第5話 読者は、作家に触れてはいけない
拝見して、いた。
観察だ。この人は同じ教室で、一年、俺を観察していたのだ。
「一年生でも、二年生でも、同じ教室でした。二度続けて同じクラスになる確率を、わたしは、あの春、生まれて初めて、神様に感謝いたしました」
「右手の、中指の、ペンだこ。……あんなに深いものは、板書を写すだけでは、できません」
暦は、一つずつ並べていく。
「一時間目は、いつも、眠そうでいらっしゃいます。零時に更新なさる方の、朝です」
「休み時間、ノートの端に、何か書いては、消していらっしゃる」
「……冬野結先生の、癖でした」
俺は、言葉が出なかった。
「わたしが数年かけて描いた、あの方の輪郭に。同じ教室のあの方は、ぴたりと、重なりました」
「じゃあ、確信してたんじゃないか」
「九割がたは」
暦は、淡々と話しを続けた。
「確かに私の想像の冬野結とあなたは重なりましたが、それはあくまで推測にすぎません。それと前に述べた通り、仮に確信したとして、話しかけるつもりはありませんでした」
***
「じゃあ、なんで」
俺は、やっと言った。
「なんで、あの日、来たんだ」
三年、しるしを残さなかった人だ。一年、同じ教室にいて、九割がた確信していて、それでも確かめなかった人だ。
こらえるのが、この人の生き方だった。触れないことが、掟だった。
その掟を、あの日、この人は自分から破った。
「あの日の、三日前の夜の、更新です」
暦は、そう答えた。
「最後の一行だけ、リズムが、違いました」
「……は?」
「読点の位置が、いつもの神様では、ありませんでした。息継ぎが、浅い。文が、閉じすぎている」
暦は、目を伏せた。
「あれは――終わらせる人の、書き方でした。わたしは危機感を覚えました」
俺は、口を半分開けたまま、彼女を見た。
あの日の三日前。優奈に「イタい」と言われた、土砂降りの夜だ。それでも俺は、零時に投稿ボタンを押した。何を上げたのかも、ろくに覚えていない。ただ、もう、いいかな、と頭の隅で思っていたのは、たしかだ。三年やって一桁なら、もう。
誰にも、言っていない。どこにも、書いていない。
「そんなの」俺は言った。「書いた俺だって、気づいてなかったのに」
「三年、毎晩、読んでおりました」
暦は、当たり前のことのように言った。
「あなたの息づかいは、わかります」
「……それで、すぐ来たのか」
「いいえ」
暦は、首を振った。
「二晩、こらえました」
膝の上で、指が固く組まれていた。
「……次の夜の更新を読んで、読み違いだったと笑えれば。それで、よかったのです」
「更新は、したよ。俺」
「はい。来ました」
暦は、静かに言った。
「ですが、同じでした。……いいえ。ひどく、なっておりました」
ぜんぶ分かっていて、それでも彼女は「別人かもしれない」という嘘を、命綱みたいに握っていた。膝の前に積まれた厚みの、本当の意味を知って胸が詰まったら【泣ける】を。彼女が掟を破った夜は、ブクマして次話へ。




