41 小悪魔
イヤな雨、ね……。
もうすぐ十一月になるというのに、妙に暖かいし。
こんな日の授業は、気分も乗らないわね。
それでも、今日はここに居なくてはならない。
彼との、約束があるから。
彼の答えは、多分予想通りだろう。
そんなの、分かりきってる。
それでも淡い期待を抱いているのは、惹かれた弱み、なのかな。
まぁそんなことには、ならないでしょうけど。
予想通りの言葉が返ってきた、その時には……。
私も……覚悟を決める。
――したくない。――さない。
絶対に……。
いつもの空きゼミ室。
和人はどんよりとした雨雲を窓越しに見上げていた。
あの日もこんな空で、雨が降っていたな……。
十年前を思い出す。
こんな日に……因果、かな。
「お待たせ」
後ろから聞こえた声に、振り返る。
「柳、お疲れ」
黒髪を後ろに垂らした、いつもの顔が、そこにはあった。
恵美はスクエアネックのチュニックにスキニージーンズ姿で、上着と鞄を小脇に抱えている。
彼女は部屋に入って来るなり、いつもはオープンであるドアを後ろ手に閉め、鍵をかけた。
別に、そこまで厳重にしなくても、なぁ。
そう思った和人だったが、何も言わず椅子の向きを変える。
恵美は机に荷物を置くと、和人の隣の椅子に座った。
「ずいぶん、時間かかったね?」
「ああ。自分の情けなさに、嫌気がさすよ」
ほんと、情け無い……。
「それで……?」
恵美が先を促す。
「記憶は……思い出したよ。七海のおかげで、ね」
「ほんとに? 良かったじゃない!」
「ああ。心配かけて、悪かったね」
「いいよ。別に、私は何もしてないんだから」
恵美は、いつもと同じ笑顔を浮かべている。
「うん。それで……旅行の時の答え、だけど……」
「うん……」
一呼吸、間を置いて言葉を発する。
「ごめん。俺は……君の気持ちには、応えられない」
やはり、恵美の顔を直視することは出来なかった。
たとえ彼女がこの答えを予想していたとしても、こちら側もやはり、後ろめたさを感じてしまう。
「七海は十年間、俺を忘れなかった。そして、七海自身の願いであったとはいえ、思い出すことの出来なかった俺を、許してくれた……。俺は、そんなアイツの、傍に居てやりたい」
真の気持ちだ。
彼女相手に、理由を偽ることなんか、出来ないから。
「ごめん。本当に……すまない……」
和人はゆっくりと俯く。
沙紀にされたように、叩かれても構わない。
そう、思っていた。
「……やっぱりね。そう言うと、思ってたよ?」
その声に、和人は俯いていた顔を上げる。
恵美は、変わらぬ笑顔のままだった。
いや、何かが違う……。
目? ……目だ。
諦めでも、悲しみでもない。
その目に、和人はぞくりと背筋が凍る様な思いを感じた。
不意に恵美の体が動いた。
帰るのか、という和人の予想は間違いだった。
恵美は、椅子に座る和人の後ろに回ると、後ろから抱き付いてきたのだ。
「え……?」
「ふふ。私より、七海ちゃんを選んだんだ?」
それは、普段の恵美からは想像も出来ない、甘い声だった。
和人の耳に、恵美の息がかかる。
「柳……?」
背中に感じる、二つの柔らかい感触。
抜け出そうにも、両腕で抱き締められて動く事が出来ない。
「そんなの……許さないから」
その言葉に、再びぞくりとした。
「私だって、負けないよ? ……ううん、君を想う気持ちなら、私の方が、もっと、もっとあるのに」
恵美の唇が、和人の耳に触れる。
「そんな私の想い、受け止めてもらわなくちゃ」
甘く、それでいて、楽しそうに。
和人の耳元で呟かれる。
「絶対、離さない……」
その姿は、妖艶な小悪魔のようだった。




