47 一線
「やっぱり、怒ってる?」
「怒ってない」
以前と同じように、七海の部屋で紅茶を飲んでいる。
パーティーは八時で解散となり、それぞれ帰路についたのだが、和人は飲んでいたために、こっちに泊まるつもりだ。
泊まるのは、あの日以来、なんだけれども。
大学前で皆と別れた時から、七海の機嫌が悪い。
いや、だいたい理由は分かってるんだけど……。
今は何でもない、なんて言っても、不安なんだろう。
「七海。とりあえず昔何があったか、話すよ。それでも納得出来ないなら、言って欲しい」
「……」
返事が無い。が、それは肯定の返事でもある。
渋々なんだろうけど。
「あの人との出会いは、高校一年の時だった。文化祭の実行委員をやる事になってね……」
ゆっくりと、当時を思い出しながら語りかける。
「そうなんだ……」
話し終わった頃には、また紅茶が冷めていた。
「分かったよ。ごめんね?」
「いや、いいよ。俺がきちんと話してなかったのも悪いし」
彼らがゲストだと知っていれば、行かなかったかもしれない。
いや、そうではないかも。
ま、結果オーライで良し、としたい。
「んじゃ、お風呂入れるね?」
前と同じように、七海がマグカップを持って立ち上がる。
「一緒には入らないからね?」
「ちぇ……」
先に釘を刺しておいて、正解だったか。
まったくもう……。
前回と同じように和人が風呂から上がると、布団が敷かれていた。
そして、七海はその枕元にちょこん、と座っていた。
「どうした?」
「ふぇ? な、何でもないよ?」
そんなワケあるかい。
そんな変てこなリアクションまでしといて。
思い当たる節は、二つ、あるけれど。
「そんなに、俺の過去が気になる?」
悪戯っぽい笑みを精一杯浮かべて聞いてみる。
「……うん。それは、まぁ……」
七海らしくない、控えめな返事だ。
「さっきも言ったけど、ちゃんと付き合ったのは、あの人だけだよ。ただ、色々な場面に巻き込まれただけ、でね」
「うん。分かってる……」
やれやれ……。
和人は向き合うように布団の上に座る。
そして上体を彼女に近づけると同時に、片手で彼女の顎を支えて引き出す。
完全に不意を突いたキス。
七海の目が見開いているのが分かる。
唇を離して、ちょっと微笑んでみせる。
「今の気持ちは、ここに在る。それは忘れないで、ね」
我ながら、歯の浮くようなセリフだ。
「うん……。それも、分かってる……」
そう言いながら七海は和人に抱きついてくる。
黒髪から香る、シャンプーの香り。
ふと、いつぞやの場面がフラッシュバックする。
……これだけは、墓場まで持っていくしかないな……。
しかし思い出してしまった事で、悪戯心が湧く。
はむ。
目の前の、彼女の耳をそっと甘噛みしてみる。
「……あ、ん……」
え?
甘く、艶かしい声。
頭にシミュレートした反応との違いに、顔を上げる。
見つめる七海の顔は、どう形容したらいいか悩むほどに真っ赤だった。
心なしか、目がとろんとしてるような……。
もしかして、こっちだった、かな?
もう一度、ぐっと自分の方に引き寄せて、耳元でそっと囁く。
「いい?」
「うん……」
ちょっとだけ体を起こし、電気を消す。
そしてもう一度、唇を重ね合わせる。
そのままゆっくりと、布団の上に押し倒す。
唇は離さないまま、彼女の耳に、体に触れる。
「……んっ。はぁっ。……んんっ!」
漏れる吐息。それでも執拗に求める舌。
感情が、溶けていく……。
止められなかった……。
今日の反動もあるのかもしれない。
最後の懸念が、払拭されたのだから。
それと共に感じた、渇望。
それが衝き動かしていた。
七海の白い肌が、艶かしく光る。
体が触れ合う度に、痺れるような感情が走る。
その存在を、もっと感じたくて……。
思わず力が入ってしまい、苦悶の表情にはっとする。
「大丈夫だよ……」
彼女は優しく答え、そっと指を絡めて手を握る。
「ごめんね……」
一言だけ呟いて、また唇を塞ぐ。
絡ませ合いながら、片手で体に触れる。
その全てが、昂らせていく……。
「いいよ……」
彼女の口から発せられた言葉。
ゆっくりと、繋がりを感じていく。
「七海……」
「和、くん……んっ」
愛しい人の中に、熱く、熱く、蕩けていく……。
和人の腕の中で、七海は眠っている。
一線を越えたその表情が、愛しく見えるのは仕方ないだろう。
思った以上に繊細な反応を見せるのは、やはりあの出来事のせいなのだろう。
お互いが抱えるもの。
どのみち、空白の時間を埋める事など、出来やしない。
だからこそ、これからをしっかり刻んでいきたい。
和人はしばらく七海の安らかな寝顔を見つめた後、ゆっくりと目を閉じた。




