9 母は不敵に言葉の剣を抜く
ドルメーユ侯爵家の王都屋敷は、ベルジャン家の屋敷よりも古びて見えた。
古びている、といっても荒れているわけではない。むしろ手入れは行き届いている。
門扉の鉄は黒く磨かれ、石段の角もきちんと削られ、正面玄関の柱には歳月に耐えた重みがあった。ただ、その重みが少しばかり鼻につくのだ。
――古い家ですから。
そう言ってしまえば、たいていのことは許されるとでも思っていそうな雰囲気の屋敷だった。
馬車を降りると、春の風が裾を揺らした。王都の空は明るいのに、ここだけ少し影が深い。建物の色が濃いせいかもしれないし、私の気分のせいかもしれない。
母上はいつも通り、少しも迷わず石段を上がった。私はその半歩後ろにつく。
こういう時、母上の背は不思議なくらい頼もしい。細く、優美で、いかにも上品な侯爵夫人なのに、足取りだけは戦場へ行く人みたいにまっすぐだ。
「緊張していますか、アンバー」
振り向きもせず、母上が言う。
「少し」
「結構」
「結構、ですか」
「ええ。緊張があるうちは、余計なことを言いませんもの」
なるほど、と私は思った。確かに私は腹が立つと、思ったより先に口が動くことがある。
昨日の“気持ち悪いですわ”は後悔していないけれど、毎回うまく決まるとも限らない。
「ただし」
母上が付け足す。
「今日は、もし余計なことを言っても私が何とかします」
「母上、好きです」
「知っています」
昨日も聞いた気がする。
◇
案内された応接間は、やはり古い家らしく重たい趣味だった。濃い木目の家具、深い緑の壁布、金の縁取りがやや過剰な額。悪趣味とまでは言わないけれど、肩に力が入っている。
ドルメーユ侯爵家の古さと富を見せたいのだろう。農地の豊かさというのは、鉱山の輝きとはまた違う重みがある。
でも、その重みが今の私にはあまり強そうに見えなかった。返すべき荷物を返さず、正妻を追い出し、愛人を据えた家の重みなど、所詮その程度だ。
ほどなくして、ドルメーユ侯爵夫人が現れた。
カルダン様の母君だ。年の頃は母上より少し上だろうか。高く結い上げた髪、整った化粧、よく仕立てられたドレス。ひと目で“古い名家の夫人”だとわかる姿だった。
けれど、その目の奥にあるものは、歓迎より警戒だった。
「ようこそおいでくださいました、ベルジャン侯爵夫人」
「急なお訪ねにもかかわらず、ありがとうございます、ドルメーユ侯爵夫人」
二人は微笑む。見た目だけなら、春の午後にふさわしい優雅な挨拶だった。
でも私は知っている。この微笑みの下では、もう剣が抜かれている。
「本日は、昨日お送りいただいた返書にありました“行き違い”について、少し確認したく」
母上が座りながら言う。
「ええ、もちろん。こちらとしても、できる限りの誠意は尽くしたつもりですが」
「つもり、で済めば結構なのですけれど」
母上の声音は柔らかい。
柔らかいのに、私はその場で少し身を固くした。ドルメーユ侯爵夫人も同じだったらしい。指先がわずかに動く。
テーブルにはすでに茶器が整えられていた。銀のポットからは湯気が立ち、焼き菓子も並んでいる。
こういう体裁を整えるのは、古い家ほど上手い。けれど、今日は菓子の甘い匂いがあまり似合わなかった。
母上は持参した一覧を机へ置いた。
「確認したところ、戻ってきた荷物には複数の不足がありました」
「まあ」
「春夏用ドレス、外出用外套、宝石、リネン、書物、筆記具」
「それは、本当にパールさんのお持ち物で?」
「はい?」
私は思わず顔を上げた。ドルメーユ侯爵夫人は、少し眉を寄せただけの、実に穏やかな顔をしている。
「離縁の前後は、屋敷の中も何かと慌ただしく」
「ええ」
「同じような品が混ざることもございますでしょう。とくに若い女性同士ですもの。アーシャの持ち物と取り違えたものがあるのかもしれません」
私はしばらく言葉を失った。母上は失わない。
「なるほど」
とても穏やかに頷く。
「では、なおのこと確認が必要ですわね」
「ええ」
「アーシャさんをお呼びいただけます?」
「……は?」
その“は?”は、さすがのドルメーユ侯爵夫人にも少し隙があった。母上はにこりともせず続ける。
「取り違えの可能性がおありなのでしょう。でしたら、現物を照らし合わせるのが一番早いではありませんか」
「ですが、あの子はまだ身体も」
「まあ、お身体が悪いのですか」
「いえ、その、子供もおりますし」
「でしたら長居は求めません。数点、身につけておいでかどうか拝見するだけで結構です」
私は心の中で、母上に拍手を送った。
逃がさない。まるで一歩ずつ獲物を追い詰めるみたいに、きれいに逃げ道を塞いでいく。
ドルメーユ侯爵夫人は、さすがに少し間を置いた。
「そのような必要があるとは」
「ございます」
母上が言い切る。
「なにしろ、返ってきていない品のなかには、ベルジャン家側から持たせたものもありますの。パール個人の品にとどまりません」
「……」
沈黙。
その時、応接間の外から足音がした。軽いようでいて、少しためらうような足音。侍女が扉を開けると、そこへ現れたのはカルダン様だった。
私はこの人を見て、姉上が“儚げな美女にふさわしい夫”と評された理由が、ほんの少しわかった。
整った顔立ちではあるのだ。金に近い淡い茶髪も、すらりとした体格も、ぱっと見には申し分ない。
けれど、目がいけない。物事を正面から受け止めず、都合の悪いものから視線を滑らせる人の目をしていた。
そしてその人が、私たちを見て露骨に顔色を変えた。




