考えのループ
思うところ、私の考え方はループしている。
ループしていると言うと聞こえはかっこはいいが、考え方が変わっていないことと同じである。
私は、人のこと、人とのコミュニケーションのとり方、人の理解のことを考える事が多い。理由はわかっている、経験不足だ。
経験から感じることは、人とのコミュニケーションに限らず、直感的物事を感じる場面が多い。
仕事だの、バイトだの、旅行だの、場合によっては数学的な学問にさえ、直感的な物事が現れる。
直感的に物事を捉えるとは別に、理性的に物事を捉える事がある。理性とは辞書で調べてみると「道理によって物事を判断する心の動き」であり、あるルール(規則と読み替えてもよい)に従って思考が行われる性質である。
その道理、ルールとはどこからやってくるのか直感である。
理性とは直感の翻訳である。直感的に下した判断があって、どうしてそのような結果が出るのか、ルールを扱って理性的に理解してゆく。
その理解は、多数の経験による帰納的な理解でもあり、今まで自分が持っているルールの演繹的な理解である。
前者であれば理性は直感に近づくきっかけになり、ルールを作ることになる。
後者であれば理性と直感がある一定レベルの理解に用いるならば、理性は直感と同じような働きが出来ることを意味する。
これを考えると、理性は直感に近づいていくものだとわかる。
さて、話を最初に戻すと、私は考えがループしていると言った。
考える事とは、理性的に物事を考えて何か新しい事実を生み出すことだ。
ルールの組み合わせで考えられる事実を作ると言ったほうがいい。これがループすると言うことは、組みあわせられるルールを全て試してもうする事がないと言ってもいい。
確かに、本当に全ての組み合わせを試したかの確証はないが、これ以上考える時間を費やしても、新しい事実は出てこないように思える。
足りないには、はじめに書いたように経験だ。経験をすることで、帰納的な理解を増やしルールを作っていくのである。
もし、経験を多くして、帰納的な理解が増えなかったら、私の直感と理性が全く同期していることになる。私の直感はもっと多くの物事を感じて、多くのことを判断してくれるだろうか?
そう信じたい。
もしくは、世界はこのちっぽけな今ある理性だけで全てを理解できると言うのだろうか?
それは信じたくない。




