お昼、どうします?」
# 第二話
## 「お昼、どうします?」
なぎが三階に来てから、
二週間ほどが過ぎた。
最初はただの取引先だった。
でも、
気づけば応接室へ向かう足取りが、
少しだけ軽くなっている。
「お疲れさまです」
その一言を聞くだけで、
妙に安心した。
なぎはよく二階へ降りてきた。
書類の確認だったり、
印鑑の依頼だったり、
本当にちょっとした用事ばかり。
けれど、
それだけで十分だった。
「あ、この書類って先月の様式で合ってます?」
「はい、大丈夫ですよ」
「助かりました。ありがとうございます」
そんな短いやり取りをするたび、
少しずつ距離が近づいている気がして、
嬉しくなる。
同じ建物にいる。
たったそれだけのことなのに、
妙に特別だった。
エレベーター前で会うことも増えた。
一階の自販機。
コピー機の前。
廊下。
たまに目が合って、
軽く会釈されるだけで、
その日が少し良い日になる。
我ながら単純だと思う。
でも、
久しぶりだった。
誰か一人の存在で、
仕事の日が変わる感覚なんて。
ある日の昼前。
時計が十二時を回り、
周囲が少しずつ慌ただしくなる。
「昼どうする?」
「今日は外行く?」
そんな会話が飛び交う中、
僕は資料を保存して席を立った。
昼くらい、
静かに食べたい。
最近は一階のレストランへ行くことが多かった。
定食が安くて、
味も悪くない。
なにより、
一人でも入りやすかった。
エレベーター前へ向かうと、
先に誰かが立っていた。
紺色のスーツ。
見慣れた背中。
「あ」
思わず声が漏れる。
なぎが振り返って、
ふわっと笑った。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
たったそれだけなのに、
少し緊張する。
エレベーターのボタンを押しながら、
なぎが困ったように笑った。
「この辺、まだ全然わかんなくて」
「え?」
「お昼です。毎回コンビニなんですよね」
そう言って、
小さくため息をつく。
なんだか意外だった。
なぎは、
もっとちゃんとしている人だと思っていたから。
「忙しいんですか?」
「いや、単純に店知らないだけです」
「あー……」
エレベーターが開く。
二人で乗り込みながら、
僕は少し迷った。
言うか。
やめるか。
ただ店を教えるだけ。
それだけなのに、
妙に勇気がいる。
でも、
このまま会話が終わるのが嫌だった。
「あの、一階のレストラン、結構美味しいですよ」
言った瞬間、
心臓がうるさくなる。
別に誘ったわけじゃない。
ただ教えただけ。
なのに、
変に意識してしまう。
「え、そうなんですか?」
なぎが少し目を丸くした。
「はい。定食もありますし、安いので」
「へぇ……知らなかったです」
一階に着く。
開いた扉の向こうから、
レストランの匂いがふわっと流れてきた。
揚げ物の音。
食器のぶつかる音。
昼休みのざわざわした空気。
「じゃあ、今日そこ行ってみようかな」
なぎがそう言って笑う。
その言葉だけで、
昼休みが少し特別に感じた。
店の入口まで歩きながら、
僕は妙に落ち着かなかった。
どうしよう。
ここで、
「一緒に食べます?」
って言われたら。
そんなこと、
あるわけないのに。
自分で勝手に期待して、
勝手に緊張している。
馬鹿みたいだ。
店へ入ろうとしたその時。
「かなとさんって、いつもここなんですか?」
なぎが、
自然な声でそう聞いた。
「え、あ、はい。結構来ます」
「じゃあ……もし迷惑じゃなければ、一緒に食べてもいいですか?」
心臓が、
一瞬止まりそうになった。
「……もちろんです」
なんとかそれだけ返す。
たぶん今、
かなり嬉しそうな顔をしている。
でも、
隠せる気がしなかった。
なぎはそんな僕を見て、
少しだけ笑った。




