12 帰宅したら、馬鹿からの手紙が届いていた
ベルジャン侯爵家の王都屋敷へ戻るころには、春の陽が少し傾いていた。
馬車の窓から差し込む光は、昼よりやわらかくて、街路樹の影を長く引いている。王都の石畳は乾いて白く、行き交う人々の足取りもどこかのどかだ。
こんな穏やかな午後に、真珠の留め具だの指輪だのを愛人が着けていた話を持ち帰るのだから、世の中は本当に景色と中身が合わない。
馬車が門をくぐると、私はようやく肩の力を抜いた。
母上は最初から最後まで涼しい顔だったけれど、私はそうもいかない。腹は立つし、言いたいことはあるし、でも言いすぎると母上に「少しだけゆっくり」と言われるしで、内心はなかなか忙しかった。
「疲れましたか、アンバー」
母上が向かいから言う。
「少しだけ」
「上出来です」
「今日の私は褒められてばかりですね」
「ええ。相手が勝手に墓穴を掘ってくださいましたもの」
「助かりますわね」
「そうでしょう?」
私が真似すると、母上はほんの少しだけ口元を緩めた。
◇
玄関を上がると、出迎えた侍女が一礼した。
「お帰りなさいませ、奥様、お嬢様。旦那様と若様が小応接間でお待ちです」
「パールは?」
母上が尋ねる。
「先ほどまでご一緒でしたが、少しお休みになると」
「そう。無理はさせないで」
「かしこまりました」
小応接間へ向かう廊下は、西日を受けて淡く金色になっていた。壁にかかった風景画の湖面までぬるく光っている。
こういう時間の屋敷は好きだ。日中のきびきびした空気が少しゆるんで、でも夕食前の落ち着きまではまだ遠い。その半端さが妙に心地よい。
ただ今日は、その心地よさが少しもったいなかった。どうせならもっと穏やかな話題を持ち帰りたかったのに、現実はあの真珠である。
扉を開けると、父上と兄上が揃ってこちらを見た。父上は窓際の椅子に腰掛け、兄上は暖炉の前に立っている。
どちらも表情は落ち着いていたが、兄上の腕組みの高さで機嫌がわかる。かなり高い。まだ相当怒っている。
「お帰り」
父上が言う。
「ただいま戻りました」
母上が答え、そのまま席についた。
「ちょうどよろしいわ。報告します」
私は母上の隣に座る。
すぐにお茶が運ばれてきたけれど、誰も菓子には手をつけなかった。兄上だけが、一度だけ銀のトングを持ち上げ、やめた。甘いものを食べる気分ではないらしい。
「どうだった」
兄上が先に訊く。
「ひどかったです」
私は素直に言った。
「予想より?」
「ええ。予想と同じくらい、でも見た目はもっとひどかったです」
「わかりにくいな」
「つまり、宝石をアーシャが実際に身につけておりました」
兄上の目がすっと細くなった。父上は何も言わない。ただ、指先だけが膝の上で軽く組まれた。
母上が簡潔に報告を始める。
ドルメーユ侯爵夫人が“行き違い”で押し通そうとしたこと。カルダンが“大げさではないか”と言ったこと。アーシャが真珠の留め具と指輪を身につけていたこと。さらに口を滑らせ、パールが黙っていたから、と逆恨みに近いことまで言ったこと。
兄上は途中で二度、目を閉じた。たぶん数を数えている。
幼い頃から兄上は本気で怒ると、いったん目を閉じる癖がある。三つか四つ数えて、それでも収まらなければ、だいたいその後に物騒なことを言う。
「……で?」
報告が終わると、兄上は静かに訊いた。
「真珠はその場で取り返していないのか」
「ええ」
母上が答える。
「今はまだ、向こうが持っている事実のほうが大切ですもの」
「そうか」
「ええ」
「なら納得した」
納得した顔ではなかった。でも兄上はそこをきちんと分ける。脳筋と言われることもあるけれど、家のことになると案外そうでもない。
父上がようやく口を開いた。
「アーシャ本人が、それをカルダンから与えられたと言ったのだな」
「はい」
私が答える。
「はっきりと」
「そしてカルダンは否定しきれなかった」
「ええ」
「結構」
父上の“結構”は、母上の“助かりますわ”と同じ種類の怖さがあった。
「では品の返還だけでは済まんな」
「済ませません」
母上が即答する。
「当然ですね」
兄上も言う。
「姉上の品を取り返して終わり、では軽すぎる」
「ええ。名誉の件と、扱いそのものが別ですもの」
私は口を挟む。
「それに、あちらはまだ“行き違い”で通せると思っているようでした」
「古い家だな」
兄上が吐き捨てる。
「そういうところまでな」
父上は少しだけ窓のほうへ顔を向けた。西日がその頬に薄く差している。
「ドルメーユは、土台が古い」
「はい」
母上が頷く。
「だからこそ、家の中のことは家の中で丸められると思っているのです」
「だが、丸まらない」
「ええ」
短い応酬なのに、どんどん話が固まっていく。この家はこういう時、ほんとうに無駄がない。
すると、扉が控えめに叩かれた。
「何だ」
父上が言うと、執事が入ってきた。
「失礼いたします。ラヴェルディ侯爵家より、アンバーお嬢様宛てに書状が届いております」
「……は?」
思わず私が間抜けな声を出す。兄上がすぐに顔をしかめた。
「私的な接触を禁じた翌日にか」
「今しがた届いたものでございます」
執事は銀の盆を差し出した。
「使いの者は、急ぎお返事をいただければと」
「帰しなさい」
父上が即座に言う。
「返事は不要だ」
「かしこまりました」
でも盆の上の封筒は、もう私たちの目の前にある。白い厚手の紙に、ラヴェルディ家の封蝋。几帳面を気取った筆跡で、たしかに私の名が記されていた。
私はそれを見て、少しだけ頭が痛くなった。
「コレリオ様、思ったよりしぶといですね」
「馬鹿はたいてい、自分がどこで終わったかの理解が遅いのです」
母上が言う。
「開けますか?」
私は父上を見る。
「証拠として必要なら」
「開けなさい」
父上は冷静だった。
「ただし、私の前で」




