極限定義??
人間はどうやって考えを作っているのだろうか?
一つの後付けの考えを作ってみた。
人間には、理性的に作られた考え方がある。
経済的な考え、数学的な考え、我々はそれを受け入れている。
どうして我々はそれを受け入れるのか?不利だからだ。
本能的に不利。もしかしたら、皆さんの中には生存願望がない人がいるかもしれないが、経済的に不利だと自分の保つのに不利である。
そのために、皆さんは世間一般に知られている、経済的な考え方、数学的な考えかたを受け入れる。
理性の考え方を受け入れるかどうかは、固体が生まれつきに持つ本能的な考え方によっている。
ただし、実数から複素数を受け入れるように、理性から理性を導く事は十分にありうる。
そこで、気になった事がある。
理性的な考えでも、本能的な考え方でもどちらでもいいのだが、
我々は無意識に何かを定義しているように見受けられる、
数字の1、これは何を示しているのか?
「頭おかしいんじゃないか??この人」そう思うかもしれない。
普通に答えれば、簡単すぎるからだ。ものでも、実体がなくてもいいが、何かが一つある。そんなことだろう。
じゃあ、一つってなんだ?
二つの半分?分子的な塊の一塊?単一な状態?
ここで、何nm以下に存在する分子の塊のなどと言ってはいけない。長さとは何かとなってしまう。
状態って何だ?
物のさま?物って何だ?
視界に移るもの?視界ってなんだ?
この繰り返して考えていくことには際限がない、
定義しつくしても定義するところは無限にある。
人間は隙だらけといってもいい、完全に定義できないことを扱ってここまで生きているのだから。
でも、そう考えてはつまらないし、完全に定義できていないかはわからない。
そこで、「極限定義」なるものを考えてみた。
極限定義はどこかものの出発点になってくれる定義だ。わ何か物を考えたときに、出てくるものに対して定義を与えてくれる存在。
絶対定義は知ることは出来ない、物を定義する際に、
「これは、あれとみなす」と二つの事柄を使う。当然、「これ」にも「あれ」にも定義は存在するので、何かを定義するには無限に定義が必要なので、突き詰めた定義として存在する極限定義にはたどりつけない。
(定義のループはしないように)
極限定義について考えてみると、私たちは生まれながらにして極限定義を持つ。
極限定義間に関係性、優位性を我々はつけていくことになり、これが本能的な考え方になっていく。
本能的な考え方によって、受け入れる理性的な考えが決まり、
さらに受け入れた理性的な考え方からさらに理性的な(進んでいると言うわけでない)考えを得るのだということがわかる。
ここまでが今のところ考えつくことなのだが、私的には足りないことがあって。
・極限定義はいいものの、それを結びつける関係性、優位性はどこから生まれるのか?
この、関係性(比較、大きい、小さいなど)も極限定義でどこかに定義されているのだろうか??そうなると、極限定義に前に、関係性を定義する極限関係定義みたいなものをつくらないと本能的な考えが作れなくなってしまう...
・自殺に代表されるように、本能的な考えはたまに揺らぐことがある。ということは、極限定義間に作られた関係性は変化しうるということになる。これをどう考えるか?
これについてはいい考えが浮かびそうなのでいつか書きたい。(これが誰に読まれているとは考えていないのですが、ばらばらに書くことなくわかってもらえるように書きたい。)




