46 清算
和人と恵美が歩いていくと、人波が割れていく。
いや、人波って言うほどの数ではないが。
モーセの十戒じゃないんだから、さぁ。
最初に眼前に見えたのは、斉藤優一郎・元会長だ。
「斉藤先輩。お久しぶりです」
「お。内田に柳さんじゃないか。久しぶりだね」
「ご無沙汰してます」
すらりとした長身に甘いマスクの会長は、当時から人気があった。
「柳さんは綺麗になったね」
「ありがとうございます。でもそんな事言ってると、留美先輩にまた怒られますよ?」
離れた位置に居る、植草留美に視線を送る。
会長と書記であった二人は、当時から恋人同士であり、その関係は今でも続いているという。
「そうだね。そこは秘密にしておいてもらおうか?」
斉藤先輩は、唇に人差し指を当てて軽く笑う。
ま、留美先輩は先刻承知なんだろうけど。
斉藤先輩は、ニ・三言話すと、別な人に呼ばれたようだ。
それと入れ替わるように和人たちの前に姿を見せたのは、白石瑞穂だった。
「瑞穂先輩……お久しぶりです」
「ウッチー……。それに柳さん、久しぶりね?」
三年ぶりに見るその姿は、大人の女性だ。
化粧のせいもあるのだろうが、より綺麗になった気がする。
それでも、見える笑顔は三年前と変わっていない。
「ウッチー、伝言、聞いた?」
「はい」
和人の返事に、瑞穂は満足そうに頷いた。
「それで、何処に居るの?」
「はい?」
今度は疑問形が口から出る。
脈絡が無さ過ぎて、私、リカイ出来ない……。
「……なるほど。言ってない、か……」
何を一人で納得されてるのでしょうか?
情報が少なすぎて、何も出てこないんですけど。
ふと隣を見ると、恵美の姿が消えていた。
あれ、いつの間に?
ちょいと見回すと、もう一人の副会長・名取先輩の傍に居た。
もしかして、逃げた?
……んなワケない、か。
彼女が、瑞穂から逃げる理由なんて無い、と思うのだが。
ついでに言うと、なんか遠巻きにされている。
半径一メートルには人が居ない、みたいな。
まぁ、以前の関係を知っている人は多い。
下手な気遣いってヤツだというのになぁ。
「代わりの飲み物、取ってくるね?」
瑞穂は和人の目をじっと見て、言葉を発する。
和人は頷いて、移動する彼女の後に続いた。
言葉と目が示す事に気がつかないほど、鈍くはないつもりだ。
七海、機嫌悪くしてなきゃいいけど。
姫と司が何とかしてくれるだろう……多分。
店の壁際で向き合う形となった。
それぞれワイングラスを手に持っている。
「ま、囲まれてるよりは、マシでしょうね」
相変わらず、ちらちらと視線は感じるんですけどね。
「それで、何処に居るって、何ですか?」
移動する間に、七海の事だと見当はついていた。
問題は、その情報源だ。
「言わなくても分かるでしょ?」
「ごもっともです。聞きたいのは、出元、ですよ?」
「君が気がつかないなんて、意外ね?……柳さんよ」
柳が?
和人は驚きのあまりに、あやうくグラスを落とすところだった。
「九月くらいかな? 電話があったの。それから何回か電話で話して、状況は聞いてるよ」
それだけで、大方の想像がついた。
まさか、の一言に尽きるけども。
「なるほど……。もしかして、焚きつけたのも、あなたですか?」
「さすが、と言いたいところだけど。私は相談に乗っただけよ? あとはちょっとした昔話をね」
そう言って悪戯っぽく笑う。
やれやれ……。
和人は多分にため息の混じったワインを喉に流し込む。
この複雑な味が理解できる日は、いつだろうか。
酸いも甘いも知って、初めて、分かるのかもしれない。
「自分の中の気持ち、分かったんだ?」
「ええ。……遠い過去に、封印されていました」
瑞穂の質問に、ゆっくりと答える。
幼馴染み、という事も伝わっているはずだ。
そしてこの人なら、目に刻まれたものが、過去の出来事に起因する事であり、それは自分ではどうにも出来ない事だった、と気が付くはずだ。
さらにはそれが、俺が当時、言葉に出来なかった理由、であると。
「今は、言葉にする大切さを、実感してますよ」
「そう……。なら、言う事無いわね」
振り返れば、瑞穂に、好き、と言ったことは一度も無い。
それに彼女は、俺が自分の感情を理解出来ないことに、気付いていた。
それでも瑞穂は言った。
『振り向かせてみせる。だから……傍に居て』と。
そういう関係への憧れみたいなものもあったけれど。
傍に居た時に抱いていた感情が、何だったのか。
今ならば、答えられるかもしれない。
でも、今答えることに意味は無い。
今自分が居る場所は、目の前のこの人の傍では無い、のだから。
「あ、でも、一つだけ」
瑞穂は優しい微笑みを浮かべたまま、言葉を続ける。
「目の中の暗さ、少しだけ、軽くなったね」
そうなのか……?
自分では分からないけれど、彼女が言うなら、そうなんだろう。
暗い目をしている。
最初に指摘してくれたのは、瑞穂だった。
「さて、この辺にしとこうか。なんか睨まれてるし」
苦笑いを浮かべる瑞穂の視線を追うと、司と共にこちらを見つめている、七海の姿があった。
司は視線に気付いて軽く頭を下げた。
「可愛い子じゃない。大切にしなよ?」
「言われなくても」
「それじゃ、またね」
「瑞穂先輩。ありがとう、ございました」
和人は頭を下げる。
これが、ずっと言いたかった。
当時の別れ際にも言う事が出来なかった、感謝の言葉。
瑞穂はもう一度満足そうに頷くと、手を振って去っていった。
「さて、今度はこっち、かな」
和人は七海に歩み寄ると、ぽんっと軽くその頭を叩いた。




