20 来たのは謝罪ではなく、保身のようだった
カルダンが通された時、私はまずその顔色を見た。
悪くはない。青ざめてもいない。寝不足でやつれている風でもない。むしろ、少し憔悴した顔を作ろうとして、うまく作りきれていない。
そういうところなのだろう。本気で追い詰められた人の顔ではなく、追い詰められている自分をどう見せるか考えている人の顔。
ドルメーユ侯爵家の一人息子、カルダンは、一礼して部屋へ入ってきた。
「突然のご訪問、失礼いたします」
声は低く抑えている。服装もきちんとしていた。
王都の古い名家の跡取りとして、人前でどう見えるべきかは心得ているのだろう。
でも私は、その整い方がかえって癪に障った。姉上をあんなふうに扱っておいて、自分だけはまだ“きちんとした貴公子”の姿でここへ来るのかと思ったからだ。
父上は立たなかった。
「急な訪問のようだな」
「はい。どうしても、パール殿にひとこと」
「用件はここで聞く」
「……」
カルダンの視線が、姉上へ向く。姉上は私の隣に座ったまま、その視線を受けた。
前みたいに俯きもしないし、慌てもしない。ただ静かに見返している。それだけで、私は少しだけ気分がよかった。
「申し上げたいのは」
カルダンはやや間を置いてから言った。
「ここ数日の行き違いについてです」
「行き違い」
兄上が言った。
「ドルメーユ家はその言葉が好きだな」
「サフィール」
母上がたしなめる。
「はい、母上。ですが事実です」
カルダンの眉がわずかに動く。兄上に正面から刺されることには、まだ慣れていないらしい。
「私は」
カルダンが続ける。
「事態がここまで大きくなるとは思っておりませんでした」
「そうでしょうね」
私は思わず言った。
「思っていたら、姉上の宝石を愛人に渡したりなさいませんもの」
「アンバー」
母上が私を見る。
「はい。少しだけゆっくりでした」
「ええ。今日はそのくらいに」
この“そのくらいに”は便利である。カルダンは、私の言葉を聞いて明らかに不快そうな顔をした。
けれど、ここで怒れないこともわかっているのだろう。ぐっと唇を引き結ぶ。姉上はその様子を見て、かすかに目を細めた。
「事態が大きくなるとは思っていなかった……」
姉上が静かに繰り返す。
「ええ」
「では、どうなると思っていたのですか?」
カルダンは一瞬、言葉に詰まった。その間が、もう答えだったようなものだ。
つまり、姉上が黙って出ていく。ベルジャン家も家同士の体裁を考えて、ある程度は飲み込む。荷物を返し、離縁を成立させ、それで終わる。
その程度にしか考えていなかったのだろう。
「私は」
カルダンがようやく口を開く。
「君を不当に扱うつもりはなかった」
「でも、実際にはそうなりましたわ」
姉上が言う。
「それは」
「私の席にアーシャが座り、私の茶器を使い、私の品を身につけても、あなたは止めなかった」
姉上の声は静かだった。けれど、静かだからこそ、一つ一つがよく響く。
「それは家の中でのことで」
「ええ」
「君はそういう争いを好まないと思って」
「だから黙って受け入れると?」
カルダンがまた黙る。父上も母上も何も言わない。兄上だけが、すごく嫌そうな顔をしている。
私はといえば、姉上がちゃんと自分で斬っていることに、妙な高揚を覚えていた。姉上はやっぱり、ただ儚げなだけではないのだ。
「君は」
カルダンが苦しげな顔を作る。
「昔から穏やかな人だった」
「そうですね」
「だから、私も」
「甘えたのですね」
姉上がきっぱり言った。その瞬間、部屋の空気が少し動いた気がした。
兄上の口元がわずかに上がる。母上の扇が静かに一度だけ揺れた。父上は相変わらず動かない。
でも私は知っている。父上がまったく動かない時ほど、中ではちゃんと何かが積み上がっている。
「……そうかもしれない」
カルダンが低く言う。
「だが、私は今こうして来ている」
「ええ」
「君に謝りたいと思ったからだ」
「何を、ですか」
また、姉上が先に言った。
「私を追い出したことですか」
「それは」
「私の宝石をアーシャへ与えたことですか」
「私は与えたつもりでは」
「では、止めなかったことを?」
「……」
「それとも、今になって噂が広がり、ベルジャン家が黙っていないとわかって、少し怖くなったことをですか」
私は思わず、膝の上で手を握った。姉上、切れ味が良すぎる。
カルダンの顔から、ようやく“形だけ整えた余裕”が消えた。整った顔立ちはそのままでも、目の中に焦りが見える。
「パール」
彼は姉上の名を呼んだ。
「私は、事を荒立てたいわけではない」
「それは知っています」
「ならば」
「荒れて困るのは、あなたのほうですものね」
きれいに返された。兄上が今度こそ小さく吹き出す。母上に睨まれて、すぐ咳払いしたけれど遅い。
カルダンは兄上を見て、それから姉上へ向き直った。
「君は、そんな言い方をする人ではなかった」
「そうですね」
姉上は少しだけ笑った。
「昔の私は」
その笑みはやわらかかった。でも、そのやわらかさはもう相手を受け入れるためのものではない。
「カルダン様」
姉上が言う。
「あなたが私をどう見ていたかは、今ではよくわかります。静かで、逆らわなくて、多少粗末にしても騒がない女」
「そこまででは」
「では、どこまでだったのですか」
「……」
「私は、今それを聞いておりますのよ」
カルダンは答えられない。答えられないのに、まだ帰ろうともしない。私はそのしぶとさがひどく嫌だった。
母上がここで初めて口を開いた。
「カルダン様」
「……はい」
「あなたは先ほど“謝りたい”とおっしゃいましたわね」
「ええ」
「では、何に対して謝罪なさるのか、明確におっしゃるべきです」




