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第4話 偶然では、ありません

蛍光灯が、じじ、と鳴っていた。


おあいこだ、と俺は言ったばかりだった。俺が彼女を生かして、彼女が俺を生かしていた。三年間、零時二分(れいじにふん)の両側で。そう思って、胸がいっぱいになっていた。


なのに、暦(こよみ)は、三つ指をついたまま、動かない。


顔を、上げない。


「……暦?」


「おあいこでは、ありません」


畳に向かって、暦は、そう落とした。


「そう言っていただける資格が、わたしには、ないのです。……ずっと、申し上げられずに、おりました」


暦が、ゆっくりと、顔を上げた。


その目が、まっすぐ、俺を見ていた。氷でも、やわらかいほうの声でもない。ただ、覚悟を決めた人の目だった。


「あの日の、公園です」


「……公園?」


「わたしたちが、初めて話した日。雨の、夕方でした」


俺は、うなずいた。あの日のことは、何度も、思い返している。夢みたいな一日だったから。


高級な傘。雨に濡れた画面。震える指。


「あれは」


暦の唇が、わずかに、震えた。


「偶然では、ありません。あの日、わたしは、あなたを、探していました」


***


部屋の温度が、一度、下がった気がした。


「……探して、って」


言われて初めて、あの日の違和感が、形になった。


学校一の令嬢が、なんであんな時間に、あんな場所にいたのか。付き人も、車も、なかった。辻褄が合わないな、とは思ったのだ。思ったけれど、それだけだった。


近所の公園だ。誰だって、通りかかる。俺は、そう片づけていた。


まさかこの人が、俺を探して雨の中に立っていたなんて、思いつきようが、なかったから。


「秋月蓮(あきづきれん)さん」


暦は、淀みなく、俺の名前を言った。


「……お名前を、存じておりました」


背筋が、冷たくなった。


「いつから」


「二年ほど、前から。……あなたが、高校に、上がられる直前です」


蛍光灯の音が、やけに大きく聞こえた。


「物語の樹(ものがたりのき)の運営会社に、如月(きさらぎ)グループが、少しだけ、出資をしております」暦は、淡々と続けた。「ほんの少しです。ランキングを動かすような力は、ありません。あの三年、あなたの数字が一桁だったのが、その証拠です」


「……作者情報を見たのか?ペンネームだけで個人情報の登録はしていないはずだが」


「新人賞の、応募者名簿です」


心臓が、鳴った。


新人賞。出した。一度だけ、中三の冬。物語の樹が自分で主催している、公式の賞だ。載せている連載を、応募欄から送るだけでよかった。ただ、本名と、住所と、年齢と、電話番号の欄が、あった。どうせ落ちると分かっていて、それでも俺は、そこを埋めたのだ。万に一つ、受賞の連絡が、来るかもしれないから。


まだ、実家にいた。ここから電車で二時間の、あの町に。


一次は、通った。


何百作も並んだ一覧の、下のほうに、俺のペンネームが載った。それだけだ。誰も、読みには来なかった。PVは、一のままだった。


二次で、落ちた。それきり、忘れていた。


***


「あなたが高校に上がられる、その前の三月です。一次選考の通過作が、公表されました」


暦は、言った。


「何百作もの、いちばん下のほうに、冬野結(ふゆのゆい)と、ございました」


「…………」


「わたしは、存じませんでした。あなたが、賞にお出しになっていたことを。毎晩、拝見していたのに」


見つけてしまいました、と彼女は言った。まるで、事故みたいに。


「その夜のうちに我慢できず、わたしは、令嬢の名前を使って、名簿を、見せていただきました。規約に、違反しています。絶対に、してはいけないことです」


「……全部、見てしまいました」


暦の声が、落ちた。


「…………」


「……そこに、お名前が、ございました」


暦は、目を伏せた。


「あきづき、れん」


三文字を、ひどく、ゆっくりと言った。


「ご年齢も、ございました。……わたしと、同じでした」


「電話番号も住所もございました。電話をかけようと思えば、かけられました。自宅に行こうと思えば、行けました」


膝の上の指が、白いままだった。


「一度も、いたしませんでした。知らない人がいったところで困惑させるだけですから。それに、会って話す必要性もございませんでしたので。わたしが望んでいたのは、毎日零時の更新でしたので」


***


「その、一か月後です」


暦の声が、かすれた。


「高校の、入学式でした。教室に貼られた名簿に、秋月蓮さまと、ございました。自分でも目を疑いました」


部屋の空気が、なくなった気がした。


俺だ。同じ教室で、この人は、毎朝、俺を見ていた。


——いや。待て。


この人が持っている住所は、実家のものだ。電車で二時間の、あの町。俺が高校でこの街に出てきたことを、この人は、知らない。


だったら。


「……同姓同名の可能性もあるだろ」


暦は、目を伏せたまま、言った。


「……ええ、なので、あの日までの、一年。……拝見しておりました」


おあいこだ、と言われた彼女が、顔を上げないまま落とした一言。あたたかい話のはずだった床が、静かに抜けた瞬間にぞくりとしたら【びっくり】を。「一年、拝見しておりました」の続きは、ブクマで。

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