8 元婚家で姉が受けた仕打ち
「何と?」
私は訊く。
「“パール殿にお返しすべき品はすべて整えたつもりだが、もし行き違いがあれば確認する用意はある”ですって」
「行き違い」
私は繰り返した。
「これだけ足りなくて?」
「ええ。行き違い、だそうです」
姉上が、俯いたまま小さく言う。
「ドルメーユ家は、昔からそういうところがあります」
「どういうところ?」
「表向きは丁寧なのに、押し切ると決めたら何事も“行き違い”や“家の都合”にしてしまうの」
私は机の上の一覧を見た。
そういう家なのだろう。古い家柄。広い農地。土地から上がる収穫。長く続いたからこその自負。そういうものを頼みにして、“うちの流儀”で全部を丸めようとする。パール姉上の離縁も、きっとその延長なのだ。
カルダンが愛人にのぼせた。アーシャが居座った。子ができた。では正妻には退いてもらおう。
それを、家の論理で通せると思っていた。
――通るはずがないのに。
「姉上」
私はできるだけ柔らかく言った。
「向こうで……どこまで勝手をされていたの?」
「アンバー」
「聞きたくないなら、無理には」
「いいえ」
姉上は顔を上げた。儚げな顔立ちなのに、その時だけ少し、硬いものが宿っていた。
「たぶん、今は言っておいたほうがいいわ」
「ええ」
「カルダン様は、最初のうちはまだ、外聞を気にしていました」
「最初のうちは」
「ええ。でも、アーシャが子を宿してからは違ったの」
姉上の指が毛布の端をなぞる。
「私の居間に勝手に入るようになったわ。私の茶器を使って、私の席に座って、私の前で“これからは私がこの家を切り回します”と言ったこともあった」
「……」
「カルダン様は、それを止めなかった。止めないどころか、“君はそういう争いが苦手だろう。刺激しないでやってくれ”と」
私は黙った。黙るしかなかった。
怒りすぎると、かえって声が出ない。
「そのうち、私の宝石まで使うようになったの」
姉上は続ける。
「最初に気づいたのは、母上の実家からいただいた真珠の留め具。次が青い石の耳飾り。あと、秋に作らせた葡萄色の外套も」
「葡萄色の?」
「ええ。アーシャは色の濃いものが好きだったから」
「好きだったから、ではありません」
母上が言う。
「盗ったのです」
「母上、ええ、そうね」
姉上が苦く笑う。
「たぶん、そう」
その時だった。女官長が二つ目の宝石箱を開けて、中を改めていた手を止める。
「奥様」
「何かしら」
「真珠の留め具は、ございません」
「でしょうね」
「ですが、それだけでは」
女官長が一覧と箱を見比べた。
「婚約時に持たせた帯留め一対、祖母君の指輪、夜会用の小ぶりの冠も見当たりません」
「ずいぶんと持っていかれていますね」
母上があまりにも静かに言うので、私は逆に背筋がぞくりとした。
姉上が目を閉じる。
「ごめんなさい」
「禁止です、姉上」
「でも」
「禁止」
私が繰り返すと、姉上はとうとう小さく笑った。
「あなた、怒ると本当に譲らないのね」
「譲る理由がありませんもの」
その時、母上が返書を机へ置いた。
「アンバー」
「はい」
「あなた、今日のうちに一緒に来なさい」
「どこへ?」
「ドルメーユ侯爵家へ」
私は目を瞬いた。
「こちらから?」
「ええ。行き違いがあるというのなら、こちらも現物を見て差し上げる必要があるでしょう」
女官長が無言で頷く。姉上が驚いたように母上を見る。
「母上、まさか今から」
「今からです」
「でも」
「あなたは来なくて結構。まだ顔色が十分ではありません」
「それは少しありがたいです……」
「でしょうね」
母上は立ち上がった。
窓から差す午後の日差しが、その横顔の輪郭を白く照らす。優雅で、隙がなくて、たぶん敵に回したくない人種の筆頭だ。
「マルタ」
「はい、奥様」
「不足品の一覧をもう一度整えて。特に、ベルジャン家側から持たせた品は赤で印を」
「かしこまりました」
「ミラ、外出の支度を」
「はい」
「アンバー、あなたは羽織るものを選びなさい。あまり華美でなくてよろしいけれど、こちらが軽く見られない程度には整えて」
私は立ち上がった。胸のあたりが、少しだけ熱い。
怖くないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に妙な高揚があった。
相手の屋敷へ乗り込むのではない。ベルジャン侯爵夫人が、当然の顔で確認に行くだけだ。
ただし、その当然が相手にとっては少しも優しくない。
「母上」
「何かしら」
「カルダン様も、いらっしゃるでしょうか」
「いたら好都合です」
母上はさらりと言う。
「アーシャもいるなら、なお結構」
私は思わず口元を押さえた。やっぱり母上は怖い。
でも、怖いくらいでちょうどいいのだ。
ドルメーユ侯爵家は古い家らしい。面子で押し切る家らしい。
ならば今日は、その面子がどこまで保つのか、こちらも見せていただこう。
窓の外では、王都の空に薄い雲が流れていた。春の午後はやわらかい色をしているのに、その下で動き始めたものは少しもやわらかくない。
私は姉上の肩にそっと触れた。
「行ってくるわ」
「ええ」
「姉上のものは、取り返せるだけ取り返してくる」
「全部は無理でも」
「できるだけではなく、できるだけ多く、よ」
「それ、同じでは?」
「気分の問題です」
姉上が、今度はもう少しはっきり笑った。その笑みを見たら、なおさら手ぶらでは帰れない気がした。
ドルメーユ侯爵家には、今日、それをよくわかっていただくことになる。




