾は服を見たい。其方も何か買った方が良いぞ?』
『今だとただの変態だしの』
――ちっ、さっきの聞いていたのかよ。
「おい、洋服屋へ行くぞ」
「シン、やっと人になれる」
ずいぶんな言われようだな。
「ご主人、行くですじゃ」
***
高級洋服店。
ミサトがどうしても入りたいと我儘を言ったからだ。
「た、高けぇ」
三千ギルではシャツ一枚程度。
「古着で良ければ奥の部屋でご用意できますが」
接客してくれた男性の店員が奥の部屋を指す。
奥の部屋へ行くと、少し乱雑だったが、所狭しと服が並んでいる。
「こちらは、以前ご来店されたお客様が新しいお召し物をお買い求めの際、その場で着替えられ、それまでお召しだったものをこちらに置いていかれたものでございます」
店員は静かな物腰で話す。
「そのような経緯のお品でございますので、お客様には大変控えめなお値段でご提供が可能でございます」
その言葉を聞いた途端、レイもアスカも部屋じゅうを物色しだした。
やはり女性なんだと思う。
『シンよ、そこの壁に掛かっている赤いドレスが気に入ったぞ。買うのだ』
――高そうだぞ。というか、お前、服買っても着れないだろ。
『良いからそのドレスを持って試着室へ行くのじゃ』
ミサトの圧が凄いので、俺は言われたようにドレスを持って試着室へ歩く。
店員もレイもアスカも、非常に複雑で厳しい視線で俺を見る。
「ミサトの指示だ。俺が着るわけじゃない」
試着室のカーテンを閉める。
『良いか? 目を瞑るのじゃ』
俺は素直に目を閉じた。
すると、周囲の空気が変わった。
肌を撫でるように、熱を帯びた魔力が渦を巻いていく。
それは次第に強くなり、試着室の中に充満していった。
『まだ目を開けるな。開けたら目を焼くからの』
――何怖い事言ってんの。
俺の腕から、ドレスがスルッと離れていく。
そのまま宙に浮いたように、目の前で止まった。
衣擦れの音。
誰かがドレスを身に纏う気配。
そして――
魔力の渦が、一気に収束した。
『いいぞ、目を開けよ』
***
恐る恐る目を開く。
目の前に――女が立っていた。
赤い髪。
それは腰近くまで流れ、魔力の残滓を受けてゆっくりと揺れている。
白く透き通るような肌。
整った鼻筋。
細く長いまつ毛。
そして、こちらを真っ直ぐ見つめる赤い瞳。
身に纏っているのは、先ほど俺が持ってきた赤いドレス。
だが、ただ服を着ているだけには見えない。
ドレスも、まるで最初から彼女のために仕立てられたかのように馴染んでいた。
立っているだけなのに、妙な威圧感がある。
美しい。
そんな言葉だけでは足りない。
まるで絵画の中から抜け出してきたような――
そんな女だった。
「うぁっ」
思わず声が漏れる。
「驚いたかの?」
女が口元に笑みを浮かべる。
その声には、七百年の時を石の中で過ごしたとは思えないほどの艶があった。
「めちゃくちゃ驚いたぞ」
俺は思わず一歩後ずさる。
目の前にいるのは、さっきまで赤い石だったはずの存在。
「石から出たのか?」
「うむ。正確には、今のこれは分体じゃな」
「分体? コピーみたいなもんかな」
「コピーとやらは知らんが、魔力で作った妾の人形みたいなものじゃ」
ミサトは自分の手を眺め、指をゆっくり動かす。
まるで何百年ぶりかに、自分の身体を確かめるように。
「じゃ、本体は石の中なのか?」
「うむ。全魔力の二割ほど使って石の外に顕現させたのじゃ」
「二割……」
俺は目の前のミサトを改めて見る。
たった二割。
それだけの魔力で、この存在感。
「ミサト……お前、本当に凄いんだな……」
――その時だった。
試着室のカーテンがバッと開く。
「シン、女の声――」
「ありゃ、ご主人! こ、この人は……」
奥でこちらを見ていた店員も、口を茫然と開けていた。
「ああ、こいつはミサトだ」
「ミサト――バンパイア・クイーン」
「こりゃお初ですじゃ、ミサト殿」
「やっと会えたな。シン、レイ、アスカよ。妾はミサトじゃ」
「ミサト、綺麗――」
「レイ、世辞はよすのじゃ。其方も相当な美人よの」
「ミサト殿。本物の女王の貫禄、恐れ入りましたのじゃ」
「アスカも可愛くて、殿方に受けそうな容姿よの」
なんか女三人で互いを褒めあってニヤニヤしてやがる。
***
女ども三人はキャッキャッ言いながら、服や靴、アクセサリーなんかも籠に入れている。
俺も一応、黒いローブ、黒いシャツに黒いズボン、そして黒い靴を選ぶ。
所々に銀のポイントが入っていて、なかなかカッコいい。
闇に生きる者は黒で統一するのがトレンドなのだ。
「お会計はかなりお値引きさせていただきまして、全部で三万三千ギルでございます」
やべえ。
三千ギルしか持ってねえぞ。
古着もこんなに高いのかよ。
「あら。店員さんは落ち着いた感じの妾好みのナイスミドル。今日の妾の美しさに免じて三千ギルにならないかしら。今後もこの店を贔屓にするからのう」
さすがに三万ギルの値引きは、ヤクザでも言わんぞ。
しかし、ミサトが最後にウインクをすると、店員の瞳の色が一瞬で変わる。
「――左様でございますな。ミサト様の女王の風格、レイ様の白い陶器のような可憐なお姿、アスカ様の満開の花園のような笑顔。感服致しました。今回はタダと言うことにさせていただきましょう。今後も御贔屓にお願いいたします」
まじかぁぁぁぁあああ。
た、タダだとぉぉぉおおお!
ミサトのチャーム《魅了魔法》恐るべし。
***
「ミサトはヤクザだなー。さすがにタダにすることはないだろ」
「ふん、元々は客からタダで仕入れたもの。奴らはなんの損もしておらぬわ」
「同意」
「はい、わしもそう思うですじゃ」
なんか女どもが妙に結束している。
まさかチャームでも?
「シンよ、仲間にチャームをかけるほど妾は落ちておらぬ」
ま、いっか。
10月10日 一挙5話公開 18:00に5話同時公開
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