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第7話 監査は、予定どおりに来た

暦(こよみ)が指一本動かさないうちに、翔太(しょうた)の父親の会社は、勝手に崩れた。


崩したのは、暦じゃない。あの会社が、自分でついた嘘だった。


***


それから、一週間も経たなかった。


学校で、翔太が、目に見えておかしくなった。


いつもの取り巻きに囲まれて大声で笑う姿が、消えた。休み時間のたびに廊下の隅でスマホを耳に当て、青い顔で、早口で誰かと話している。父の名刺を笠に着る余裕は、どこにもなかった。


噂は、すぐに回った。


翔太の父親の会社に、定例監査が入った。


あとになって、暦が教えてくれた。如月グループの定例監査は、十年に一度だけ、まるきり別物になるのだと。数字の辻褄が合っていれば通る、いつもの監査ではない。帳簿を、一枚残らず。伝票を、現物と、一つずつ。ごまかしは、利かない。


十年前も、その前も、決まった年に来ていた。何十年も続いている、ただの慣例。特別なことは、何ひとつない。


――そして、今年が、ちょうどその、十年目だった。


そして、架空の取引が、あばかれた。


納品されたことになっていて、実際にはどこにも入っていない資材。宙に浮いた伝票。水増しした請求。何年も続けてきた嘘が、一枚残らず、白日のもとに引きずり出された。


如月グループのコンプライアンス部門は、機械のように、淡々と処理した。契約違反による、即時の取引停止。損害の返還請求。ほかの取引先も、蜘蛛の子を散らすように離れていった。


情けも、私情も、そこにはなかった。ただ、規則が、規則どおりに動いただけだ。嘘をついた者は、契約に従って、退場する。それだけの、ことだった。


会社は、あっという間に、立ち行かなくなった。


自業自得、という言葉が、これほど当てはまる話も、そうはないだろう。何年も水増しの請求を続けてきて、それがばれただけだ。誰かに陥れられたわけじゃない。自分の嘘の重さで、自分から沈んだのだ。


***


翔太は、学校で、坂を転がるように、居場所をなくしていった。


金の余裕を笠に着ていた男から、その笠が消えると、取り巻きは潮が引くように離れた。かつて翔太のまわりで笑っていた連中は、もう、別の誰かの周りで笑っている。俺の話を「金の力」と嘲ったときの、あの威勢は、どこにもなかった。


因果というのは、こういうものかもしれない。誰かが手を下すわけでもなく、ただ、支えていたものが抜けると、人は、あっけなく崩れる。


俺は、その報せを、タワーマンションで聞いた。


暦は、いつもと変わらず、俺の湯呑みを、右手の届く角度に置いた。


「暦」


俺は、原稿から顔を上げて、聞いた。声が、少し掠れた。


「これ……本当に、君は、何もしてないんだよな」


聞かずには、いられなかった。あの夜、暦は、たしかにスマホから手を離した。灰色の書類も、引き出しにしまった。手を出さないと、約束してくれた。


でも、あまりにも、都合がよすぎた。まるで、暦が指を鳴らしたみたいに、あの会社は、勝手に崩れたのだ。


暦は、俺のほうを見た。


そして、いつもの、静かな微笑みを浮かべた。


「わたくしは、何もしていません」


一度、そこで言葉を切って。


暦は、ほんの少しだけ、目を細めた。


「私は、何もしていません。……今回は」


ぞくり、と背筋が震えた。


わたくし、が、私(・)に、なった。


嘘は、ついていない。暦は、本当に、指一本、動かしていない。監査は、決まった年に、予定どおりに来ただけだ。あばかれたのは、あの会社が、自分でついた嘘だ。


因果が、巡っただけだった。


俺が止めたから、暦は手を汚さなかった。手を汚さなくても、嘘をついた者は、自分の嘘の重さで、勝手に沈んだ。


暦は、たぶん、最初から、わかっていたんだ。自分が動かなくても、あの会社は、遠からず自分で崩れると。だから、あの夜、俺に止められたとき、あんなにあっさり、引き下がったのかもしれない。


「わたしが、何もしなくても」。引き出しを閉める間際の、あの小さなつぶやきが、耳の奥でよみがえった。


「……今回は、って」


俺が聞き返そうとした、そのときだった。


暦は、もう、次の話を始めていた。


「それより神様、今日の更新、時間は零時でよろしいですか」


いつもの、信仰の顔で。何事もなかったように。


俺は、その先を、聞けなくなった。


暦は、俺を笑った人間を、絶対に許さない。でも、その手は、汚さない。汚さなくても、間違ったことをした者は、自分で沈む。そのことを、この人は、たぶん、俺よりずっと前から、知っている。


だから「今回は」なんだ。今回は、何もしなくてよかった。因果が、勝手に片をつけてくれたから。


じゃあ、次があったら――暦は、どうするんだろう。


その問いを、俺は、口にできなかった。湯呑みから立ちのぼる湯気の向こうで、暦は、もう、いつもの、俺の話だけを見つめる目に戻っていた。


指一本触れないうちに、嘘をついた者が自分の重さで沈んでいく。「私は、何もしていません。……今回は」——このスッとした着弾に痺れたら【びっくり】を。「今回は」の続きは、ブクマで。

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