第5話 光が強いほど、影は濃い
光が強くなればなるほど、影も、濃くなる。
書籍化が話題になるにつれて、ネットには、別の熱が生まれはじめていた。覆面作家冬野結の、正体探しだ。
年齢は。性別は。どこの誰なのか。素性を暴こうとする書き込みが、日に日に、増えていく。
中には、明らかな悪意もあった。あんな泥臭い話が売れるのはおかしい、どうせ裏で金が動いている、財閥がステマしているに違いない――そんな、妬みの混じった噂も、流れはじめた。
半分は、当たっていた。財閥は、確かに、動いている。
だから俺は、何も言い返せなかった。
俺の作品を、褒める声も、貶す声も、どちらも、俺の知らないところで、勝手に、大きくなっていく。三年間、ほとんど誰の目にも触れなかった俺の話が、いまや、会ったこともない人たちの、暇つぶしの的になっている。
不思議なものだった。数字が増えるというのは、味方だけでなく、俺を嗤う人間も、同じだけ、増えるということだった。
***
学校でも、その熱は、届いていた。
昼休み、教室で、翔太が、スマホを片手に、得意げに喋っていた。
「冬野結ってさ、うちの高校にいるって噂、知ってる? 更新時刻が学生っぽいとか、書店の展開が地元優先だとか、そういうのから割り出してる奴がいるらしい」
周りの連中が、へえ、と食いつく。
「マジ? 誰だろ」
「地味な奴だって話。目立たない、陰キャっぽい男。……まあ、俺の予想だけどな」
翔太は、そう言って、笑った。あの泥臭い話が、こんなに売れるなんて、世も末だよな、と。どうせ、裏で金でも積んでるんだろ、と。
俺の書いた話を、金で買われたものだと、こいつは、平気で言い捨てる。三年、誰にも届かなくても書き続けた、あの夜のことを、何も知らないくせに。
翔太の目が、ふと、教室を一巡した。
その視線が、一瞬、俺の席をかすめた気がして、俺は、そっと、視線を落とした。
心臓が、いやな音を立てた。
***
俺は、正体がバレることが、こわかった。
有名になりたくて書いていたわけじゃない。名前も顔も出さず、ただ、あの零時二分の一人に届けばいいと思って、書いてきた。
もし、俺が「冬野結」だと知れたら。
このクラスで、廊下で、みんなの目が、変わる。あの底辺だった秋月が、と笑う奴もいれば、擦り寄ってくる奴もいるだろう。
そうなったら、俺は、たぶん、静かに書けなくなる。
俺がこわいのは、有名になることじゃない。書けなくなることだ。誰かの夜に、言葉を、届けられなくなることだ。
あの六畳で、切れかけた蛍光灯の下で、零時二分の一人に向けて書いていた、あの静けさ。あれが、俺の書く場所だった。みんなの視線が集まったら、あの静けさは、たぶん、もう、戻ってこない。
昨日ついた三件の感想の返事を、俺は、まだ、書けずにいた。あんな大切な言葉に、どんな顔で応えればいいのか、わからなかった。
***
その夜、タワマンで、俺は、翔太の話を、暦にした。
彼女の様子が、変わった。
夕食の手が止まり、氷が、すっと、顔に戻った。灰色の瞳が、冷たく、静かに、凪ぐ。
「水城翔太さん、ですか」
その声の温度が、一度、ぐっと下がった。
暦が氷点下になるのを、俺は、これまで何度か見てきた。決まって、俺の作品を、軽んじる者に対してだった。
翔太は、さっき教室で、俺の話を「泥臭い」と言った。バズを、金で買ったものだと嗤った。
たぶん、暦は、それが、許せない。
「暦。……何もするなよ」
俺が言うと、彼女は、ゆっくりと、微笑を貼り直した。
「もちろんです。わたしは、何もしません」
その返事が、なぜか、少しも、安心できなかった。
「ただ」
暦は、湯呑みを、そっとテーブルに置いた。
「あの方は、ご自分の足元が、どれほど、危ういか。……気づいていないだけなんです」
俺は、その言葉の意味を、うまく、掴めなかった。
翔太の足元。危うい。
いつか聞いた、二次下請け、という言葉が、頭の隅を、かすめた。
***
窓の外で、都会の光が、瞬いている。
その光の一つひとつの陰で、いま、誰かが、俺の正体を、探している。
じわじわと、包囲網が、狭まってくる音がした。
もう、そう遠くない。
俺が「冬野結」だと、この街に知れ渡る日は。
褒める声も貶す声も、蓮の知らないところで膨らんでいく。正体探しの包囲が、じわじわ狭まる不穏に息を詰めたら【びっくり】を。翔太の「危うい足元」の続きは、ブクマして先で。




