3-4-15 悪かったよ
その本は、結局wataが買った。
会計の列に並んでいる間、BEEFはずっと不機嫌な顔をしていた。
不機嫌というより、納得していない顔だった。
自分が読んでいた本を、なぜかwataが持っている。
しかも、買う。
しかも、リバクラ備品だと言い張る。
意味が分からない。
本当に意味が分からない。
だが、ここで取り返して「俺が買う」と言うのも違う。
それはそれで、何かを認めたことになる気がする。
だからBEEFは、少し離れた雑誌棚の横で腕を組んでいた。
wataは会計を済ませ、本を袋に入れてもらいながら、なぜか少し誇らしげだった。
「買いました」
mcRCが額を押さえる。
「何の報告やねん」
EGUIは静かに言う。
「資料確保」
「お前も乗るな」
wataは本屋の袋を軽く掲げた。
「正しい距離の詰め方、初版ではないけど帯付き」
BEEFが低く言う。
「帯とかどうでもいい」
wataは袋を見る。
「帯、いいこと書いてますよ」
「読むな」
「“近すぎる善意は、時に相手の場所を奪う”」
その一文で、全員が少しだけ黙った。
本屋のレジ横。
雑誌の表紙。
新刊の平積み。
店員の「カバーはお付けしますか」という声。
どこかで鳴る電子音。
そんな普通の空間に、その言葉だけが妙に重く落ちた。
近すぎる善意は、時に相手の場所を奪う。
wataは、自分で読んでから少し気まずそうな顔をした。
「……帯、強いな」
mcRCが小さく言う。
「今のは、俺ら側にも刺さる」
BEEFは黙っていた。
刺さる。
またその言葉かと思った。
でも、今の一文は、たしかに少し残った。
善意。
自分に善意があったかと聞かれれば、BEEFはすぐには答えられない。
善意という言葉は、きれいすぎる。
自分はただ、ライブを動かしたかった。
熱を逃がしたくなかった。
その瞬間に一番効く音を入れたかった。
それが善意なのか、欲なのか、職人の癖なのか、ただの支配欲なのか。
分からない。
分からないから、黙っていた。
wataが袋を持ったまま言う。
「……ここで立ち話もなんやし、どっか座る?」
BEEFがすぐ返す。
「何で」
wataが少しだけ目を細める。
「いや、話の途中やん」
「終わっただろ」
mcRCが見る。
「終わってないです」
BEEFは顔をしかめた。
「お前ら、すぐ続き作るな」
EGUIが言う。
「続いているので」
「物語にするな」
wataが口を開く。
「いや、それ言うたら俺らの存在意義が」
mcRCが手で止める。
「今それ言うとややこしい」
BEEFは、三人を見た。
帰ることはできた。
本屋の出口はすぐそこにある。
「用がある」と言って背を向ければ、三人は追ってこない気がした。
たぶん。
でも、足が動かなかった。
さっき自分で言った。
じゃあ、どうすりゃいいんだよ。
言ってしまった。
その言葉が、まだ自分の口の中に残っている。
言った以上、ここで帰るのは、何かが違う。
BEEFは舌打ちしそうになって、やめた。
「……五分だけな」
wataがすぐ言う。
「絶対五分で終わらんやつ」
「じゃあ帰る」
「嘘です、五分です」
mcRCが小さく笑った。
EGUIは、本屋の外を指した。
「下にベンチがあります」
BEEFは何も言わずに歩き出した。
三人も、その後ろをついていった。
―― 駅ビルのベンチ ――
本屋の下のフロアには、少し広い休憩スペースがあった。
観葉植物。
丸いテーブル。
背もたれのないベンチ。
自動販売機。
遠くにコーヒーショップ。
買い物帰りの人。
学生。
スーツ姿の会社員。
小さな子どもを連れた母親。
ライブハウスでも、スタジオでも、楽屋でもない。
誰かが怒鳴る場所ではない。
だからこそ、逃げにくい。
四人は、端の方のベンチに座った。
座り順が少し妙だった。
左から、wata、mcRC、EGUI。
少し離れて、BEEF。
BEEFだけが、ほんの半人分くらい距離を空けている。
wataはそれを見て、すぐに言いそうになった。
「距離の詰め方、実践中?」
言いそうになって、飲み込んだ。
今それを言うと、たぶん話が進まない。
代わりに、本屋の袋を膝の上に置いた。
mcRCが最初に口を開いた。
「さっきの続きですけど」
BEEFは前を見たまま言う。
「五分な」
「はい」
「あと、綺麗にまとめるな」
mcRCは少し止まった。
その言葉は、さっきから残っていた。
綺麗にまとめるな。
すぐ意味にするな。
謝るな。
距離が近い。
遠い。
全部、扱いが難しい。
mcRCは頷いた。
「分かりました。まとめないようにします」
BEEFが見る。
「それももうまとめてる」
wataが思わず笑った。
「厳しい」
BEEFが睨む。
wataは両手を上げた。
「ごめん。今のは普通に面白かっただけ」
EGUIが静かに言う。
「言い方を変えた方がいいかもしれません」
mcRCは考えた。
「じゃあ……今は結論を急がない」
BEEFは黙った。
少しだけ、さっきより受け取ったように見えた。
EGUIがBEEFを見る。
「前回のライブの話をしてもいいですか」
BEEFは少しだけ顔をしかめた。
「どっちの」
「一本目の方です」
空気が少しだけ重くなる。
一本目。
最も荒れたライブ。
BEEFが曲を壊し、三人が食らい、客席が熱狂し、終演後に怒鳴り合いになった夜。
BEEFは、しばらく黙った。
それから、短く言った。
「話せば」
EGUIは頷く。
「BEEFさんは、客席を見ていました」
「見てた」
「熱も見ていました」
「見てた」
「客席は動いていました」
「ああ」
「でも、俺たちは見えていなかった」
BEEFは、すぐには返さなかった。
前なら、返していたかもしれない。
「見てた」
「返してただろ」
「止まってなかっただろ」
そう返していたかもしれない。
でも今は、少し止まった。
mcRCは、その止まり方を見た。
BEEFは、自分の膝に置いた手を軽く握っていた。
「……返してたからな」
EGUIは頷く。
「返していました」
wataが続ける。
「俺ら、止まってはなかった」
mcRCも言う。
「ライブとしては、成立させた」
BEEFは少しだけ眉を寄せる。
「じゃあ」
wataが遮る。
「でも、大丈夫とは違う」
BEEFは黙った。
wataは、自分でその言葉を言いながら、少しだけ腹の奥が熱くなるのを感じた。
あの夜のことを思い出す。
BEEFが壊した音。
自分が噛みついたフロウ。
客席の声。
「すげえ」と言われたこと。
その評価に少しだけ救われ、同時に腹が立ったこと。
wataは、言葉を選んだ。
「返せることと、大丈夫なことは違うんすよ」
BEEFは低く返す。
「それは新川にも言われた」
mcRCが少しだけ目を上げる。
「新川さんに?」
BEEFは顔を逸らした。
「帰り際にな」
EGUIが聞く。
「何て」
BEEFは少し嫌そうにした。
言いたくない。
言いたくないが、ここまで来ると、隠すのも変だ。
「止まってないことと、傷ついてないことは違うって」
三人が黙った。
それは、BEEFの中に残っていた言葉だった。
残っていた。
だから二本目で、あんなに見ていた。
見すぎるくらいに。
mcRCは、少しだけ新川さんの顔を思い出した。
あの人は、本当に一枚上手だ。
腹が立つくらい。
BEEFは続けた。
「だから見た」
wataが少しだけ前のめりになる。
「うん」
「見たら見たで、見すぎって言われた」
wataは口を閉じた。
それは、言った。
言ったし、実際そうだった。
BEEFは、少し苛立った声で言う。
「音引いたら遠い。押したら刺す。切ったら壊す。切らなかったら薄い」
mcRCは黙って聞いた。
BEEFは、言葉が止まらなくなるのを少し嫌がるように、視線を外した。
「だから、分かんねえんだよ」
その言葉は、前回より少しだけ違った。
前回の「分かんねぇ」は、壁に当たって跳ね返った言葉だった。
自分でもどう扱えばいいか分からず、吐き捨てたような言葉。
今日の「分かんねえ」は、少しだけ中身があった。
何が分からないのか。
どうすればいいのか。
どこを見ればいいのか。
自分でもまだ整理できていないまま、それでも外に出した言葉だった。
mcRCは、すぐに意味にしそうになった。
それは成長だ。
そう言いそうになった。
だが、止めた。
綺麗にまとめるな。
その言葉が残っていた。
だから、mcRCは言い方を変えた。
「……分からない、は聞こえました」
BEEFが見る。
「何だそれ」
「今のは、前より聞こえました」
wataが小さく頷く。
「うん。前は“知らねえ”に近かった」
EGUIも言う。
「今日は、“どうすればいいか分からない”に近い」
BEEFは顔をしかめた。
「分析すんな」
wataがすぐ言う。
「分析じゃなくて、受信確認」
「何だよ受信確認って」
mcRCが少し笑いそうになるのを堪える。
「届いたってことです」
BEEFは少し黙った。
届いた。
その言い方は、嫌ではなかった。
いや、嫌かもしれない。
でも、さっきまでよりはましだった。
BEEFは、自販機の方を見る。
誰かが缶コーヒーを買っている。
ゴトン、と音がした。
その音が妙に大きく聞こえた。
―― wata ――
wataは、BEEFを見ながら思っていた。
こいつ、思ってたより喋るな。
いや、喋るというより、今まで詰まっていたものが少し漏れている感じだった。
上手くない。
全然上手くない。
言葉が荒い。
すぐ不機嫌になる。
すぐ「うるせえ」と言う。
すぐ顔を逸らす。
こっちが受け取る前に、自分で引っ込めようとする。
でも、今は逃げていない。
帰れる場所にいるのに、帰っていない。
それは大きかった。
wataは、本屋の袋を軽く叩いた。
「さっきの本、目次に何書いてあったんすか」
BEEFはすぐ言う。
「覚えてねえ」
「絶対覚えてる顔やん」
「覚えてねえ」
EGUIが静かに言う。
「踏み込みすぎない、という項目はありました」
BEEFが見る。
「お前、読んだのか」
「表紙の近くにありました」
mcRCも言う。
「分からない時は確認する、もありましたね」
BEEFは舌打ちした。
「お前らの方が読んでんじゃねえか」
wataは笑った。
「じゃあ、今確認していいすか」
BEEFが警戒する。
「何を」
wataは、少しだけ言葉を探した。
ここで茶化しすぎると逃げになる。
でも、重くしすぎると、BEEFは閉じる。
「二本目で、俺の入りめっちゃ見てたじゃないですか」
「ああ」
「あれ、何しようとしてたんすか」
BEEFはすぐには答えない。
眉間に皺が寄る。
wataは待った。
待つのは得意ではない。
沈黙が続くと、つい言葉で埋めたくなる。
韻で逃げたくなる。
ツッコミで崩したくなる。
笑いにしたくなる。
でも、今は待った。
BEEFが、低く言った。
「どこで入るか見てた」
「俺が?」
「お前が」
「俺の入り、そんな分かりにくい?」
「速い」
wataは少しだけ意外な顔をした。
「速い?」
BEEFは頷くほどではないが、少し顎を動かした。
「お前、前に出るのが速い。音より半歩先に言葉が来る時がある」
wataは黙った。
それは、自分でも少し分かっている。
テンションが上がった時。
怒りが乗った時。
言葉が先に走る。
ビートに乗っているつもりでも、前に噛みにいく。
それが武器でもある。
でも、支える側から見ると、合わせにくいのかもしれない。
BEEFは続けた。
「前回は、そのまま潰しても返してきた」
wataの胸が少し熱くなる。
「潰した自覚あるんすね」
BEEFは少し黙った。
「……今はある」
その言葉で、wataは一瞬止まった。
今はある。
それは、軽くない。
wataは、すぐ茶化しそうになるのを堪えた。
「で、二本目は?」
「潰さないようにした」
「した結果?」
「遅れた」
wataは、思わず笑った。
ただ、馬鹿にする笑いではなかった。
「自覚あったんすね」
BEEFは顔を背ける。
「うるせえ」
wataは小さく息を吐いた。
「いや、でも、それ聞けたらちょっと違います」
BEEFが見る。
wataは続けた。
「何考えてたか分からんと、ただ睨まれてるだけに見えるんで」
「睨んでねえ」
「顔が睨んでる」
「顔の問題にするな」
「いや、距離の詰め方としては大事っすよ」
BEEFは黙った。
たぶん、言い返したい。
でも、少しだけ考えている。
wataはその顔を見て、胸の奥に嫌な箱が開きかけるのを感じた。
昔の自分。
言葉はあるのに、本音の出し方が下手だった自分。
笑いで逃げて、韻で包んで、上手く言えたら勝った気になっていた自分。
相手が黙ったら、伝わったと思っていた自分。
ああ。
やめろ。
今じゃない。
wataは、心の中で黒歴史フォルダを閉じた。
閉じたつもりだった。
でも、完全には閉まらない。
―― EGUI ――
EGUIは、BEEFの言葉を聞きながら、少しずつ整理していた。
BEEFは、やはり音では見えている。
wataの入りが速いこと。
mcRCの声が土台を欲しがること。
EGUIの意味パートで音を引いた方が言葉が立つこと。
そういうことは分かっている。
ただ、人としてどう伝えるかが極端に下手だ。
「速い」と言えばいい。
「ここで待つ」と確認すればいい。
「前回は潰した」と先に認めればいい。
それだけで、受け取り方は変わる。
でも、それができない。
それができないから、音でやる。
音でやるから、衝突する。
EGUIは、少しだけ息を吐いた。
自分にも似た部分がある。
言葉を使っているのに、言葉で確認していなかった頃。
正しさで押していた頃。
相手の反応を、納得だと誤解していた頃。
EGUIは、BEEFを見た。
「俺のVerseの時、音をかなり引きましたよね」
BEEFが見る。
「ああ」
「言葉を立てようとしましたか」
BEEFは少しだけ黙った。
「そうだな」
「それは分かりました」
BEEFはわずかに目を細める。
EGUIは続けた。
「でも、支えがなくなりました」
BEEFは、少し苛立つように言う。
「分かってる」
EGUIは首を横に振った。
「責めているわけではありません」
「責めてるだろ」
「違います。確認です」
BEEFは何も言わない。
EGUIは、できるだけ短く、でも雑にならないように言った。
「言葉を立てるために音を引くのは、ありです」
「でも、全部引かれると、言葉だけが浮きます」
「俺は、言葉を裸で置きたいわけじゃない」
BEEFは、その言い方に少しだけ反応した。
「裸」
EGUIは頷く。
「支えがあるから、言葉は落ちる」
mcRCが静かに頷いた。
wataも黙って聞いている。
BEEFは、少しだけ考えた。
「じゃあ、残せばいいのか」
EGUIはすぐには答えなかった。
「たぶん、少し残す」
BEEFが顔をしかめる。
「少し」
wataが小さく笑う。
「出た。職人泣かせの“少し”」
mcRCも苦笑する。
EGUIは真面目に言った。
「でも、本当に少しです」
BEEFは、少しだけ頭を押さえた。
「めんどくせえ」
wataが言う。
「俺らもめんどくさいと思ってます」
BEEFが睨む。
wataは肩をすくめた。
EGUIは続けた。
「ただ、今みたいに先に言ってくれたら、こちらも返せます」
BEEFは、少しだけ視線を落とした。
「……音で分かれよ」
その言葉は、前なら突き放すように聞こえたかもしれない。
でも今は、少し違った。
それはBEEFの癖だった。
音で分かってほしい。
音で伝えたい。
言葉にするのが苦手だから。
EGUIは言った。
「分かる部分もあります」
BEEFが見る。
「でも、全部は分かりません」
mcRCも頷く。
「俺たちも音楽やってるけど、超能力者じゃないんで」
wataが続ける。
「しかもBEEFさん、顔怖いし」
BEEFが睨む。
「そこ戻すな」
wataは両手を上げる。
「いや、大事やから」
mcRCが少しだけ笑う。
その笑いで、空気が少し軽くなった。
―― mcRC ――
mcRCは、二人のやり取りを聞きながら、少しずつBEEFの輪郭が見える気がしていた。
見える。
でも、まだ決めない。
決めたくなる。
この人は不器用なだけだ。
人間関係が苦手なだけだ。
悪意があるわけではない。
そう言いたくなる。
でも、それはまだ早い。
実際、前回の傷はある。
BEEFの音で、自分たちはかなり削られた。
客席には見せなかったが、あれは本当にきつかった。
だから、簡単に「悪い人じゃない」で済ませるのは違う。
ただ。
今、ここで話しているBEEFは、前回のままではない。
それも事実だった。
mcRCは、少しだけ前に座り直した。
「BEEFさん」
BEEFが見る。
「前回、俺はかなり腹が立ちました」
BEEFは黙った。
wataもEGUIも黙る。
mcRCは続けた。
「ライブとしては返しました」
「でも、内側はかなり食らってました」
BEEFは視線を外さない。
mcRCは、右手を軽く握った。
「終わったあと、壁を殴るくらいには」
BEEFの顔が少し動いた。
その話をここで出すのか、という顔。
mcRCは苦笑した。
「そこは俺の失敗です。BEEFさんのせいだけにはしません」
BEEFが言う。
「俺のせいでもあるだろ」
mcRCは止まった。
wataも、少しだけ顔を上げる。
EGUIもBEEFを見る。
BEEFは、すぐに顔を背けた。
言ってしまったという顔だった。
mcRCは、ゆっくり聞いた。
「そう思ってるんですか」
BEEFは黙る。
数秒。
駅ビルのざわめきが、遠くで流れている。
BEEFは、低く言った。
「全部とは言わねえよ」
「はい」
「でも、俺が壊した」
「はい」
「客は動いた」
「はい」
「お前らも返した」
「はい」
「だから、大丈夫だと思った」
mcRCは、黙って聞いた。
BEEFは、少し言葉を詰まらせた。
「でも、大丈夫じゃなかったんだろ」
mcRCは頷いた。
「はい」
BEEFは、舌打ちしそうになって、やめた。
「……そこは」
言葉が止まる。
wataもEGUIも、何も言わない。
茶化さない。
急がせない。
mcRCも待つ。
BEEFは、前を見たまま、言った。
「そこは、悪かったよ、、、」
静かだった。
駅ビルなのに、そこだけ音が少し遠くなった気がした。
wataが、ゆっくり口を開く。
「……今」
mcRCが小さく頷く。
「言いましたね」
EGUIも静かに言う。
「言いました」
BEEFの耳が少し赤くなる。
「うるせえ」
wataが、噛みしめるように言った。
「可愛いかよ」
BEEFが即座に睨む。
「殺すぞ」
mcRCがすぐに言う。
「距離の詰め方、一章からやり直しです」
EGUIが真顔で続ける。
「謝罪後の殺意は減点です」
wataが本屋の袋を叩く。
「参考書あります」
BEEFは、立ち上がりかけた。
「帰る」
wataが笑いながら止める。
「待って待って、五分超えたけど、ここで帰るのはさすがに」
BEEFは座り直さない。
だが、完全には歩き出さない。
立ったまま、顔を背けている。
耳が赤い。
照明のせいではない。
たぶん。
mcRCは、笑いを抑えながら、でも声だけは真面目に言った。
「BEEFさん」
BEEFは見ない。
「何だよ」
「今のは、受け取りました」
BEEFは黙る。
mcRCは続ける。
「全部分かったから許す、ではないです」
BEEFが、少しだけこちらを見る。
「でも、悪かったと言ってくれたことは、受け取りました」
wataも、少し真面目な声で言う。
「俺も」
EGUIも頷く。
「俺もです」
BEEFは、しばらく黙っていた。
それから、低く言った。
「……そうかよ」
それだけ。
でも、その一言は、逃げではなかった。
BEEFは、また少し離れて座った。
さっきより、ほんの少しだけ距離が近い。
気のせいかもしれない。
でも、wataはそれを見逃さなかった。
「今、半歩近づきました?」
BEEFが睨む。
「黙れ」
mcRCが小さく笑う。
EGUIも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
まだ仲間ではない。
まだ近くもない。
でも、会話は続いている。
謝罪は出た。
ただし、それで終わりではない。
むしろ、ここからだった。
wataが、本屋の袋を膝に置いたまま、ぽつりと言った。
「……これ、曲になるな」
BEEFが、ゆっくりwataを見る。
「は?」
mcRCもwataを見る。
EGUIも見る。
wataの目は、もう少しだけ違っていた。
さっきまでの茶化しではない。
曲を見つけた時の目だった。
wataは、口元を少し上げる。
「簡単な和解じゃない」
mcRCが静かに続ける。
「でも、偽物の喧嘩でもない」
EGUIが言う。
「本気なら、当たれ」
wataが頷く。
「No easy peace」
mcRCが言う。
「No fake beef」
BEEFは、明らかに嫌な顔をした。
「待て」
wataは止まらない。
「これ、完全に曲になる」
BEEFが低く言う。
「待てって言ってんだろ」
mcRCは少しだけ笑った。
EGUIは、もう曲の輪郭を見ている顔をしていた。
BEEFは、三人を順番に見た。
「これを歌にするってどういうことだ」
wataは、はっきり言った。
「次回、説明します」
BEEFが眉を寄せる。
「今しろ」
wataは本屋の袋を抱え直した。
「しません」
「しろ」
「しません」
mcRCが、少しだけ肩を震わせた。
EGUIが静かに言う。
「ここで説明すると、曲が痩せます」
BEEFはEGUIを見る。
「お前もか」
EGUIは頷く。
「はい」
BEEFは、心底嫌そうな顔をした。
「お前ら、本当にめんどくせえな」
wataが即答する。
「お互い様です」
その言葉に、BEEFは反論しなかった。
できなかったのかもしれない。
四人の間に、少しだけ変な沈黙が落ちた。
本屋で偶然会って。
距離の詰め方の本を見つけて。
黒歴史フォルダが開きかけて。
言い合って。
探って。
BEEFが、ようやく短く謝った。
悪かった。
それは、完全な和解ではない。
綺麗な仲直りでもない。
でも、音になるには十分すぎる火種だった。
wataはスマホを取り出した。
メモアプリを開く。
そこに、短く打った。
NO EASY PEACE
NO FAKE BEEF
その文字を見たmcRCが、静かに頷いた。
EGUIも、何も言わずに頷く。
BEEFはそれを見て、嫌そうに言った。
「やらねえぞ」
wataはスマホから顔を上げた。
「まだ何も頼んでません」
「頼む顔してる」
mcRCが少し笑う。
「してますね」
EGUIも頷く。
「してます」
BEEFは、低く言った。
「やらねえからな」
wataは笑った。
「はいはい」
BEEFが睨む。
「その返事やめろ」
駅ビルの休憩スペースに、少しだけ笑いが落ちた。
軽くはない。
でも、重すぎもしない。
四人の距離は、まだ変だ。
近くない。
遠くもない。
正しくもない。
ただ、さっきより少しだけ、会話の置き場所が見えた。
その横には、本屋の袋。
中には一冊。
あなたにもできる、正しい距離の詰め方。
たぶん、誰にもまだできていない。
でも、できていないことを認めたところから、ようやく始まることもある。
三本目の箱まで、あと数日。
その夜に鳴る曲の最初の一行は、このベンチで、もう生まれ始めていた。




