13 二ヶ所の馬鹿が並行していく
私は封を切った。紙を開く音が、小応接間にやけに大きく響く。
兄上は腕組みのままこちらを見ている。母上はお茶に口もつけず、父上は膝の上に手を置いたまま動かない。
なんだか、読んではいけない恋文を開く空気ではない。処刑状の確認に近い。
私は一度息を吸って、文面へ目を落とした。
「……読んでよろしいですか」
「読みなさい」
父上が言う。私はそのまま声に出した。
「“アンバーへ。昨日は取り乱した言い方になってしまい、すまなかった”」
「謝れて偉いですね」
兄上が言う。
「最後まで読みなさい」
母上にたしなめられ、私は続ける。
「“父上同士の話が大きくなってしまったが、私は本来、君とも争いたくはない。君は聡い人だから、私の真意をわかってくれると思っている”」
私はそこで一度、紙から目を上げた。兄上が笑っている。楽しげではない。呆れた時の笑いだ。
「続けますね」
「ええ、ぜひ」
母上が言う。
「“私が言いたかったのは、ベルジャン家との縁を大切にしたいということだ。そのためには、感情的な反発で全てを駄目にするべきではない。姉上――パール嬢も今は大変な時期だろうが、だからこそ新たな支えが必要だと思う”」
私は紙を持つ手に、じわじわ力が入るのを感じた。
まだ言うか。まだ、そこを言うか。
「“もし君が冷静になってくれれば、父上たちの間も収めようがあるはずだ。君から一言、姉上に私への悪感情はないと伝えてくれれば――”」
「燃やせ」
兄上が言った。
「最後まで」
父上は短く命じる。私は頷き、続きを読んだ。
「“もちろん婚約の件は今すぐどうこうではなく、皆が落ち着いてから考えてもよい。だが私は、最初から姉上に惹かれていたことに嘘はつけない。君も姉妹仲がよいのだから、姉上の幸せのために橋渡しをしてくれると信じている。君の理解を待つ。コレリオ”」
沈黙。
窓の外では、たぶん庭師がどこかで枝を払っているのだろう、微かな葉擦れの音がした。それだけが妙にのどかで、室内の空気と合わなかった。
「……すごいですね」
私はようやく言った。
「ここまでくると、ある意味で感心します」
「しなくてよろしい」
父上が言う。
「はい」
兄上が額を押さえる。
「“姉上の幸せのために橋渡し”だと?」
「ええ」
母上が穏やかに頷く。
「本当にそう書いてありますね」
「姉上の不幸に乗じておいて?」
「ええ」
「アンバーを何だと思ってるんだ、あいつは」
「便利な橋か何かではないかしら」
母上が言う。
「自分が渡るための」
「最低ですわね」
私は紙を畳みかけて、思わず止めた。
「……あら」
末尾に、小さな追伸があった。
「まだあります」
「読みなさい」
父上が言う。
「“追伸。父上は今かなり怒っているので、この手紙のことはできれば内々に留めてほしい”」
兄上が本当に吹き出した。
「内々に?」
「まあ」
母上が目を細める。
「たいへん助かりますわね」
「母上、その言い方、今日二度目です」
「使い勝手がよろしいもの」
父上は手を差し出した。
「こちらへ」
「はい」
私は手紙を渡す。父上はざっと目を通し、眉ひとつ動かさず机へ置いた。
「証拠として保管する」
「はい、父上」
「ラヴェルディ侯爵へも写しを送ろう」
母上が言う。
「“私的な接触を禁じたにもかかわらず、なおこのような書状が届いた”と」
「そうだな」
「ラヴェルディ侯爵がかわいそうになってきました」
私がつい言うと、兄上がうなずいた。
「わかる。息子がこれではな」
でも、かわいそうで終わらせてはいけない。それは皆わかっている。
「アンバー」
父上が私を見る。
「今後、ラヴェルディ側から何らかの接触があっても、一切応じるな」
「はい」
「使者も、書状も、偶然を装ったものも同じだ」
「はい」
「それにしても」
母上が紅茶へようやく口をつけた。
「あっちもこっちも、まるで並行して崩れていくようですよ」
「ええ」
私は脱力しながら背もたれに身を預ける。
「今さらよく書けるものだと思いました」
「書けるからこそ、あの程度なのです」
母上は静かに言った。
「自分の愚かさを、紙にして差し出してくださるのだから、むしろ親切ですわ」
兄上が腕をほどく。
「じゃあ、こっちはこっちで進めるとして」
「ええ」
母上が頷く。
「ドルメーユとラヴェルディ、両方ですね」
「忙しいですね、ベルジャン家」
私が言うと、兄上がにやりとした。
「向こうが勝手に案件を増やしてるんだ」
「たしかに」
その時、また扉が叩かれた。今度は姉上だった。
部屋へ顔を出した姉上は、少し休んだおかげか、昼より顔色がよかった。ただ、私たちの顔を見回してすぐ、小首を傾げる。
「何だか……もう一つ何かあったの?」
「ええ」
私は椅子から立ち上がる。
「馬鹿のほうからお手紙が」
「どちらの?」
「そちらではなく、こちらです」
「こちらもあるの?」
姉上の問いに、私は少しだけ笑った。そうだ。今の我が家には、馬鹿が二種類ある。
姉上の婚家で正妻を追い出したほうの馬鹿と、私の婚約者だったくせに今さら姉上へ乗り換えようとするほうの馬鹿だ。
どちらも質は悪い。ただし、片方は重く、もう片方はひどく軽い。
でも軽いからといって、踏みつぶしてよいとは限らない。軽い泥ほど、うっかりすると裾を汚すのだ。
私は姉上の手を取り、隣へ座らせた。
「大丈夫。どちらも、きちんと片づけるわ」
「頼もしいのね、アンバー」
「家族ですもの」
母上がさっき姉上に言った言葉を、そのまま返す。姉上は少し驚いて、それからふっと笑った。
西日が窓辺のレースを透かして、部屋の中に淡い影を落としている。穏やかな夕方だった。
だからこそ思う。こんな穏やかな場所で、姉上も私も、馬鹿の尻拭いみたいな話をしている場合ではないのだ。
向こうが勝手にこじらせてきた以上、こちらはその分、きちんと片づけるだけでいい。
ラヴェルディには、もう少しはっきりと諦めてもらう。ドルメーユには、返還と補償で済むと思わないでもらう。
夕暮れのベルジャン家は静かだったけれど、その静けさの下では、すでに二つの話が並行して、きっちり進み始めていた。




