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第8話 その言葉、どこかで

三年前、優奈(ゆうな)が俺に投げつけた言葉が、そっくりそのまま、優奈に返ってきた。


投げ返したのは、翔太(しょうた)だった。


***


放課後の、昇降口。


俺は、たまたま、その場に居合わせてしまった。


翔太が、優奈を、突き放していた。


「もう、俺に関わるなよ」


翔太の顔から、あの余裕の笑みは、消えていた。実家が崩れて、笠に着るものを失った男の、剥き出しの、冷たい顔だった。


「うちが今、どんな状況かわかってんの? おまえの相手なんか、してる暇ねえんだよ」


「そんな……ひどいよ、翔太。わたし、ずっと味方だったのに」


優奈が、すがりつこうとした。翔太は、その手を、うるさそうに払った。


そして、言った。


「おまえさ、正直、前から思ってたけど――イ(・)タ(・)い(・)んだよ」


昇降口の空気が、凍りついた。


「金があるうちだけすり寄ってきて、なくなったら関係ないって顔で次探して。見てて、ほんと、イタいわ」


優奈の顔から、血の気が引いていくのが、遠目にも、わかった。


***


その言葉を、俺は、知っていた。


三年前。放課後の教室で。俺の書きかけの原稿をのぞき込んで、優奈が笑いながら言った、あの言葉。


『こんなの誰が読むの? 蓮(れん)って、ほんとイタいよね』


同じ言葉が、今、同じ形で、優奈に突き刺さっていた。


翔太は、もう振り返りもせず、昇降口を出ていった。取り巻きは、とっくにいない。ひとり残された優奈は、その場に、立ち尽くしていた。


俺は、胸がすくとは、思わなかった。


ざまあみろとも、思わなかった。


三年前、あの言葉に、俺は静かに折れた。誰が読むの、イタいよね。たった一言だったのに、あれから俺は、原稿を誰かに見せるのが、こわくなった。ずっと、こわいままだった。


その言葉が、いま、優奈自身に、まっすぐ返っていく。


けれど、それを見ても、心は晴れなかった。


ただ、風が、通り抜けていくみたいな、静かで、空っぽな心地がした。


自分の投げた石が、三年かけて、ぐるりと世界を回って、自分の額に返ってくる。それを、俺は、目の前で見た。誰かが罰したわけじゃない。翔太は、優奈をこらしめようとしたわけでもない。ただ、言葉が、めぐって、帰ってきただけだ。


因果というのは、たぶん、こういうものなんだろう。派手でも、劇的でもなく。ただ、静かに、つじつまが合う。


俺は、暦(こよみ)のことを、思った。あの人は、翔太の父親の会社に、指一本、触れなかった。それでも、翔太は崩れた。優奈は、自分の投げた言葉で、自分が刺された。


誰も、手を汚していない。誰も、罰していない。


それなのに、間違ったことをした人間から順に、静かに、報いを受けている。まるで、世界そのものが、帳尻を合わせているみたいに。


こわい話だと思った。でも、それは、俺がずっと書いてきた話とも、どこか似ていた。派手な逆転も、劇的な復讐もない。ただ、生きた事実と、投げた言葉だけが、いつか必ず、そのひとのもとへ帰っていく。


俺は、その場を、そっと立ち去ろうとした。


こんな顔をした優奈を、見ていたくなかった。


***


だが、俺が背を向けかけたとき。


優奈が、顔を上げた。


そして、俺と、目が合った。


涙で濡れた目が、大きく見開かれて、俺を捉える。


その目の奥に、俺は、いやなものを見た。すがるものを失った人間が、次の岸を探す、あの、必死な光だ。


翔太という岸を失った優奈が、次に見つけた岸。それが、一位になった、俺だった。


三年前、俺の原稿を笑った優奈。この初夏、俺を捨てた優奈。十日ほど前、俺の一位にすり寄ってきた優奈。そして今、翔太に捨てられて、また、こっちを見ている優奈。


同じことが、ぐるぐると、繰り返されている。この子は、たぶん、それに気づいてすらいない。


「……蓮」


震える声で、優奈が、俺の名を呼んだ。


一歩、こちらへ、踏み出してくる。


三年前なら、俺は、この一歩に、心を揺らしていたかもしれない。幼馴染に頼られる。それだけで、舞い上がっていたかもしれない。


でも、もう、俺は、あのころの俺じゃなかった。


俺は、動かなかった。逃げもしなかった。


この子に、ちゃんと、言わなきゃいけないことがある。仕返しでも、当てつけでもなく。ただ、はっきりと、終わりを告げる言葉が。


もう、逃げるのは、やめようと思った。


三年前に投げた「イタい」が、世界を一周して、投げた本人の額へ帰ってくる。因果が静かに帳尻を合わせる瞬間にすっとしたら【びっくり】を。振り返る優奈の続きは、ブクマして次話へ。

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