14 ずいぶんと便利な言葉
翌朝、王都はよく晴れていた。
朝食のあと、私は南向きの回廊をゆっくり歩いていた。
昨夜はさすがに少し疲れていたらしく、眠りは深かった。腹の立つことが多すぎると、かえって人はよく眠れるのかもしれない。嬉しくない発見である。
窓の外では、屋敷の庭に朝の光がきらきら落ちていた。白い砂利道の脇で、若い庭師が剪定ばさみを動かしている。
春は何もかも明るく見えるくせに、その下で人間だけがせこせこ揉めているのだから、景色に申し訳ない気すらした。
「アンバーお嬢様」
後ろからミラが声をかける。
「母屋の荷受け口に、ドルメーユ侯爵家から箱が届いております」
「もう?」
「ええ。朝一番で」
「ずいぶんと慌ただしいこと」
私は立ち止まった。早い。
早いということは、向こうも昨夜のうちに慌てたのだろう。
昨日こちらが出向き、アーシャが真珠の留め具をつけたまま口を滑らせた。その事実が屋敷の中でどう扱われたかは知らないが、少なくとも“このままではまずい”くらいは理解したらしい。
なら、少しは頭があるのだ。少ししかないけれど。
「母上は?」
「すでに向かっておられます。旦那様もほどなく」
「姉上は」
「お呼びしてもよろしいですか、と奥様が」
「行くわ」
荷受け口に近い確認室へ行くと、もう箱が四つ並んでいた。昨日の返還分よりはましに見える。
でも“まし”というだけで、“十分”ではないとわかるあたりが腹立たしい。
部屋には母上と女官長のマルタ、帳簿係の若い侍女、それに使用人が二人控えていた。母上は手袋を外したばかりらしく、白い指先で封書を持っていた。
「おはよう、アンバー」
「おはようございます。早いですね」
「ええ。昨夜のうちに眠れなかったのでしょうね、向こうも」
「少しだけ同情しても?」
「しなくてよろしいです」
やっぱりそうなる。
「返書には何と?」
「“昨日は混乱があった。確認したところ、たしかにいくつかの品に行き違いがあったため、急ぎ返送する。これにて一件落着としたい”ですって」
「一件落着」
私は繰り返した。
「ずいぶん便利な言葉ですね」
「古い家は、便利な言葉を何代にもわたって磨いておりますのよ」
母上がそう言った時、父上も入ってきた。後ろには兄上までいる。
今日は執務に入るはずでは、と思ったけれど、考えてみれば姉上の件なのだ。兄上が見逃すはずがない。
「始めるか」
父上が短く言う。
「はい、旦那様」
マルタが一礼する。そこへ、少し遅れて姉上も来た。
淡い青の室内着に薄い肩掛け姿で、まだ完全に元気とは言えない。でも昨日よりずっと顔色がいい。
扉のところで私と目が合うと、小さく頷いた。
「無理をしないで」
私はそっと言う。
「ええ。今日は、ちゃんと見ておきたくて」
「そうね」
母上が姉上の席を示す。
「今日は見るだけで結構です。何か言いたくなったら言いなさい。でも、無理に強くある必要はありません」
「はい、母上」
箱が一つずつ開けられていく。最初の箱の上にあったのは、葡萄色の外套だった。
「あ」
思わず私は声を漏らした。
たしかに姉上のものだ。でも、肩のあたりの落ち方が微妙に違う。姉上の体格に合わせて仕立てたはずの線が、少しだけ崩れている。
姉上も同じことに気づいたらしい。
「これ……」
指先で布を撫で、眉を寄せる。
「詰め直されています」
「どういうことだ」
兄上が言う。
「アーシャは姉上より少し肩が張っていたの」
私は思い出しながら答えた。
「たぶん、自分が着るために直したのですね」
「人の外套を?」
「ええ。人の宝石も着けていましたもの」
兄上の顔が嫌な感じに整っていく。完全に怒っている時の顔だ。母上は静かに頷き、マルタへ言った。
「損傷あり、と記載して」
「かしこまりました」
次の箱には真珠の留め具、青い耳飾り、指輪が入っていた。私は思わず身を乗り出した。
「返してきましたか」
「ええ」
母上が淡々と答える。
「でも、見てごらんなさい」
言われてよく見ると、真珠の留め具の金具に細かな擦れがあった。耳飾りの留め具も少し緩んでいる。
指輪には、姉上の細い指にはなかったはずのわずかな広がり。
「……雑に使ったのね」
私が低く言うと、姉上はしばらく黙っていたあと、小さく笑った。
「ずいぶん急いで返したのでしょうね」
「姉上、笑うところでは」
「ええ、わかっているわ。でも、これ、あの人には少し大きかったのねと思ったら」
「大きさの問題ではありません」
「そうね」
でもその笑い方は、前のような諦めではない。少しだけ呆れて、少しだけ見切った笑い方だった。私はその変化が嬉しかった。
三つ目の箱には書物や筆記具が入っていた。ただし乱雑だった。書物の角は潰れ、革表紙に薄い染みがある。筆記具も一本は先が傷んでいる。
「使ってたわね」
私は言う。
「たぶん」
姉上が答える。
「私がいる時から、書斎の小物も勝手に動いていたもの」
「ひどい家だな」
兄上が吐き捨てた。
「ひどいです」
私はすぐ賛成した。
四つ目の箱には小物類とリネンが入っていたけれど、そこでマルタが手を止めた。
「奥様」
「何かしら」
「小冠がございません」
「やはり」
母上は眉ひとつ動かさない。
「帯留めの片方も」
「……姉上」
私は振り向く。
「あれ、夜会で一度つけてましたよね」
「ええ。祖母様の指輪に合わせて」
「戻ってきてないのですね」
「そうみたい」
父上がそこで一枚の紙を差し出した。
「一覧を」
「はい」
照らし合わせる。返ってきたもの。返ってきていないもの。返ってきたが傷んでいるもの。明らかに手を加えられたもの。
数字と名前にしてしまえば、それだけのことだ。
けれど実際には、その一つ一つに姉上の暮らしがあった。ベルジャン家から持たせた品があった。祖母から、母上の実家から、私たち家族から贈ったものがあった。
それを、あちらは使い、直し、返し、まだ一部は手元に置いている。その事実が、朝の光のなかでやけにくっきり見えた。




